ナガレ
2021-10-25 20:43:52
6263文字
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豊前くん、風邪をひく(ぶぜまつ)

2021/10/31開催の豊前江Webオンリー#ぶぜイベで展示していたものです。タイトルそのまま、風邪をひいた豊前の話。

 ――体が重い。

 朝起きてまず思った事はそれだった。出陣続きで疲労が溜まったわけでもないのに、一体なぜ。確かに昨晩は少し夜更かしをしてしまい、いつもより睡眠時間が短かった。でもこれは明らかに寝不足による体の重さとは違う。豊前江はいつもより重たい体と痛む節々を抱えながら医務室に向かった。
 本丸の医務室は朝から空いている。調子が悪いと言って朝早くから医務室を訪れる者が多く、度々起床時刻前に起こされて嫌気がさした審神者が、医療の心得のある者達が交代で早朝から開けるように命じたのだ。
 朝餉の時間になると一度閉まる医務室の早朝開放、主な利用者は軽い怪我をした夜戦帰りの刀剣男士や、薬を貰いにきた飲み過ぎ食べ過ぎの刀剣男士達。なので、そのどちらでもなさそうな豊前の姿を見た医務室筆頭の薬研藤四郎は「おや?」という顔をした。

「豊前の旦那が夜戦でもないのに朝から来るなんて珍しいな」
「おー。ちっと調子が悪ぃみてーでな……

 豊前は薬研に自分の体調を伝えた。体が重い、頭が痛い、頭だけではなくてあちこち痛い、あと少し熱っぽい……等々。一通り豊前の話を聞いた薬研は、豊前に質問をした。見当はついているが、一応確認である。

「寝る前は何ともなかったんだよな?夜は何してた?」
「陸奥守達に誘われて、大乱闘ナントカカントカってやつで遊んでたな」
「その前は?」
「飯食って、風呂入って……で、部屋に戻る途中で声かけられて……
「ここ最近、夜は冷えるようにってきたからなぁ。風呂出た後、濡れた頭で大乱闘してたんだろ。あぁ、そうだ。体温計の使い方は知ってるか?」

 長兄の目を誤魔化して参加していた兄弟達から、薬研は昨夜の大乱闘ナントカナントカ大会について聞いていた。そんなすべてお見通しの薬研に豊前は苦笑いするしかなかった。除菌ガーゼで拭いてから渡された体温計。これの使い方は知っている。豊前は頷くとそれを脇の下に挟んだ。待つこと一分半。ピピピピと電子音が鳴り、数字を見た薬研が眉を顰めた。

……完全に風邪ひいたな」

 体温計の液晶画面に表示された数字は、豊前が普段見た事のない数字。風邪というと、あれか。人間がよく患うやつ。審神者も年に数回それを患うと聞いた。
 豊前は元が刀でも風邪をひくのかと不思議に思ったが、薬研曰く刀剣男士の体はそうできているらしい。きっぱり風邪だと言われると、心なしかさっきよりも調子が悪くなってきた気がする。ぞくぞくと悪寒のようなものも襲ってきた。

「感冒に効く薬を渡しておくから、それ飲んで一日おとなしく寝てりゃすぐ治る。お大事にな」

 寄り道厳禁。薬を渡された豊前は医務室を出て、すごすごと部屋に戻った。薬研は薬を飲んで寝れば治ると言っていた。とりあえず薬を飲んだら寝てしまおう。布団を敷きっぱなしにしたまま出てきて正解だった。れっすんの約束をしていた篭手切には悪い事をしてしまったと思う。あんなにも楽しみにしていたのに申し訳ない。部屋に戻りがてら豊前は篭手切に謝罪のメッセージを送った。今日の埋め合わせは必ずする。ただの風邪だから心配するな。看病の必要もないと書いて。
 部屋に戻る前に厨へ向い、水を一杯貰って薬を流し込んだ。厨当番にどうしたのかと聞かれたので、風邪をひいたみたいだと答えると、お大事にと言われてしまった。――病は気から。こう何度もお大事にと言われると、本当に体調が悪くなってきた。さっさと布団に入って寝てしまおう。豊前は足早に自室に戻った。


