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ナガレ
2021-04-10 01:05:26
6495文字
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そして波間に消えていく(ぶぜまつ)
それが最初で最後だった。目の見えない松井と面倒を見る豊前の特殊設定で、たぶんメリバの心中エンド。一部、「Petshop of Horrors」という漫画のバジリスク回のエピソードを取り入れています。
「顕現したばかりの松井江を保護した。しばらく面倒を見てやってくれ」
豊前江は政府機関に所属する刀剣男士だ。元々はある本丸で顕現したのだが、その本丸の審神者が勇退する際に転籍をした。本霊に戻り新たな審神者の元で顕現するという選択肢も示されたが、その顕現がいつになるかわからないし、今までの経験を忘れてしまうのも何だか勿体ない気がした。案外そういう刀剣男士は多いのか、あっさりと政府機関への転籍が決まり、刀剣公務員男士として豊前は日夜奔走していた。正直な事を言うと、本丸にいた時の方が暇だったかもしれない。少なくとも、休み返上で呼び出される事は滅多に無かった。
「保護した?」
「そうだ。救助信号を受けて向かった時には松井江以外の刀剣男士は元の姿に戻ってしまっていたし、審神者はすでに息が無かった。そんな中、唯一無事だったのが松井江だったというわけさ」
「襲われたってわけでもなさそーだな」
同じ政府機関に所属する同僚の審神者(上層部の役職者は別として、現場の職員は全員審神者だ)に事情を聞きながら、豊前はとある施設
――
何らかの問題を抱える刀剣男士を保護している施設に来ていた。今回保護されたのは顕現したばかりの松井江。顕現早々に彼の本丸は崩壊し、ぽつんと一振り取り残されてしまったのだという。それだけ聞けば時間遡行軍の本丸襲撃を疑うが、どうやら事情は違うらしい。同僚の彼は何か知っているようだが
……
。
この部屋だと言って立ち止まると、同僚は部屋の扉をコンコンとノックを二回した。中から「はい」と返事が聞こえた。それからきっちり三十秒待ち、部屋の扉を開ける。この松井江の部屋の扉はすぐに開けてはいけない決まりなのだと同僚は言った。部屋の真ん中には小さな机と椅子があった。椅子に腰掛けていた松井は扉の開いた音に気づくと、立ち上がってこちらを向いた。
「やぁ。調子はどうだい?」
「特に変わりはないよ。
……
おや?今日は他にも誰かいるみたいだね」
こちらを向いた松井江を見て、豊前は「え
…
」と小さな声をあげた。彼の目元が布で覆われていたからだ。その布から、わずかではあるが霊的な力の存在を感じた。
「昨日伝えたように、君の世話をしてくれる者を連れてきたんだ」
「あー、しばらく面倒を見ることになった。よろしくな」
「こちらこそよろしく。ところであなたは
……
?」
「豊前江。こいつと同じで、政府職員やってる」
「豊前江さん」
「豊前でいーよ。何つーか、むず痒い」
豊前のいた本丸に松井江はいなかった。顕現する前に審神者が勇退したからだ。政府機関や視察先の本丸で見かけた事はあるので、松井江の存在は知っている。知っているというだけで、言葉を交わした事は一度も無い。豊前が松井江について知っている事といえば、刀工が同じ江の者だという事、よく血を流したがる事、実務が得意なので政府機関への転籍が決まった松井江は水面下で取り合いになるという事ぐらいだ。
豊前江と松井江と鋼を分けた兄弟刀のようなものだから、意思疎通を図るのもそこまで難しい相手ではないだろう。ということで、豊前に白羽の矢が立った。ちょうど手の空いている江が己しかいなかった
――
らしい。らしいというのは、「君、明日付で異動出たから」と偉い人に言われて豊前自身も初めて知ったからだ。紙切れ一枚であちらこちら行かされるのも楽じゃない。
「面倒見ろって言われたけど、何か困ってることあんのか?」
「そうだね
……
