ナガレ
2022-01-22 22:31:21
3152文字
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薔薇と松井(ぶぜまつ)

薔薇と松井とぶぜまつ。それぞれ別本丸のぶぜまつで、掌編の連作。今回の薔薇は桃色。

【香る桃色】

 その日、豊前江と松井江は審神者に用事を頼まれて万屋街に来ていた。豊前は自分の役目は荷物持ちだと割り切っている。目利きや交渉、会計はすべて松井に任せていた。もちろん豊前にも審美眼はあるが、万屋の店主にこっちの方が良いと勧められたらそちらを買ってしまいそうだ。なので、最初から流されない松井にすべてお任せだ。
 頼まれた品をすべて包んでもらうと、先に店を出た豊前は松井が会計を終えるのを待っていた。刀剣男士、審神者、政府関係者と思わしき人間、あやかしの類い――実に様々な人物が目の前を通り過ぎていく。その中にはもちろん自分の同位体もいたが、姿形は同じでもどこか違うなと思うから不思議だ。
 豊前が店の前に置かれた長椅子に座ってぼんやりと通行人を見ていると、右の方からどこかの本丸の松井江がやって来た。内番着でも戦闘衣装でもない松井江。どこかクラシカルな洋装は彼の私服だろうか。ぴんと背筋を伸ばして歩き、豊前の前を右から左へ颯爽と通り過ぎていく松井江。ふわり、花の香りがした。
 一瞬、豊前の時が止まった。あれは薔薇の花の香りだと気づいて我に返った時には、すでに松井江は雑踏の中に消えてしまった後だった。それでもあの薔薇の香りが雑踏の向こう側からここまで届いているような気がして、豊前は松井江が歩いていった方向をじっと見つめた。

……痛って!」
「待たせて悪かったね」

 突如足の甲に走る衝撃。思いっきり誰かに足を踏まれた豊前を思わず声を上げると、どこか不機嫌そうな松井江――会計を終えた自本丸の松井が目の前に立っていた。松井の着ているのが内番着でよかった。もし戦闘衣装の靴の踵で踏まれたら、今頃悶絶して声すら出せなかっただろう。敵短刀の頭を踏み抜いてとどめを刺した松井の姿は記憶に新しい。

「気になるなら探して声を掛けてきたら?荷物持って先に帰ってあげるから」
「どーしてそうなる……

つっけんどんな松井の態度に、豊前は一連の行動を見られていた事を察した。通りすがりの松井江が気になったのは事実だが、別にやましい事はない。ただ、

「あーいう松井もいるんだなって思っただけ。そんだけだ」

 豊前は立ち上がると松井の髪の先に触れた。松井が自身の手入れに使っている花菖蒲の香りが微かに広がる。この香りに慣れているから、薔薇の香りを纏う松井が新鮮だった。ただ、それだけだ。
 余所見なんかしてねーからなと釈明すると、どこか寄り道でもしてから帰るかと豊前は松井に声を掛けた。今から本丸に戻ってもおやつの時間には間に合わない。用事はすべて終わったし、少し寄り道して小腹を満たしてから帰るのも悪くない。
 どーする?と豊前が水を向けると、松井が小さく頷いた。これは肯定の意だ。たしか向こうの通りに甘味処があったはずだからそこにしようか。荷物を持った豊前が歩き出すと、松井が半歩遅れてその後ろ姿を追いかけた。


* * * * *


 それから数日後の事。

 特にやる事も無いから今夜はもう寝てしまおうかと松井が寝支度をしていると、豊前が部屋にやって来た。豊前とはそういう仲なので夜にやって来る事は多々あるし、松井が豊前の部屋を訪ねる事もある。しかし今夜は何の約束もしていなかったはずだ。何かあったのだろうかと訝しみながら、松井は豊前を招き入れた。

