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ナガレ
2022-02-04 23:17:32
4890文字
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薔薇と松井2(ぶぜまつ)
薔薇と松井とぶぜまつ、二つ目。それぞれ別本丸のぶぜまつで、掌編の連作。今回の薔薇は白色。
【散る白色】
松井江が刀剣男士として顕現した本丸は、新米審神者の率いる発足してまだ間もない本丸だった。松井は配布しーる、というものを使って呼ばれたらしい。松井以外の江の者は誰もいない本丸で、顔見知りの刀はここの審神者が初めて呼んだという小夜左文字だけだった。
本丸を運営していくのに必要な頭数は揃っているが、審神者も含めて全振りまだまだ経験が足りない。審神者はまず審神者としての仕事を覚える事が、刀剣男士は人間としての生活に慣れるのが先決で、すべてにおいて試行錯誤を繰り返す毎日。歴史を守るために出陣する事よりも、今日明日を生きるための生活基盤を整えるだけで手一杯だった。
そんな中、政府からある報せが本丸に届いた。
――
秘宝の里の調査だ。一定期間のみ道が繋がるという秘宝の里。この隠れ里の調査の進捗次第では江の刀を仲間に加える事ができる。今の戦力でどこまでできるかわからないが、やれる限りやってみよう。審神者のその言葉に松井を隊長とする調査部隊が組まれ、隠れ里の調査が始まった。
強い敵を倒せば調査は捗る。しかし今の戦力では強敵に太刀打ちできない。質よりも量、小判も遣って回数で稼ごう。昼夜を問わずこつこつと松井達は調査を続けた。
審神者に財政出動までさせてしまったのだ。手ぶらで帰るわけにはいかないと松井は必死だった。疲れの見えた男士には交代で休みを与え、自身は寝る間も惜しんで、ひたすら秘宝の里に赴いた。
来る日も来る日も札を捲り、進路を塞ぐ敵を斬る。そうやって手に入れた秘宝の里の宝である玉を持ち帰り、政府に引き渡す。その繰り返しだった。
「松井江、少し休んだ方が
……
」
「大丈夫だ。まだいける」
松井は審神者や仲間達が心配する声をはね除け、調査部隊の隊長としてひたすら調査を続けた。その結果、松井は秘宝の里への道が閉ざされる日までに三振りの江の刀を審神者の元に届ける事ができた。
一振り目は篭手切江。一時期細川の家にいた脇差の彼と松井は顔見知りだった。今生では歌って踊れる付喪神を目指していると聞いて驚いたが、夢を持つ事は良い事だ。松井は篭手切の夢を応援する事にした。
二振り目は桑名江。畑仕事や農業に興味津々の彼は本多に縁のある刀らしく、松井より一足先に顕現していた蜻蛉切の事を強く慕っていた。なので桑名の世話役は蜻蛉切に任せる事にした。
三振り目は豊前江。篭手切がりいだあと慕う江の兄貴分で、松井の理解者。この二振りに何か繋がりがあると察した審神者は、松井に豊前の世話役を命じた。世話役は新しく顕現した刀剣男士にこの本丸の決まり事、二二〇〇年代の日本や世界の情勢、刀剣男士の役割、人の体を持つ身としての過ごし方などを教える役目だ。
「僕が君に何か教えるというのも変な感じだけど、よろしく」
「おー。こちらこそよろしくな。松井はここに来てどれくらい経つんだ?」
「数ヶ月ってところかな。まずは本丸の中を案内するから
……
豊前?」
豊前は何か気になるものがあるのか、辺りをきょろきょろと見回していた。ここは初めて見るものばかりだから、その気持ちはとてもよくわかる。松井は何か気になる事でもあるのかと豊前に尋ねた。
「気になるっつーか、何か花の
……
」
「花?ここは花壇が近いから香りが届くのかもしれないね。行ってみる?」
この本丸の庭には花壇がある。松井は豊前にその花壇を見てもらいたかった。何故ならその花壇は松井の自慢だからだ。畑仕事を好まない松井が代わりに与えられたのは花の世話。秘宝の里の調査が優先だったのでここのところ世話が疎かになっていたが、松井が一から作り上げた自慢の空間だった。
