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ナガレ
2022-02-21 21:03:12
4865文字
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薔薇と松井3(ぶぜまつ)
薔薇と松井とぶぜまつ、三つ目。それぞれ別本丸のぶぜまつで、掌編の連作。今回の薔薇は赤色。
【食す赤色】
朝、松井江はいつものように目を覚ました。松井の寝起きはそこまで悪くないので、目を開けるとすぐに視界は鮮明になり自室の天井が飛び込んでくる。松井は寝相も良いので、今朝も真上を向いた状態で目が覚めた。いつもと変わらない朝だ。
布団の中で少し悩んだ後、よし起きようと上半身を起こしかけたところで松井は己の体の違和感に気がついた。胸の辺りが何か変だ。ごく軽いものが乗っている、そんな気がする。松井は下を向いた。胸元が膨らんでいた。
胸元をよく見ると、何やら赤いものがちらりと見えている。心当たりは無い。夜中に鼻血が出たのか、それとも悪夢に魘されて胸を掻き毟ったのか。染みになっていなければいいのだがと、松井はそっと寝間着浴衣の襟合わせに手を入れた。
――
胸の真ん中より少し左側。心臓の真上に赤い花が咲いていた。
合わせを大きく開いて確認する。握り拳よりも一回り小さなその花はまごう事無き薔薇の花で、鮮血の赤よりもずっと濃くて瑞々しい真紅の薔薇の花だ。半剣弁の真っ赤な花弁の下から伸びている花柄は、松井の肌に突き刺さり茎と思わしき筋が薄ら見える。まるで血管みたいだった。
松井は花弁を包んでいるがくの付け根辺りを摘まんで軽く持ち上げてみたが、花柄は抜けそうにない。引っ張られた肌が少し持ち上がっただけだった。
(邪魔だな
……
)
花から手を離すと松井は立ち上がり、文机の上の筆立てに立ててあった鋏を手にした。本来ならこの状態で審神者の元に行き、おかしな事が起きたと見せるべきだろう。たが、松井は審神者にこれを見せる気は無かった。赤い色は好きだけれども、この赤色は不快だ。血よりも赤い、僕の穢れた血の色。
左手で薔薇の花を掴み、右手で鋏を開く。花を無理矢理引っ張ると少しだけ肌から浮いたので、松井はその隙間に鋏を入れて刃を花柄に当てた。
……
しまった。念のためにタオルを当てるのを怠った。血飛沫が飛ばない事を祈ろう。
己の胸に咲いた薔薇の花に一切の感情を抱く事無く、松井はぱちんとその立派な花を切り落とした。切り落とした弾みで花柄は体の中に引っ込み、血も数滴落ちただけだった。血管のような茎ももう見えない。松井はちり紙で鋏を拭くと筆立てに戻し、切り落とした花は文机の上にぽいと放った。花に興味は湧かなかった。
夕刻。執務部屋での事務仕事を終えて自室に戻った松井は、文机の上に放置した薔薇の花の存在を思い出した。どうなっているかと机上を見てみると、花は萎れて花弁の赤色もすっかりくすんでいる。このまま枯れかけの花を放置しておくのもどうかと思ったので、松井は適当にちり紙で包むとくずかごにぽいと捨てた。そして忘れる事にした。
己の胸に咲いた花の事などすっかり忘れて就寝した松井だが、翌朝も起きて早々に胸元の違和に気がついた。まさかと思いながら視線を下げると、そこには真っ赤な薔薇の花が咲いていた。心なしか、昨日の朝の花より赤い気がする。肌の下を這う茎も太い。
松井は無言で鋏を手に取った。
朝起きると胸に赤い薔薇の花が咲いている。それはもう何日も続いており、松井は毎朝それを切り落としていた。胸元から切り落としたばかり花は瑞々しくて色も濃いが、夕方になると萎れて水気を失い、次の朝にはすっかり枯れて花がらになっている。一夜花ならぬ一昼花だった。
鋏で切り落とすと夜まで花を放置していた松井だが、ふと思い立って厨で使っていない硝子の深皿を貰ってきた。深皿に少し水を張り、その上に花を浮かべてみる。硝子に映える赤い色。まぁ、悪くない。次の日から松井は、切り落とした花を硝子の深皿に浮かべるようになった。特に理由は無い。ただの気まぐれだった。
