その日、非番の松井江は万屋街に来ていた。目的地は雑貨屋が立ち並ぶ一帯で松井には自分の買い物と頼まれた買い物があった。勝手知ったる雑貨屋区画、その中にある小さいながらも落ち着いた贔屓の店で松井は買い物をしていた。いつも使っている店なので、自分の欲しかった物はすぐに見つかった。しかし他の男士に頼まれた物が一つだけ見つからない。似たような物なら置いてあるのだが、あいにく松井は違いがわからなかった。
わからないなら頼まれた通りの物を買うべきだ。一度店を出て連絡しよう。そう判断した松井が、とりあえず自分の買い物の会計を済ませようとした時だった。
「なー」
「ん?」
くい、と内番着の端を引っ張られた。引っ張られた方向は斜め下。……下?訝しんだ松井は視線を下に向け、目を丸くした。少し毛先の跳ねた黒い髪、緋色の虹彩。松井の内番着を引っ張ったのは別の本丸に所属しているであろう豊前江だった。だが、自本丸の豊前とは明らかに違う。小柄なのだ。
小柄というよりも、幼いといった方がいいかもしれない。自本丸の豊前は松井と同じぐらいの背丈か気持ち松井よりも高いのだが、この豊前は短刀達と同じぐらいの背丈。そんな幼い個体の豊前江が、松井の内番着の端を持って見上げていた。
よく見ると、この小さな豊前江の着ている戦闘衣装には袖印や防具の類がついていない。飾り紐も少なかった。気のせいかもしれないが、松井のよく知る豊前江の戦闘衣装よりも簡単な作りをしているように見えた。
「まついごうだろ?買い物?」
「そうだけど……」
「こっち来て」
声も子どものもので、喋り方もどこか舌っ足らずの小さな豊前江。彼は松井の手を取ると、ぐいぐいと引っ張ってどこかに連れて行こうとした。姿形が小さくても豊前江は豊前江。言葉よりも行動が先に来るところは変わらない。見知らぬ個体に物応じせずに声を掛けてくる辺りも。松井は気づかれないように苦笑した。
手を引かれるがまま連れてこられたのは化粧品の陳列棚の前で、色とりどりの爪紅が並ぶ棚だった。加州清光の纏う赤色、五月雨江が好む紫色、村雲江の使う桃色その中には松井が愛用している緑青色も並んでいた。
「手がとどかないから取ってくんね?」
「そういうことか。いいよ。どれかな」
「あの青っぽいやつ!」
豊前が指で差し示したあの青っぽいやつは、松井が使っているものと同じ色だった。彼の本丸にいる松井江におつかいでも頼まれたのだろうか。商品を棚から出すと、松井は豊前に手渡した。ありがとな!とお日さま顔負けのきらきらとした満面の笑みでお礼を言われ、松井は一瞬固まった。……可愛い。
百点満点の笑顔を真正面から浴びた松井が静かに胸を高鳴らせていると、豊前が急にポケットの中をごそごそと漁り始めた。そして、これあげると言って松井に駄菓子屋で売っている小さなチョコレートを差し出した。
「まつ、かんしゃの気持ちはだいじだっていつも言ってるから」
商品を代わりに取ってくれたお礼にチョコレートを渡そうとしている豊前。松井は少し戸惑った。これはきっと彼のおやつだろうに、それを勝手に貰ってしまってもいいのだろうか。松井が受け取らない事をどう受け止めたのか、豊前の眉がハの字に垂れ下がった。豊前はチョコレートをポケットに戻すと、今度は反対側のポケット漁り始めた。しかしポケットから出てきたのは、飴玉の包み紙と駄菓子のおまけに付いているミニカーのおもちゃだった。
何もないっちゃ……と小声で呟いて包み紙とおもちゃをポケットに突っ込んで戻した豊前は、もう一度チョコレートをおずおずと差し出した。二度も差し出すのなら貰っても問題ないだろうと、松井はありがたく受け取る事にした。違う本丸の個体だろうが大きさが違おうが、松井は豊前に弱かった。これはもう松井江の特性みたいなものだからどうしようもない。