。目が見えなくて不便だというぐらいかな」
「だよな。どーにかしてやりたいのは山々なんだが
……
」
「この目隠しは絶対に外してはいけない。取っていいのはこの部屋で一振りきりの時だけ、だろ?」
松井はこの部屋に入れられた時、目隠しを決して外すなときつく言われた。理由は聞かされていない。言う必要も聞く必要も無いと判断されたからだろう。表向きは刀剣男士の保護施設を掲げているが実態は違う。ここに来て数日、松井はそれを薄々感じていた。
「
……
保護されるというのも、案外退屈なものだね」
本丸を失った松井に与えられたのは、一人で過ごすには少しばかり広い部屋。寝台と小さな机と椅子があるだけの殺風景な部屋だ。部屋には出入り口とは別の扉があって、その向こうには洗面台と厠がある。部屋に明かり取り用に窓はあるが、曇り硝子で向こう側の見えないその窓は開かなかった。
日に三度運ばれてくる食事は栄養を摂るためだけのもの。目の見えない松井がこぼすといけないのでチューブに入っており、文字通り「栄養補給」の意味しか持っていなかった。湯浴みの時も目隠しを取る事は許されず、部屋に戻ってきてから濡れた布を取り替える事しかできない。
本は指定されたものなら読めるが、テレビや映画といった映像類は禁止。話を聞いた豊前は唖然とした。
――
まるで座敷牢じゃないか。
「
……
つきっきりってのは難しいかもしんねーけど、なるべくここにいるようにする」
道理で同僚も詳しく教えてくれなかったわけだ。豊前はできるだけ松井との接点を持とうと決めた。
「つきっきりって、自分の仕事はいいのかい?」
「松井の面倒を見るっつーのが今の仕事だからな」
豊前は松井と食事を共にする事から始めた。部屋に椅子は一脚しかなかったから持ち込んだ。小さな机を挟んで松井と向かい合う豊前。豊前が食べているものの匂いや食器の音に興味を持ったのか、松井がちらちらとこちらを気にしている。これぐらいは構わないだろうと、豊前は一口分をすくって「食べてみるか?」と松井に向けた。松井は少し悩む素振りを見せたが、「食べてみたい」と言ってぱくりと口にした。今日の昼食はカレーライス、こんなの初めて食べたと松井は喜んでいた。
豊前の苦手とする書類仕事は松井が手伝ってくれた。豊前が書いた書類の中身を(中にはマル秘もあるのでその辺りはもちろんぼかして)読み上げ、松井が間違いを指摘する。こうした方がわかりやすいんじゃないかと助言もしてくれた。豊前は松井江の取り合いになる理由がわかった。実務面において彼はとても優秀だ。しばらく席を外すから代わりに書類を書いてくれと半分冗談半分本気で頼んでみたら、本当に苦手なんだねと少し呆れられてしまった。
「手伝ってあげたいのは山々なんだけど、もっと文字を覚えないと。さすがに南蛮の言葉は難しい」
「そーいや、そうだったな。今度教えてやるから、よろしく頼む」
「だったら自分でやるとは言わないんだね。別にいいけど」
時には外出許可を取り、気分転換だと称して松井を外に連れ出した。本丸時代からの給金を貯めて買った愛車の後ろに乗せて、海へ、山へ、川へ。見えなくてもあんな殺風景な部屋の中ばかりでは気が滅入る。豊前は己が持つ言葉の限りを使って、自分が見ている目の前の光景を松井に伝えた。見えなくとも松井は全身で感じ、その感想を豊前に教えてくれた。
それが嬉しくて、豊前は松井をどこへでも連れていった。時に意見の相違でぶつかり合う事もあるけれど、感情を共有できる事が楽しかった。
他に業務を抱えていないわけではないから、まれに出張が入る事もある。そのたびに豊前は必ず松井に土産を渡した。土産は食べ物が多かったけれど、目隠しを外す時があれば見てくれと言って絵葉書を渡した事もある。豊前はこんな素敵な景色を見たんだねと、松井は部屋の扉に絵葉書を飾ってくれた。絵葉書は一枚、二枚と増えて
いき、殺風景な松井の部屋に色を与えた。