「
……
松井、おはよ。何だそれ?」
花を水に浮かべるようになってから数日。その朝も洗面所で顔を洗うついでに皿に水を張ってから自室に戻ろうとした松井は、部屋の前で同胞の豊前江に声を掛けられた。豊前の視線は松井が持つ硝子の器に注がれている。松井は困ったなと思ったが、隠しても追求されるだけだろうからとありのままを話す事にした。
「花を浮かべようかと思って」
「花?」
「花。見に来るかい?」
松井がそう尋ねると豊前は頷いた。どうぞと言って部屋に豊前を招き入れる松井。豊前はどこにも花なんてないぞと訝しんでいる。文机の上に硝子の深皿を置いた松井は「これだよ」と言って、今朝切り落としたばかりの真っ赤な薔薇の花を静かに水に浮かべた。松井の手が離れると、ゆらりと水面の花が揺れた。
「薔薇の花?どうしたんだこれ?」
「毎朝僕の胸に咲くんだ」
「は?」
胸に花が咲くなんて聞いたら、普通はその顔になる。松井は豊前に事情を話した。ある日突然、目が覚めると胸に花が咲くようになった事。花は一日しか保たないらしく、次の日の朝には枯れて花がらになっている事。咲いた花を切り落とさずに一日中咲かせたままで生活してみた日もあったが、翌朝には枯れ落ちて、代わりに新しい花が咲いていた。
花は決まって赤色の薔薇の花。赤と言ってもただの赤ではない。松井が知るどんな赤色もずっと濃い赤色で、その色の深さにぞっと身の毛がよだちそうなくらいだった。
「この花、僕の心臓の真上に咲いているみたいなんだ。しかもこんなに赤い。もしかしたら僕の血を吸って咲いたのかもしれないね」
「主には言ったのか?」
「言ってない。毎朝花が咲くというだけで実害は出ていないから」
花が咲くというだけで、何か困った事が起きているわけではない。体調もすこぶる良好だった。切り落としても血は出ないから瀉血の代わりにもならないと松井が呟くと、豊前は何とも言えない顔になった。松井は君が案ずるような事は何も無いと言ったが、豊前は納得しなかった。むっとした顔のまま、水に浮かんだ花を見ている。
「これ、毎日新しいやつが咲くんだよな?明日咲いたやつ、俺にくれねーか」
「別に構わないけれど
……
」
この身を流れる血を吸って赤く染まった花かもしれないのに。そんな穢れたものを豊前に渡してもいいのだろうかと松井は少し躊躇したが、豊前の眼差しがあまりにも真剣だったので渡す約束をした。明日の朝一番で取りに行く。約束だからなと、豊前が強く念を押す。松井はわかったと言って頷く事しかできなかった。
翌日、豊前は約束通り朝一番に松井の部屋を訪れた。来るのがあまりにも早すぎて切り落とすのが間に合わず、赤い薔薇の花はまだ松井の胸に咲いたままだった。本当に胸に咲いてるんだなと、豊前は興味深そうに松井の寝間着浴衣の胸元から覗く花を見つめてくる。じっと見られると少し恥ずかしい。すぐに切り落とすからと松井がいつものように鋏を手に取ると、豊前に鋏を取り上げられた。
「豊前?」
「俺がやる」
松井の寝間着浴衣の胸元を大きく開くと、豊前は肌と花との間に鋏の刃を入れてちょきんと花柄を切った。ぽとりと松井の手の中に落ちる薔薇の花。鋏を文机に置くと、豊前は血が数滴落ちた胸元を軽く拭き、松井の手の中に落ちた花を摘まみ上げた。そしてしげしげと眺めている。
赤いな、と呟く豊前。寝間着浴衣の合わせを軽く直しながら松井はその花をどうするのかと聞いてみたが、豊前は少し考え込んだ後にそのうち教えてやると答えるだけだった。
* * * * *
それからしばらく経った。相変わらず松井の胸に赤い薔薇の花は咲くし、豊前は時々思い出したように明日も花が咲いたらそれをくれと言ってくる。松井が渡した花をどうするのか豊前はそのうち教えてやると言ったが、いつまで経っても教えてくれなかった。
一体彼は渡した花をどうしているのだろうか。松井は豊前が数日前にも花を貰いに来た事を思い出した。僕と同じように飾っているのだろうか。
……