「何かあった?」
「何かあったわけじゃねーけど……

 今いいかと聞かれたので、松井は豊前を部屋の中に通した。松井に勧められるがまま座ると豊前は寝間着浴衣の袂をごそごそと漁った。

「もう今日の手入れは終わったか?」
「これからだけど」
「じゃ、これ使ってみてくれ」

 豊前の袂から出てきたのは香油の試供品だった。万屋で買い物をした時におまけで貰ったらしい。貰ったのはいーけど俺こういうの使わねーからと言いながら豊前が試供品の封を切ると、花の香りが漂ってきた。これは薔薇の花の香りだ。いつもの香りもいーけどたまには違うのもいーよなとか何とか言いながら、豊前は松井の手や指、顔、髪に香油を塗り込んでいく。松井は内心で苦笑しながらそれを甘んじて受け入れた。豊前は自分の事には無頓着なくせに、松井の手入れには熱心だ。
 もしかしたら刀の手入れや愛車の整備と同じような感覚なのかもしれない。それを喜んでいいのか微妙なところだが、大切にされているんだという事にしておく。松井も元は刀という物だ。大事に扱われて嫌な気はしない。
 香油を塗ってむぎゅむぎゅと揉むように(曰く、はんどまっさーじ……らしい)松井の手や指を握っていた豊前だったが、松井に見られている事に気づくとほんの少しだけ目を逸らした。

「いつもの松井と違げーから、何か変な感じがする」
「浮気しているみたい?」
「こら。ンなわけねーだろ。昼間のことは忘れろ。いいな」
「昼間のこと?何のことかな?」
「まーつーいー」
「痛っ」
「お前が悪い」

 豊前とのこういう何気ないやり取りも松井は好きだ。じゃれあっているうちにひとしきり揉み込み終えたのか、満足した様子の豊前が松井から手を離した。視線の先には試供品の空袋。後で捨てておくからそのままでいいと松井が言うと、豊前は何を思ったのか、試供品の空袋を逆さまにした。つつと時間差で豊前の手のひらに垂れる香油。今度は松井が目を逸らす番だった。豊前に他意は無い。無いはずだ。……たぶん。

「微妙に余ったな……
「自分にも塗ってみたらどう?」
「そーすっか」

 と言ってみたものの、豊前はこの手の物を使った事がない。毎朝の整髪剤と同じ要領でやればいいのだろうか。豊前は両手に香油を広げると自分の髪をわしゃわしゃ逆立てながらつけてみた。よくわからないが、だいたいこんな感じだろうか。最後に軽く手ぐしで整えると、豊前は手を下ろした。
 松井に塗り込んでいる時はそこまで気にならなかったが、何だか手がべたついている気がする。そのうち乾くのだろうけれど……。何とも言い難い表情の豊前に気づいた松井がちり紙を渡してくれた。
 手を拭いて汚れたちり紙を丸めると、松井がそれを豊前の手から攫ってくずかごに投げ入れる。ちり紙の球は壁に当たって跳ね返り、ぽすんと音を立ててくずかごに入った。

「ないす」
「投石兵に鍛えられたからね」

 投石はこの本丸で顕現した打刀の必修科目。実戦では投石兵にすべて任せる者もいるが、松井は自らも嬉々として敵陣に石を向かって投げ込む派だった。豊前が松井のコントロール能力を賞賛していると、松井が不意に表情を崩した。

「松井?」
「その、お揃いだなと思っただけ。君はあまりこういう物を使わないから」
「お揃い?あぁ、これか」

 松井は成分や香りを吟味して自身に合ったものを自分で選んで愛用しているが、豊前が使うのは風呂場に備え付けの共用のシャンプーとボディーソープだ。二振りが同じものを使い、同じ香りを纏う事は滅多に無かった。
 こういうお揃いも悪くないなと豊前が思っていると、松井がにじり寄ってきた。松井の夜着も豊前と同じ支給品の寝間着浴衣。その襟元から首飾りの鎖がちらりと見えた。

「豊前はこの後はどうする?もう部屋に戻る?」
「その言い方、帰ってほしくねーって言ってるように聞こえっぞ」

 豊前がにじり寄ってきた松井の体を軽く引き寄せると、松井が素直にその身を預けてくる。安心したように目を細める松井は、豊前の言葉を否定しなかった。腕の中に感じる松井の重みとふわり漂う揃いの薔薇の花香。豊前はそれを何だかやけに愛おしく感じた。


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いつものぶぜまつの松井は菖蒲の香り。


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