打ち解けた二振りの距離が縮まり、一線を越えたのは必然だったのかもしれない。互いを想うようになるのはあっという間だった。松井はここの職員達、特に人の子にあまりよく思われていない。あの松井江には深入りするなと豊前も幾度となく釘を刺されていた。だから二振りの仲は密やかに、根を張るように深まっていった。
松井にとって豊前は世界のすべて。真っ暗な松井の世界を照らしてくれる光だった。君は僕を理解してくれる存在だと言って懐き慕う松井に豊前は絆された。未だに目隠しの謎は解けないが、豊前は松井を引き取りたいと思っている。松井と共に生きていくためには何が必要かを考えるようになった。まずは松井がここから出られるように働きかけよう。彼に何か問題があるようには思えない。
「絶対ここから出してやる。そしたら一緒に暮らそう」
「一緒に
……
」
「嫌か?」
「
……
ううん。嬉しい」
ささやかだけれども幸せな未来が待っている。少なくとも豊前はそう信じていた。
――
この時までは。
一仕事終えた豊前がいつものように松井の部屋に行こうとすると、辺りを憚るように同僚が声を掛けてきた。いつも快活な同僚には珍しく、その表情は暗かった。何か重たい話でもあるのだろうか。豊前は物陰で話を聞く事にした。
「どーした?」
「お前さ、何だかあの松井江に肩入れしてるみたいだから、一応伝えた方がいいと思って」
豊前にとって「あの」松井江は一振りしかいない。豊前の表情が強張った。彼は一体何を伝えたいと言うのだろうか。良い話でない事だけはひしひしと伝わってきた。
「松井江の処分が決まった」
「処分」
「あれは呪詛を受けている。
……
刀解だ」
呪詛とは一体何だ。刀解とは一体どういう事だ。穏やかでない単語を聞いて思わず詰め寄った豊前に、同僚は言葉を濁しながらも教えてくれた。松井の顕現した本丸が崩壊した原因は他ならぬ松井自身。この世に生まれる時に何か不浄なものを取り込んでしまったのか、彼はその身に呪いを受けて生まれてしまった。目隠しの布は霊力の込められた封印で、彼の持つ呪いの力を発揮させないようにするもの。そしてその呪いとは
――
。
話を聞いた豊前は「そうか」と短く呟いた。松井の刀解は明朝行われるという。松井にも豊前にも事前に知らされる事なく行われる手筈になっていた。
ずっと面倒を見てきた相手だ。深入りするなと忠告したが、それでも多少の情は移っているだろう。今はそっと一振りにしてあげた方がいいと判断した同僚は、豊前に慰めの言葉をかけると立ち去った。
(明日の朝
……
)
豊前は唇を噛み締めた。そして松井の部屋に行く前に、足早にどこかへと向かった。
「
……
松井、入るぞ」
「豊前。今日は忙しいから来ないのかと思っていた」
豊前が松井の部屋を訪れると、いつものように松井が出迎えてくれた。何も知らない松井は豊前の来訪を喜んでいる。今日は何時までいられるのか、明日予定が無いなら泊まっていかないかと、明日の我が身を何も知らずに。そんな松井に豊前は切り出した。
「行きたい所があるんだ。ついてきてくれるか?」
「今から?」
「あぁ」
「わかった。少しだけ待って。着替えたい」
表情は見えないが声色でわかる。豊前は何かを決意している。松井は小さな胸騒ぎを感じながら豊前についていった。
豊前は松井の手を掴んで部屋の外に出ると、玄関ではなく奥の職員以外立入禁止の区域に歩いていった。今日の足は豊前の愛車ではなくて転送装置だった。ぽちぽちと転送装置に座標を打ち込む豊前。松井が勝手に使ってもいいのかと尋ねると、豊前はバレたら減給処分になるかもと返した。転送装置の無断使用は減給で済むようなものなのだろうか。
「ねぇ、豊前。一体何を考えているんだい?」
「何って、お前のこと」
「茶化さないで。僕は真剣に聞いているんだ」
「俺も真剣だよ。
……
ほら、着いたぞ」
「波の音
……
。ここは海の近く?」
「近くっつーか、海辺だな」
転送装置で飛んだ先は海辺。豊前と松井は波打ち際にいた。座標を誤ったのか、それともわざとなのか。足下が濡れて冷たかった。こんな所に連れ出してどうしたというのだろうか。ここに特別な何かがあるとも思えない。豊前の意図が掴めなくて松井は首を傾げた。