松井がありがとうと言って受け取ると、無事に受け取ってもらう事ができてほっとしたのか豊前が破顔した。……うん。愛らしい。松井は再び胸を高鳴らせた。「その爪紅、僕が買ってあげようか」と思わず言いそうになってしまったが、さすがにそれはまずいだろう。完全に不審者ならぬ不審男士だ。
何を買いに来たのか聞かれたので、松井は「僕も爪紅を買いに来たんだ」と言って会計しようとした爪紅を見せた。先ほど豊前に渡したものと同じ青色の爪紅。まつもそれ使ってると、豊前が教えてくれた。
「……ぶぜん!」
まつが一番好きなのは赤いやつだけどつめはこの青色が好きで~と、自本丸の松井江について一生懸命楽しそうに話す豊前。松井がうんうんと頷きながら和んでいると、店の入り口で誰かが豊前を呼んだ。甲高い、子どもの声だった。ぱっと見たところ店内に他の豊前江はいないから、この小さな個体を呼んでいるのだろう。
「まつ」
豊前も自分が呼ばれている事に気がついた。入り口をちらっと見て「行かねーと」と呟いた。まだ松井と話がしたいけれど、呼ばれている。ちょっと困り顔の豊前に松井は助け船を出してやった。
「僕もそろそろ帰らないといけないんだ。おしゃべりはここまでにしよう。楽しかったよ」
「俺も!」
松井との会話を切り上げると、豊前は会計台に向かった。ずっと握りしめていた爪紅を、「これください」と言って背伸びをしながら会計台に乗せる豊前。店員がすぐに値段を教えてくれた。首から提げていた小さな小銭入れから小銭数枚取り出し、再び背伸びをして会計台に置いた。
出した小銭は金額ちょうどの枚数お会計の終わった爪紅をポケットの中に押し込むと、豊前はパタパタと走って店から出ていった。店の入り口で豊前を呼んでいたのは、これまた幼い松井江だった。
小さな松井江は、「まいごになるから走ったらだめって言ってるでしょ」と豊前の手を掴んだ。世話を焼いているつもりなのだろうか。微笑ましい光景だ。もしかしたら彼は、この松井江のために爪紅を買ったのかもしれない。根拠は無いけれど、何だかそんな気がする。
僕に世話を焼かれる豊前って何だか新鮮だなぁと松井がその小さな背中を見送っていると、不意に振り返った豊前が松井に向かって「またな!」と大きな声で別れを告げた。ぶんぶんと手を振る豊前。松井も小さく手を振り返した。松井が振り返してくれた事に満足したのか、にかっと思いっきり口角を上げて笑うと、豊前はもう松井の方を向かなかった。
空いている手で、小さな松井江の持っていた買い物袋をさっと一つ奪う豊前。松井はまだ自分の会計を済ませていない事を思い出した。早くしないと痺れを切らした彼が来てしまう。――ほら、来た。入れ違いに一振りの男士が店の中に入ってきた。
「……浮気?」
「違うから」
隣に立つと彼――自本丸の豊前江は松井の肩に腕を回した。買い物が終わったらここで待ち合わせと約束をした場所に松井がなかなか姿を見せないものだから、待つ事に飽きて迎えに来てしまった。松井が行くと言っていた店の近くまで来てみれば、店の前には斜めに掛けたポシェットの肩紐をぎゅっと握った少々ご機嫌斜めの松井江がいた。松井江自体はたくさんいるから、他本丸の個体と出くわす事はよくある。しかし小さい個体を見かけるのは初めてだった。
さてどうしたものかと考えていると、小さな松井江が突然自分の名前を呼んだ。……違う。呼ばれているのは自分じゃない。この松井江が呼んでいるのは店の中にいる同位体だ。小さい松井に呼ばれる俺はどんな奴なのだろうかと興味本位で店の中を覗くと、松井が自分の同位体に声を掛けられていた。