庭の一角。かつての城や屋敷の庭園には敵わないけれどと前置きをしながら、松井は豊前を花壇に案内した。
「どう?僕が造ったんだ」
花壇と言ってもここに植えてあるのはすべて薔薇の花。薔薇園と呼ぶ方が相応しかった。後ろで大きな花を咲かせる背の高い品種もあれば、手前のこんもりとした茂みで小さな花をいくつも咲かせる品種もある。小さなガーデンアーチの支柱にはつる薔薇が絡みついていた。
薔薇の花を選んだ理由はない。内番の畑仕事に難色を示し続けていたら、それなら部屋に飾る花を育てる係になったらどうかと審神者に言われ、松井は二つ返事で引き受けた。そして特に深く考える事なく、その日のうちに苗を適当にいくつか発注した。ただそれだけだ。
以来、松井は少しずつ花の種類や苗を増やし、与えられた花壇を大きくしてきた。他の花を入れるよりは同じ花の方がいいだろうと、ここに植えられているのはすべて薔薇の花だった。部屋に飾る花が薔薇の花のみというのも味気ないので、他の花は違う場所で育てている。たまに畑仕事の延長で桑名が手伝いに来る事もあるが、花の世話は松井の役目だった。
「すげーな」
「だろう?この間、隣に新しく花壇を増やして白い花が咲く苗を植えたんだ。赤色の花ばかりだから彩りが欲しいなと思って」
「楽しみだな」
「うん」
満開になったら一番に教えるから是非見に来てくれと言う松井。豊前はもちろんだと頷いた。あの時気づいた花の香り。それは外の花壇からではなくて目の前の松井から匂い立っているように感じたのだが、言い出しにくくなってしまった。
何か花の香りがすると言いたかったのは確かだし、自慢の花壇を見せる事ができて嬉しそうな松井に水を差すのも野暮というものだろう。きっと松井自身に花の香りが移っていたのだ。そういう事にしておこう。
それともう一つ、豊前には気になる事があった。
「ところで、松井」
「何だい?」
「刀剣男士ってどうなったら一人前って認められるんだ?」
「色々な定義があるけれど、一つの目安は特付きかな」
「特付き?」
「練度が一定まで上がると特が付くんだ」
「そうか
……
」
――
特付き。そう呟くと豊前は押し黙った。そよ風が目の前の薔薇の茎や葉を揺らし、花が香りを放つ。
翌日、豊前は自分を出陣や演練に出すよう審神者に直談判した。
* * * * *
「なぁ、豊前。顕現してからほぼ毎日出陣や演練じゃないか。たまには休んだ方が
……
」
顕現翌日から数週間、豊前は出陣や演練ばかりだった。さすがに手入れが必要な時は手入れ部屋に入るが、そうでなければ赤疲労で指一本動かせなくなるまで出陣しようとする。審神者も何度か諫めているが、どこ吹く風で聞き入れようとしない。世話役の松井からそれとなく豊前に休めと言って欲しいと、松井は審神者に頼まれていた。
昨日も赤疲労になるまで出陣した豊前は、今日も朝から出陣しようとしていた。審神者や近侍が休ませようとして部隊編成から豊前を外しても、いつの間にか誰かに替わってもらい、気づくと豊前は部隊の一員として出陣している。どうやら何らかの事情を知っている者が数振りいて、その者達が豊前と替わっているようだ。しかしそれが誰かは不明だった。
「心配してくれてありがとな。でも、松井も似たような事してたって聞いた」
「うっ
……
」
耳が痛い。松井も周りが止める声を無視してひたすら秘宝の里の調査に繰り出していたから、今の豊前に対して強く物を言う事はできない。一体何が彼をそこまで駆り立てるのだろうか。松井にはわからなかった。
「あと数回出陣したら練度が上がって特が付く。そしたら休むからでーじょうぶ」
あまりにも気がかりで不安そうな顔をしていたのか、豊前が松井に向かってそっと手を伸ばした。その手は松井に触れそうで触れてこない。どうしたのだろうかと松井が訝しんでいると、意を決した豊前がおもむろに口を開いた。その声はほんの少しだけ掠れていて、松井に向けられた視線は何かを求めているようで。
「特が付いたら、」
