いくら神に連なる者とはいえ、刀剣男士の器は人間の体を模している。霞を食べて生きていく事は不可能で、人の子と同じように食事をする。当然、その食事を用意するのは自分達だ。厨仕事の得意な者を中心に当番を決め、ここで共に暮らす刀剣男士達の食事を用意していた。
本日、松井江は夕餉の厨当番だった。夕餉の厨当番は八つ時を過ぎたら厨に集まり、夕餉の用意を始める。松井が一心不乱に小魚の下処理をしていると、不意に足下が温かくなった。
「君は……」
足下にいたのは猫。納屋を根城にしている三毛猫だ。複数の男士から餌やおやつを貰っているらしく、前に見た時よりも一回りか二回り大きく、そして丸くなっているような気がする。
この本丸に住み着いているという事は、何らかの霊的な力を持った化け猫の仲間だと思うのでさほど心配していないが、猫としてこの見た目はいいのだろうか。ずんぐりむっくりと称するのが相応しい形に育っている気がする。
「僕に擦り寄っても何も出てこないから」
松井にとってこの三毛猫は敵だ。非番の彼を夢中にさせる、憎き奴。三毛猫の方もそれをわかっているのか普段は松井に近寄ってこないのに、今は擦り寄ってにゃあんと鳴き声を上げている。
いつもこうやって彼に煮干しをねだってきたのだろうか。そう思うと少し腹が立った。
「魚が気になるんだろうね」
松井が困ったなと目で助けを求めると、助けを求められた今日の厨当番の仕切り役、歌仙兼定が苦笑した。三毛猫が本丸に住み着いた当初は煮干しの減りがやけに早いと訝しんでいた歌仙だが、暇を持て余した男士達が気まぐれに煮干しを与えていると知ってからは、塩気の少ない煮干しを別に用意している。
「一尾ぐらいなら与えても構わないよ」
「だめだ。これ以上丸くさせるのはいかがなものかと思う」
「おやおや。松井は手厳しいね」
だめだと言ったところで、三毛猫は松井の足下から動かない。粘ればおこぼれに預かれるとでも思っているのだろうか。僕は彼みたいに甘くないんだと、松井は心を鬼にした。
三毛猫を無視して、小魚の下処理に戻る松井。松井の目の前には気が遠くなりそうな小魚の大群がある。ここには五十を超す男士達が暮らしており、食事の用意も楽ではない。全員の腹を満たすだけの小魚の内臓を取って洗ったら、それを片っ端から素揚げにするという大仕事が待っているのだ。三毛猫に構っている時間は無い。
黙々と小魚のエラを開いては内臓を取り除き水で洗う作業を繰り返していた松井だが、ついに折れた。
「……歌仙、煮干しはどこ?足下が鬱陶しくて仕方ないんだ」
様子を窺うように内番着に爪を立てられてしまっては敵わない。根負けした松井は下処理の手を止めると、歌仙に三毛猫用の煮干しの場所を尋ねた。乾物類の戸棚の一番端にあった、「猫用」と大きく書かれた瓶に入った煮干しをいくつか手に取ると、松井は三毛猫の前にちらつかせた。
これをあげるから邪魔しないでくれと言って三毛猫の前に置くと、松井は作業に戻った。まだ小魚の下処理は終わらない。あと三分の一ぐらい残っている。
歌仙がくすくすと忍び笑いを漏らしているのに気がついた松井は、思わず小魚の頭を引きちぎってしまった。……これは責任持って僕が食べよう。松井は少しだけむくれた。
それ以来、何故か松井は三毛猫に絡まれるようになった。今までは松井の事を「いつも煮干しをくれる男士とよく一緒にいる」程度の認識しかしていなかっただろうに、現金な猫め。
今日も松井が部屋の障子を開けて仕事をしていると、いつの間にか部屋に入り込んでにゃあんと甘えるように擦り寄ってきた。
「僕は何も持っていないから厨に行きなよ。誰かいるだろうから」
そう言ったところで三毛猫は動かない。しばらくじっと松井の事を見上げていたが、諦めたのかぷいと横を向いた。そして何故か松井の横で丸くなった。――ちょっと待って、ここで寝るの?松井の狼狽えなんぞはどこ吹く風で、三毛猫は居眠りを決め込んだ。実はこの部屋、日当たりがいいのだ。南泉一文字が部屋を変わってほしいと羨ましがるぐらいには。
「……毛だらけにしないでくれよ」
はぁ、と松井はため息をついた。別に松井だってこの三毛猫が嫌いなわけではない。ちょっとした敵なだけで。でも今は一時休戦中だ。遠征中の部隊はまだしばらく帰ってこない。彼が遠征から帰ってくるまでは、彼の帰りを待つもの同士として少しは仲良くしてやってもいい。