 それから数刻後。豊前が目を覚ますと何故か部屋に松井がいた。松井は豊前が目を覚ました事に気づくと、目を通していた書類の束を文机の上に置き、寝起きの豊前に近づいた。

……起きたのかい?体調はどう?」
「松井……
「そうだよ。僕は松井」

 豊前の答えになっていない答えに苦笑すると、松井はぺたりと豊前の額に手を当てた。触れた豊前の額はまだ熱くて、豊前が触れられた松井の手に対して思わず冷やっこいと漏らしてしまうぐらいには熱かった。

「そろそろ昼時なんだけど、雑炊ぐらいなら食べられそう?」
……食べる」
「食欲があるなら安心だ」

 用意してくるから少し待っていてくれと言って、松井は豊前の部屋から出て行った。――急に部屋が広く感じられたのは、きっと気のせいだ。豊前はのろのろと起き上がると、枕元に置いてあった水差しから水を貰った。松井が持って来てくれたのだろうか。水差しの水は適度に冷たくて、熱を帯びた体に染み渡る気持ち良さだった。体感だが、朝よりはマシになっている気がする。
 水差しと湯飲みの乗っていた盆の上には、薬研から渡された薬も乗っていた。よろよろしながら部屋に戻ってきた後、適当に放った記憶があるから、畳の上に落ちていたものを松井が拾って一緒にしてくれたのだろう。礼を言わねば。どこに行ったかわからなくなり、風邪っ引きの体に鞭打ってもう一度医務室まで貰いに行く羽目になっていたかもしれない。
 しばらく布団の上で座ったままぼんやりしていると、障子に誰かの影が映った。……松井だ。外から「入るよ」と松井の声が聞こえて、すっと障子が開いた。足で開けたのは見なかった事にしておこう。両手が塞がっていたのだから、仕方ない。

「雑炊。少し冷ましてから持って来た」
「ありがとな。松井の昼飯は?」
「僕は後からそれの残りを貰うつもり」

 食欲があると言っても、さすがに一人前を食べきるのは厳しい。土鍋の中身を椀に軽く一杯よそうと、松井はどうぞと言って豊前に渡した。
「いただきます」
 木匙で掬ってまずは一口。……風邪をひいて味覚が少々麻痺していてもわかる。雑炊は何と言うか、とても大味だった。目分量の顆粒出汁で作った汁に炊いた米を入れて溶き卵を落としてからとりあえず醤油で味をつけました、とかそんな感じの味だ。
 こういう時は炊事に慣れた者が作る事が多いのだが、今日は誰もいなかったのだろうか。大味だが普通に食べられるし、こちらは作ってもらった身だから文句は言わない。黙々と食べていると、豊前の視界に松井の手がふと入ってきた。いつものように白い手の甲だが、今はそれが少しだけ赤くなっていた。もしかして、この雑炊――
「もういいの?」
「あぁ。ごちそーさん」

 いつもの豊前の食事量では考えられないが、今は碗に軽く一杯で十分だった。豊前から空になった椀を受け取ると、松井は代わりに水の入った湯飲みを渡した。次は薬を飲めという事か。かなり苦いんだよなこれ……とぼやきながら、豊前は粉薬を水で流し込んだ。
 粉薬は噎せそうになるから苦手だ。しかし松井の前でそんな姿を見せるわけにもいかない。案の定噎せそうになったが、そこはぐっと堪えた。湯呑み一杯分の水では喉に残る粉っぽさを拭うには足りなかったので、豊前は松井に空の湯呑みを差し出した。何も言わずに松井は水差しから湯呑みに水を注いだ。それを飲み干すと粉っぽさも消えてくれた。

「じきに薬が効いて眠たくなってくるだろうから、寝てしまった方がいい。不調は寝て直す派なんだろう?」
「まーな。今は寝るしかねーし、寝とく。松井はどーするんだ?」
「君が寝たらこれを片づけに行くよ」