初めて聞くその声色。瑞々しい白い薔薇の花を両腕に抱いた松井の腕に力が入った。少し前からぽつぽつと咲き始めた白色の薔薇。明日には満開になるだろう。花が長持ちするので切り花にも適していると知り、今日は玄関にこの花を飾ろうと朝一番に摘んだものだ。
――
違う。困らせたかったわけじゃない。松井の抱く白色の薔薇の花が目に入った豊前は、言葉の続きをぐっと飲み込んだ。指先で松井の頬を撫でると伸ばした手を引っ込め、くるりと踵を返して松井に背を向けた。
「
……
行ってくる」
松井が行ってらっしゃいと言い切る前に、豊前の背中は遠ざかっていった。彼は何を言おうとしたのだろうか。特が付いたら何と言おうとしたのだろうか。
――
特が付いたら一人前。前にそう言ったのは自分だ。自分だけれども
……
。
松井は唇を噛んで顔を伏せた。胸が痛いのはどうしてだろう。豊前の言葉の続きを想像すると、心臓の辺りがきゅっと締めつけられる。語らずともその瞳は何雄弁で、松井に焦がれていた。
腕の中の白薔薇がかさりと音を立てた。その濃厚な香りに酔いそうだった。
その日、練度が上がるまであとわずかという所で敵の攻撃を受け、豊前は手入れ部屋行きになった。今日の豊前の出陣はこれで終わりだ。これはさぞかし悔しい思いをしているだろうと、松井は手入れが終わり自室に戻った豊前を訪ねた。だが、豊前は思いの外冷静だった。
「悔しいっつーか、余計なこと考えてたから自業自得ってやっちゃ」
「余計なこと?」
「朝のこと」
豊前が松井の腕を掴んだ。その目は真っ直ぐに松井だけを見て、松井だけを映している。胸を貫くその視線の強さに松井は動けなかった。
「特が付いたら、」
お前の部屋に行く。
次の出陣で余程の失敗をしない限り、練度が上がって特が付く。それを誰よりも先に松井に祝ってほしいのだと豊前は言った。腕を掴む豊前の手は熱くて、触れられた場所から今にも燃えてしまいそうだった。
松井は何も言えなかった。言葉にはできなかったけれど、ほんのわずか首を縦に振る事だけはできた。よかったと、息を吐いて安堵の表情を浮かべた豊前の手が離れていく。今日はもう寝るからと言われ、松井は豊前の部屋を出た。その後どうやって部屋に帰ったのか、松井は一つも覚えていなかった。
翌日、豊前の練度は一つ上がって特が付いた。一日の出陣をすべて終えた豊前が「特が付いたから明日は休む」と審神者に告げると、あの豊前が自ら休むと言ってくるだなんて!と何故か感激されてしまった。無茶な事をしていた自覚はあるが、そこまで大げさに感激されるほどの事だったのだろうか。祝いの宴会は日を改めてくれと言い残すと、豊前は審神者の部屋をあとにした。
向かう先は松井の部屋。部屋の前で立ち止まり、一声を掛けてから豊前は部屋の障子を開けた。障子を開けた先、部屋の中には神妙な面持ちな松井がいた。その表情は硬く、緊張と戸惑いの色が浮かんでいる。でも、拒絶は無い。
「今日、特が付いた。これでやっと一人前だ」
「おめでとう」
「まだ松井には追いついてねーけどな」
部屋の真ん中に正座で座る松井の前で膝をつくと、豊前は松井を力の限り抱き締めた。松井もそれを拒まない。豊前が眼前の白い首筋に顔を埋めて肺一杯に空気を吸い込むと、全身が花の香りで満たされた。松井の部屋には一輪の花も飾られていない。それでも豊前は感じていた。
――
やっぱりそうだ。あの時の花の香りは花壇に咲いた花ではなくて、松井のものだった。
「 」
その芳しき香りをもっと近くで味わいたい。豊前の指先が昨日の朝と同じように頬を撫でて顎を掬い、ゆっくりと首筋を辿る。松井はそれを受け入れるように目を閉じた。
外は強風。窓ガラスが大きな音を立てて揺れている。庭の植木も花壇の花も風に煽られ、葉や花弁が散っていく。松井の薔薇園に咲いた白い薔薇の花もまた、満開を目前にしてその立派な花弁を散らしていた。
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この本丸の松井は薔薇の香り。
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