最近、やけに喉が渇く。水分が不足しているのかと思いこまめに水を飲むようにしてみたが、一時的に渇きは凌げてもすぐに渇きを覚えてしまう。それとなく他の男士達にも聞いてみたが、皆そのような事は無いと言う。これは体調不良、もしくは不具合を疑うべきかもしれない。豊前江は審神者の執務部屋に向かった。
「主、相談してーことがある」
「珍しいね。何かあった?」
「何かっつーかだな
……」
豊前はここ最近の己の体調について話した。一通り話を聞いた審神者は、「発症しちゃったか
……」と呟いた。どうやら心当たりがあるらしい。
「一部の刀剣男士で同じような不具合が報告されてる」
「一部?」
「そう、一部。豊前江は全体の顕現数自体が比較的少ないから、発症例も少なくてね
……」
「その珍しい不具合が出たってことか」
すでに不具合として報告されているなら解決策もあるはずだ。豊前は審神者をせっついた。しかし審神者は首を横に振った。
「今はまだ対処療法しかないんだ。うちの加州清光も発症したから薬で抑えていたよ」
「加州も?」
「うん。こんのすけ、加州清光を呼んできてくれないか。あの薬も持ってきてと伝えてくれ」
豊前はこれ
――喉がやたらと渇く事が不具合で、解決策は対処療法のみという事は理解できた。しかし、不具合は一体何なのかを審神者は曖昧にしてはぐらかしている。交渉事は得意でないが、これでも有象無象の魑魅魍魎が闊歩する時代を生き抜いてきた刀だ。どうやって審神者の口を割らせようか、豊前は頭の中に図を描いて策を張り巡らせた。
「
……主?薬持って来てくれってどうかした
――って、ついに豊前にも出ちゃったんだ」
持ってきてくれと言われた薬に豊前江。加州にはぴんと来たらしい。ご愁傷様と書いた顔で「水も持ってくる」と言い、一度引っ込んだ。
「いい加減わかるように説明しろっちゃ」
「百聞は一見に如かずって言うだろ。あれと同じだ。体験した方がわかるだろうし、こちらとしても確認したいことがあるんだ」
「加州が持ってる薬を飲んでみろってことか」
「そういうこと。はい、これ飲んでみて。
……これで何とかなればいいんだけど」
そう言うと、加州は白色の小さな錠剤一つと水の入った湯呑みを豊前に渡した。審神者もこんのすけも止めないところを見る限り、加州の持ってきた薬は怪しいものでは無さそうだ。万が一の自体が起こったとしても、手入れを受ければ何とかなるだろう。豊前は錠剤をぽんと口に放り込むと、一気に水で飲み下した。
豊前の喉がごくりと上下に動いて嚥下する。その様子を見守っていた審神者が声を掛けた。加州は何故か執務部屋の引き戸に手を掛けている。
「
……どう?」
「どうって言われても、特に何もね
………ぐっ!」
唐突に口元を抑え、ばっと豊前が立ち上がった。察した加州がさっと引き戸を開け、ばたばたと豊前は慌てて部屋を出て行った。審神者と加州はため息をつきながらその後ろ姿を見送った。
「
……主、あれ持ってくる」
「すまないね。あれは受け付けてくれるといいんだが
……」
洗面台で何度も口を濯いだが、不快感はなかなか消えてくれなかった。若干顔色の悪い豊前が執務部屋に戻ると、加州が「今度はこれ飲んでみて」と、審神者が書類仕事の修羅場時によく口にしているゼリー飲料のアルミパウチによく似たものを渡した。
が、先ほどの一件で懲りた豊前はなかなか受け取ろうとしない。完全に不審物を見る目だ。そんな豊前の態度に加州の眦がキッと釣り上がった。
「四の五の言わずにさっさと受け取れ」
「
……わーったよ」
刀としては豊前の方がずっと早くに生まれたが、刀剣男士としては加州の方が圧倒的に先輩だ。豊前は仕方なく加州の差し出したパウチを受け取った。プラスチックの蓋をねじ切って開けると、何だか嗅ぎ慣れた匂いがした。まさかこれは
……と審神者と加州を見たが、とにかく一度飲んでみろの一点張りだった。
中身を空にするまで教えるつもりは無さそうだ。諦めた豊前はなるようになれと、パウチの飲み口を傾けた。ずっと冷蔵庫に入っていたのか、中の液体は冷えていた。粘度は感じられず、舌触りはまるで水。匂いと味に目を瞑れば飲めるかと思ったのだが。
「
……無理みたいだね」
一口分を飲み下すのがやっとだった。これ以上は飲めないと、豊前は加州に突き返した。一体何を飲まされたのかと訝しる豊前に、審神者が種明かしをした。
「精製水ならぬ精製血液。ちなみにさっきの錠剤は疑似血液を固めたもの。飲みやすいようにコーティングしてあるから見た目は白いけど、中身は真っ赤。」
「はぁ?」