 松井におやすみと言われてしまったので、豊前は素直に布団に入って目を閉じた。何かごそごそと物を片づけている物音が聞こえてくる。そう言えば、洗濯の終わった衣類が出しっぱなしだった。別にそんな事しなくてもいいと松井に声をかけようとしたが、眠気の方が強かった。
 すぐには眠たくならないだろうと思っていたが、腹が満たされた事と薬の影響で眠気は案外早くやって来た。意識がすーっと遠くに引っ張られていく、そんな感覚。それでもこれだけは松井に伝えなければ。豊前は松井を呼んだ。

「松井」
「どうかした?具合悪い?」
「ちげーよ。机の上の箱の中に……

 半分寝入りばなの声。豊前が何かごにょごにょと言っていたがよく聞こえず、松井が振り向いて聞き返すよりも早く寝息が布団の中から聞こえてきた。豊前は相変わらず寝つきがいい。残った雑炊と空の椀と匙を盆に乗せると、松井はかろうじて聞き取れた通りに文机の上の箱を開けた。

(豊前、気づいていたのか……

 箱の中には細々とした日用品と一緒に傷薬が入っていた。日常生活におけるたいていの怪我にはこれで十分効くという、万屋で売っている人間の体用の軟膏だ。
 少しだけ赤くなっていた松井の白い手の甲。豊前は松井が軽く火傷してしまった事に気づいていた。じっと己の手を見ていた松井だったが、ふと思い出したようにすっかり冷めてしまった雑炊を土鍋から直接匙で掬い、一口食べてみた。……我ながら何とも言えない微妙な味だ。彼はこれを何も言わずに食べてくれたのか。
 ――豊前の豊前たる所はこういう所なんだよね。松井から笑みが溢れる。傷薬を手の甲に塗ると、松井は豊前の部屋をあとにした。


 次に豊前が目を覚ますと、部屋には明かりがついていた。もう夕刻なのか。松井はどうしたのだろうか。今日は非番ではないから、仕事に戻ったのだろうか。部屋の中は温かいけれど、しんと静かだった。
 こんなにもぐっすりと寝たのはいつ以来か。寝過ぎで体は痛いが、重さや怠さは解消された。この感じなら明日には快復しているだろう。さすがは薬研印の特攻薬だ。中に何が入っているのか、詳しく聞きたくないけど。変なものは入っていないと信じたい。
 寝過ぎで固まってしまった体を伸ばそうと起き上がろうとした豊前は、机に向かう背中に気がついた。……松井だ。

「松井、いたのか」
……豊前。体調かなり良くなったみたいだね」
「おかげさまでな。これなら明日は普通に動けそうっちゃ」
「それならよかった」

 机の上には書類が散らばっている。松井はここで仕事をしていたのだろうか。そう言えば、前に言われた事がある。「豊前江、君が寝込むと松井江が使いものにならないから体調管理にはくれぐれも気をつけてくれ」と。あの時はどういう意味かさっぱりわからなかったけれど、今なら何となくわかる気がする。

「ずっとここで仕事してたのか?」
「うん。豊前が寝た後で執務部屋に行ったんだけど、お前は豊前についていてやれと追い出されてしまって。すまない。机、勝手に借りてた」
「別に机ぐらい勝手に使ってくれていーけど……そうか……

 松井はずっとここにいた。額に貼られた冷却シートがまだ冷たいのも、枕元に置かれた水差しの水がなみなみと残っているのも、全部松井がやってくれたのか。豊前は申し訳なさ半分、嬉しさ半分だった。

「そうだ。少し早いけど、夜ご飯持ってくるよ。食べられそうかい?」
「おう。腹減ってるから食う。松井は?」
「僕もここで食べちゃおうかな。うどんでいいよね」

 ささっと文机の上の書類や筆記用具を片づけると、松井は豊前の部屋を出て行った。首筋を触ってみた限りでは、もう熱は引いたと思う。立ち上がった豊前は、大きく伸びをしたり屈伸してみたりした。朝はあんなにも重たかった体が、今は嘘みたいに――とは言い過ぎだが、かなり軽くなっていた。
 松井が戻ってくるまでもう少し時間がある。場所でも作っておくかと、豊前は布団を端に寄せて部屋の隅に立て掛けていた小さな折りたたみ式の机を広げた。そして何やら少し考えると、文机の上の箱の蓋を開けた。