松井江が呼んでいたのはおそらくあの同位体だ。松井に声を掛けていた同位体は、松井との話を切り上げると店の外に出てきた。そして小さな松井江と一緒に帰って行った。
入れ違いで店に入った豊前は、松井に限ってそんな事はないと思いながらも一応松井に尋ねてみた。そして予想通り否定された。
松井は邪魔だからと豊前の腕をぺしんと叩いて除け、自身も会計に向かった。後ろから豊前がついてくるのは想定済み。松井は特に気にする事なく会計を済ませた。
「さっきの、小さい君が何だか新鮮だっただけ」
「個体差ってやつか」
「かもしれないね」
自分達は顕現した時からこの大きさだった。個体差なのか、それとも――。嫌な事を考えるのはやめよう。体は小さくても立派な刀剣男士。いつか演練の場で、成長したあの個体達と会う日が来るかもしれない。
店の外に出ると、松井は荷物を豊前に半分奪い取られた。荷物が一つだけになった事で片手が空いたけれど、あの小さな個体達のように往来で手を繋ぐような真似はできなかった。
万屋からの帰り道を豊前と並んで歩く松井。ポケットの中身にこつんと手に当たった。……あの豊前からお礼に貰ったチョコレートだ。ポケットから貰ったチョコレートを取り出すと、松井はぺりぺりと片手で包装紙を剥いた。ずっと彼のポケットに入っていたからか、チョコレートは少し柔らかかった。
「……うん。甘い」
ミルクたっぷりの甘いチョコレート。いつか再会できた時はお礼を言わねば。演練で会う事ができるのかも、彼がこの出来事を覚えているのかもわからないが。松井がチョコレートに舌鼓を打っていると、松井が何か食べている事に豊前が声を掛けてきた。
「何食ってんだ?」
「内緒」
チョコレートを貰ったから食べていると素直に答えたら少々面倒な事になりそうだし、きっとあの彼にもそういう意図はない。彼自身が言っていた通り、感謝の気持ちによるものだ。当然松井にもそういうつもりは無い。それに、豊前に半分取られた荷物の中には明日松井が渡す予定の物が入っている。彼に何を渡そうかと、ここ数週間考えに考えて選び抜いた贈り物だ。
愛と呼ぶのは少々気恥ずかしいけれど、この気持ちを感謝と共に伝えたい。松井はずっとそう思っていた。
「豊前、明日を楽しみにしててくれ」
「ん?明日?……あぁ、あれか。感謝の気持ちを伝えよーぜってやつ」
「そう。それ」
「わーった。楽しみにしてる。……松井も楽しみにしてろよ」
そう言ってにやりと意味深な笑みを浮かべる豊前。松井は焦った。この笑みを見せた時の豊前は危険だ。悪い事は起こらないが、心臓によくない事は起こる。その割合は体感で八割を超えている。
「君のさぷらいずは大抵心臓に悪いんだから、何かあるなら先に教えてくれよ」
「はっはー。それはどうだろーな」
明日を楽しみにしておけと宣言する豊前。松井は明日の予定を思い浮かべた。――明日は一日中執務部屋で事務仕事だ。書類整理ぐらいなら問題ないが、計算だったら絶対に気もそぞろだから間違える。誰かに代わってもらおうかと思ったが、交代してくれそうな心当たりは無い。心当たりはみな事務仕事に集められていた
松井は面倒な業務が回って来ませんようにと、天に願う事しかできなかった。
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松井から豊前へ どれもよく似合いそうで困ると悩み抜いたアクセサリーとちょっといいとこのお菓子
豊前から松井へ いつも行く店でオーダーメイドしたお揃いの小物と小さな花束
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