それはないと松井はすぐに否定した。豊前にも花を綺麗だと思ったり愛でたりする情緒はある。しかし、自ら進んで部屋に飾るかと聞かれると疑問符がつく。いつ見ても豊前の部屋は殺風景だった。
心のどこかにそんな疑問を引っ掛かけながら松井は毎朝胸に咲いた花を切り落とし、時に豊前が貰うついでに手ずから切り落としていく。松井も初めは豊前の手を煩わせるわけにはいかないと抵抗していたが、聞く耳を持ってくれないので今ではすっかり慣れてしまった。
そんな毎日だったが、ある日松井は答えに辿り着いた。
(あ。しまった
……
)
朝からずっとこなしていた事務仕事に一区切りがついたので、松井は執務部屋から帰ってきた。そして「後で豊前江に渡してくれ」と頼まれた書類を間違えて自分の部屋に持ってきてしまった事に気がついた。今日は非番のはずだから、外出していなければ部屋にいるだろう。いなければ改めて夜に渡せばいい。松井は豊前の部屋を訪れた。
「豊前いる?」
「松井?どーした?」
「主から書類を渡してくれと頼まれたんだ」
「書類
……
。わーった。勝手に入って」
豊前は自室におり、松井が声を掛けると返事が返ってきた。書類という単語に何か心当たりがあるのか、豊前の声色が一瞬沈む。何をやらかしたのかは知らないが、自分が手伝えそうな事なら手伝ってもいい。勝手に入ってと言われたので、松井は障子を開けた。
八つ時近くで小腹が空いていたのか、豊前の口はもぐもぐと動いていた。どの部屋にも備え付けられている文机の上に置かれている見慣れない瓶の蓋が開いているので、その中身が今日の彼のおやつなのだろう。
「これ、頼まれた書類。確かに渡したからね。難しそうなやつかい?僕が手伝えそうな事なら手伝うから言ってくれ」
「難しいっつーか、何つーか
……
いや、自分でどーにかする。あんがとな」
松井に助けを求める事ができない書類は案外限られている。経理担当の決裁が下りなかった購入申請書の突き返しか、それともやらかしの顛末書か。どちらも豊前ならあり得そうだなと松井は思った。打刀は頭数が多い事もあり、顛末書率がかなり高い。かくいう松井も実は書いた事がある。元の主譲りなのか知らないが、超大作と名高い当本丸伝説の顛末書として今も語られている。
豊前は自分でどうにかすると言ったけれど、本当にどうにもならなかったら声を掛けてくるだろう。その時手伝ってやればいい。物事が一つ片づくと、次に松井は豊前の食べているのものが気になった。八つ時だから松井も小腹が空いていた。
「何を食べているんだい?」
「甘いもん。松井も食うか?」
今日も朝から書類仕事で頭が疲れたから、甘いものが欲しい気がする。松井は頷いた。じゃあ目を瞑れと言われたので、松井は豊前の前に座ると素直に目を閉じた。むにゅ、と唇に何か押し当てられる。このざらりとした砂粒のようなものは何だろうか。松井が少し口を開くと、そこに「甘いもん」を押し込まれた。
……
これは確かに甘いものだ。砂粒の正体は砂糖だった。
ならば、砂糖がまぶされているこれは何だろうか。食べ終わるまで松井が目を開けないように、豊前のもう片方の手で目元を押さえられている。目を閉じたまま砂糖の粒と一緒に噛むと、葉物のような食感がした。何度か咀嚼してごくんと飲み込むと、豊前の手が離れたので松井は目を開けた。
「何だい、これ」
「何だと思う?」
何か体に良くない変な物ではなかろうかと疑う松井の質問には答えず、豊前も瓶の中身を一つ摘まむと松井を一瞥してこれみよがしにその甘いものを口に入れた。形は花びらに似ていて、上白糖をまぶされているが色は赤。
――
松井は思わず口元を手で覆った。
「もしかして
……
」
「せーかい」
豊前が口にしていた甘いものの正体。それは松井が豊前に渡した、松井の胸に咲いた真紅の薔薇の花の砂糖漬けだった。
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薔薇を咲かせる松井は私がすごく見たいものの一つです。
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