豊前はごめんなと一言だけ呟いた。松井の体を包み込むように抱き締めたかと思ったら、回された腕の力が一気に強くなり唇を重ねられた。存在確かめるように豊前の唇がじっと押し当てられ、名残惜しむようにゆっくりと離れていった。
「豊前?」
豊前は松井の呼びかけに応えなかった。松井は目隠し越しに視界が閉ざされたのを感じた。豊前が松井の目元に手を翳したのだ。もう片方の手が松井の後頭部に添えられ、しゅる
……
と縛られた布の解かれる音がして、ずっと目元を覆っていた圧迫感が消えた。豊前が手を離すと、解かれた目隠しは風に飛ばされ消えていった。
外気に晒された目元が冷たくて、松井はぎゅっと目を瞑った。
「好きだよ、松井。これからもずっと」
だからこっち向いてと豊前に乞われ、松井はそっと目を開けた。豊前と松井、二振りの視線が初めて交わる。豊前が愛おしそうに見つめる先は松井の青色だった。
――
ぽちゃん。
足下の水面に何かが落ちる音がして松井は我に返った。初めて外で目隠しを解かれた松井の前に現れたのは、息を飲むほどに美しい紅玉色だった。初めて見る豊前の紅玉。その美しさに松井は吸い込まれ、いつまでも見ていたかった。でも、持ち主である豊前はもういない。
初めて共に過ごしたあの夜、決して松井をひとりにしないと誓ってくれたじゃないか。必ずここから出してくれると、出たら一緒に暮らそうと約束したじゃないか。幸せにしてやると言ってくれたのは君じゃないか。
「わかっていたのに、どうして
……
」
一人目はこの世界でできた初めての主だった。その次は近侍の刀剣男士だった。何が起きたのかわからなかった。助けを求めようとした松井と目が合うと、仲間は片っ端から元の姿に戻り、理解した時には松井しかいなかった。松井は仲間達だったものをかき集めた。
救助信号を送ったのは松井自身。それを受けてやって来た政府の役人も動かなくなった。一人二人と倒れていき、ようやく松井が元凶だと気づいた誰かが後ろから近づいて、ターコイズブルーの目を塞いだ。そのまま松井は施設に移送され、保護という名の監視生活が始まった。
豊前の出張はすべて仕組まれたもの。彼がいない時、松井は大きな声で言えない事をたくさんされた。それは松井の持つ呪いの力を確かめるためのものであったり、そうでなかったり。松井はひたすらそれに耐えた。暗闇に差す一筋の光だけを信じて。
その光も今しがた消えた。松井にとって豊前は世界のすべてだった。松井を照らしてくれるものは何も無い。こんな事になるのなら、光なんて差さなくてもよかった。真っ暗なままでいたかった。絶望なんてさせないでほしかった。
どれぐらいの間、この場に立ち尽くしていたのだろうか。気づけば潮が満ちてきて膝の下まで水に浸かり、体はすっかり冷え切っていた。帰ろうにも帰り道がわからないし、帰る気にもなれなかった。松井はこのままここで果ててしまいたかった。でも、果てる方法がわからない。
……
そういえば、豊前が行きがけに何かを入れていた。松井はポケットの中をまさぐった。入っていたのは見た事の無い小さな道具。知識としては知っているが松井の身の回りには存在しない物、鏡だった。
すまない、豊前。僕は君を疑ってしまった。
彼は誓った事を忘れていなかった。どんな形であれ、豊前は松井をひとりにしない。先に行って待っているだけだ。
――
今そこに行くから。すぐに追いつくから。松井は震える手で鏡の蓋を横に滑らせた。
磨き上げられた鏡面が映したのは、日が沈んだ群青色の黄昏。次に青く染められた松井の指先が映り、位置を変えると血の気の薄い唇が映った。そして、
(僕の目、青色だったんだ
……
)
最後に見たのは濡れた青色。松井の手から滑り落ちた鏡は小石に当たって割れ、破片はざぶんと寄せては返す波に攫われていった。
次いで刀が二振り波間に消え去って、海は元の静けさを取り戻した。
――――――――――
ぶぜまつといえば海。
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