――すまない。開けてくれないか?」
「おー」

 ぼーっとしながら松井の戻りを待っていると、外から声を掛けられた。――松井だ。さすがの松井も二人分のうどんを持った状態では障子を開けられないようだ。立ち上がった豊前が障子を開けると、両手それぞれにどんぶりの乗った盆に持つ松井がいた。少し柔らかめに茹でてもらったといううどんは、昼の雑炊と違ってしっかりと出汁の香りが漂っていた。
 やはり昼間の雑炊は松井が作ったのだ。厨当番ぐらいでしか料理をしない松井が記憶を頼りに、豊前のためだけに。そう思うと、あの大味も最高の美味だったと思えてくる。我ながら単純だと思わなくもないが、この器の模写元である人の子の心理というものはそういうものなのだろう。

「どうぞ。歌仙の自信作だ。監修は青江。熱いから気をつけて」
「ありがとな。ふたりにも後で礼を言っておくか」
「そうだね。みんな心配していたけれど、理由を聞いて少し呆れてもいたよ」
……出所は薬研か」
「それはどうだろうね」

 盆を二つ置くとはみ出してしまいそうな小さな机。早速食べようかと箸を手に取る松井を、豊前が制した。豊前には食べるよりも先に、やらねばならない事がある。

「松井、手ぇ出して」
「え……
「いいから」

 そう強く言われた松井がおずおずと差し出した手――と反対側の手を掴む豊前。ほら、やっぱり。松井が咄嗟に後ろに隠した方の手の甲は赤かった。

……心配かけてごめんな」

 傷薬の蓋を開けると、豊前は松井のまだ赤みの引かない手の甲に塗った。松井はいつ知ったのだろうか。篭手切から聞いて知ったのか、執務部屋で誰かに聞かされたのか。どんな経緯にせよ、心配させてしまった事には変わらない。豊前だって松井が不調だと心配で仕方ないし、ずっとそわそわしているのだから。

「きっと明日は元気になってっから、看病の礼をさせてくれ」
「そんなのいいよ。どうしようもない理由で風邪ひかないでくれれば」
「あー……そこは少し反省してる」

 本当に要らぬ心配をかけさせてしまった。自業自得だとしか言えない理由なのに、松井はずっと付きっきりでいてくれた。豊前が松井の手の甲、薬を塗っていない所に軽く口づけを落としすと、くすぐったそうに松井が手を引っ込めた。

「いつか松井が寝込んだら俺が看病してやっからな」
「君にできるの?治るものも治らない気がするし、遠慮しようかな……

 ふふっ、と笑みを見せる松井。やっと松井が笑ってくれた。目を覚ますたびに体調はどうかと問い掛けてきた松井は、笑みを浮かべていてもどこか翳りがあった。でも今はそれが無い。心配そうな顔や翳りや憂いを帯びた顔、暗い顔よりも、こうやって花が綻ぶようにそっと笑う顔の方がずっといい。

「豊前?どうかした?」
……いや、別に。何でもねーよ」

 うどんもそろそろ冷めて、猫舌の豊前の食べ頃になっただろう。箸を取り、二振りで声を合わせて――

「いただきます」


 そして夜。豊前の風邪は他刀に移るようなものではないから今日はついていてやれと言われてしまったと、風呂上がりの松井が布団を持ってやって来た。さすがにそこまでは必要無いと丁重に断ろうとした豊前だが、ちゃんと髪の毛を乾かしてから来たよと言われると言葉に詰まってしまう。
 もしかしたら夜中に悪くなるかもしれないし、みんなからそばにいてやれと言われたんだと主張する松井。結局豊前は断れず、松井の好きにさせた。
 どこか楽しげに、いそいそと隣に布団を並べる松井。それは豊前の世話ができる事に対するものなのか、それとも。
 そういえば、ここ最近二振りだけの時間を作れていなかった。できれば風邪はひきたくないが、こういうのもまぁ悪くないなと思う豊前だった。


【終】


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