松井は三毛猫にそろりと手を伸ばした。毛並みの触り心地は悪くなかった。
「何で僕のところに来るのかな……」
ここは松井の息抜き場だ。生活区域から離れている事もあり、本丸の中でもあまり人が通らない静かな場所。目の前には生け垣しかないが、日当たりがよくて風の抜けるお気に入りの場所だった。この場所自体は他の男士も知っているけれど、ここが松井の息抜き場である事を知っているのはきっと一振りだけ。
縁側に腰掛ける松井の傍らには緑茶と団子。松井が書類仕事で疲れた頭を癒やしているいると、今日もまたふらりと三毛猫がやって来た。ここ最近、毎日の様に姿を見ている気がする。
「ちょっと。勝手に乗らないでくれ」
どすんと膝の上に感じる重み。三毛猫だ。今日は松井におやつをねだりに来たのではなく、寝床にするために来たらしい。少し前までは近寄ってくる事すらなかったのに、急に距離を縮めてきたぞこの猫。厨当番の時に煮干しを与えたのが理由だろうか。それとも、あまりにおやつをねだってくるものだから、こういう物も食べるだろうかと思い、万屋で買った猫用おやつというものを与えてしまったのが間違いだったのだろうか。
三毛猫には「こいつもおやつをくれる男士の一振り」として認識されているのだが、松井はその事にまだ気づいていなかった。
「……早く帰ってくるといいね」
いつも煮干しをくれる男士が帰ってきたら松井の役目は終わる。休戦は終わり、以前のように彼を巡る敵になるのだ。とはいえ、彼が不在の間の物足りなさを埋めてくれたから、そこだけは感謝しなくもない。
松井はおそるおそる膝の上を陣取る三毛猫を撫でてみた。松井は五虎退の虎にも滅多に触れないから、加減がよくわからない。確か彼はこんな感じで触れていたような……という記憶を頼りに、撫でてみた。
三毛猫は嫌がる素振りを見せず、膝の上から動こうとしないから、おそらくこれで正解なのだろう。
――今朝、遠征部隊が帰還の途に着いたと審神者が言っていた。しかし具体的な帰還時刻は聞かされていない。今は八つ時だが、遠征部隊はまだ帰ってきていない。彼らの帰還は夕方か、それとも夜中か。もしかしたら明け方かもしれない。明日は非番だから帰りを待ちながら起きていても構わない。
そうと決まれば少し仮眠を取りたいところだが、膝の上の三毛猫は微動たりともしてくれなかった。無理矢理動かすのも何だか悪い気がする。松井はさてどうしたものかと唸った。
その時だった。
「松井」
数日、いや、数週間ぶりに聞く声。松井は振り返った。――豊前江だ。
「ただいま」
「……お帰り。遠征お疲れさま」
松井がここでぼんやりと息抜きをしている間に遠征部隊が帰ってきていた。少し疲れの色は見えているが大きな怪我は無く、元気そうで良かった。汗や埃を流すために湯を浴びたのか、豊前は内番着だった。
「やっぱりここだった」
「探していたのかい?すまない。それなら悪いことをしてしまった」
「部屋にいなけりゃここだろーなって思っとったから、そんなに探してねーっちゃ」
そう言って松井の隣に座り込む豊前。お前もここにいたのかと、松井の膝の上を陣取る三毛猫に気がついた。
「すっかり懐かれたみてーだな」
「一度煮干しをあげたらこうなった」
三毛猫も豊前に気がついたのか、目を開けるとにゃあと甘えたように鳴いた。うりうりと撫でて構う豊前。豊前に構われて嬉しいのか、三毛猫はごろごろと喉を鳴らしている。
豊前が帰ってきたので休戦は終わったのだが、もう少しだけ延長してやってもいい。これは豊前のためだ。松井は自分にそう言い訳した。
「……っし、終わり。ほらどいた」
豊前は三毛猫をむんずと掴むと、松井の膝の上から下ろした。下ろされた三毛猫が不満そうな鳴き声を上げたが、豊前はお前が悪いと一蹴した。そして代わりに自分の頭を松井の膝の上に乗せた。
「豊前!」
「松井の明日の予定は?」
「特に何もないけれど……」
「そっか。じゃあ一緒にいれるな」
適当な時間になったら起こしてくれと言って、豊前は目を閉じた。
柔らかな日の光と吹き抜けるそよ風。気づけば三毛猫も反対側で丸くなっていた。
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猫曰く、松井はちゅ~るをくれる良い奴。そして猫は空気が読めるので邪魔をしない。
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