意味がわからない。どうしてここで血液が出てくるのだろうか。審神者を問い詰めようとする豊前を諭すように、加州がゆっくりと尋ねた。
「
……あのさ豊前。今、喉渇いてる?」
加州の問い掛けに豊前ははっとした。ここ数日、あれほど感じていた喉の渇きが和らいでいる。この短い時間で口にしたものといえば
――
「にわかには信じ難いことだけれど、これが一部の刀剣男士に起きている不具合だ。喉の渇きの原因は不明、血液を摂取すると緩和することだけがわかっている」
「っつーことは
……」
「喉が渇くのを我慢するか、どうにかしてあれを飲むか。この不具合が元で折れるようなことはないけれど、もし進行すれば耐え難い渇きが襲ってくるようになると聞く。どちらにしても君には辛いだろうね」
「主、脅し過ぎ。直らないわけじゃないし、症状が軽くなることもあるから、そんなに悲観しなくてもいいと思うよ。」
錠剤を飲むのが一番手っ取り早くて楽だという事は理解できた。だが、体が受け付けつけてくれなかった。不快感を堪えてあの飲料を飲み干すか、水分で誤魔化しながら症状が進行せずに軽くなるのを祈るか。根本的な解決策が早く見つかればいいのだが
……。
難しい顔で黙り込んでしまった豊前。加州は同じ不具合の経験者だが、経験者だからこそ豊前に慰めの言葉をかける事ができなかった。
「今はまだ大丈夫でも、そのうち辛くなる。自分も辛いけど、見ている方も辛いよ。もしかしたら飲まずにすむかもしれないけど、慣れるなら早いうちに慣れておいた方がいい。これは俺からのアドバイス」
「
……あんがとな。少し考えさせてくれ」
「厨の冷蔵庫の横に小さな冷蔵庫がある。同じものが野菜室の中に入ってるから。エナジードリンクの奥に隠れてるから見にくいけど。加州が定期的に入れ替えてるから消費期限は大丈夫」
念のために薬も渡しておこうかという加州の申し出を固辞すると、豊前は執務部屋をあとにした。見ている方も辛いというのは加州の経験談なのだろう。とんでもなく厄介な事になってしまったと思う。さて、どうやって同胞達に打ち明けようか。打ち明けたらまず驚いて、次に戸惑って。そして心から心配するのだろう。
ただ、松井江の反応だけが読めなかった。彼は血に囚われた刀剣男士として生まれてしまった。そんな松井に、血を求めねばならなくなったと打ち明けるべきなのか。話を聞けばきっと松井は悲しむ。松井の悲しむ顔は見たくない。しかし隠しておくわけにもいかない。
どうしたらいいのか、豊前にはわからなかった。
「とっとと直ってくれねーかな
……」
ある日突然直ったという報告もいくつかあると審神者は言っていた。今はそれを望むしかなかった。
*****
この本丸では一振りに一部屋が与えられている。だが、ここの所とんとん拍子に男士が増えたため空き部屋の用意ができておらず、江の者達は一時的に二人部屋状態だった。篭手切江は桑名江と、五月雨江は村雲江と。そして豊前は松井と相部屋である。来月には屋敷の増築が終わり、元の一振り一部屋に戻る予定だ。
豊前はどうやって仲間達に己の不具合を打ち明けようかを、昼間からずっと考えていた。就寝の準備を終えた今も上手な切り出し方が思い浮かばず、そろそろ頭が痛くなってきそうだ。それでも喉は渇いており、これが現実なのだと如実に伝えてくる。気休めにしかならないが、寝る前に水でも飲みに行こうかと思っていた。
「
……考え事?」
「ん?」
「豊前が考え事をしているなんて珍しいと思って」
「気づいとったんか」
並べて敷いた布団の上で本を読んでいた松井だが、豊前の様子がずっと気になっていた。松井は豊前の方を向くと、僕でよければ話を聞こうかと水を向けた。
「言いにくいことなら無理には聞かないよ」
「言いにくいっつーか、何から言えばいいのかわかんねーっつーか
……」
豊前は昼間の出来事を松井に話した。喉が渇く事、己の体に不具合が起きている事、対処療法として血液を摂取するしかない事。話の順序としておかしな部分もあっただろうが、聡明な松井なら理解してくれるはずだ。豊前はとりあえず思いついた順に話していった。
一通り豊前の話を聞き終えた松井は言葉が出てこなかった。だろうな、と豊前は思った。自分が同じ話を聞かされたとしても、おそらく同じ反応だ。
「
……そんな不具合があるんだ」
「俺も初めて知った。手入れでも直らねぇのはきついな
……」
昼間口にした飲料の味を思い出し、豊前は苦い顔をした。無理して錠剤を飲んだ方がいいかもしれない。錠剤は無味無臭。あの時は吐いてしまったが、吐き気だけをやり過ごせば何とかなる。もしくはパウチの中身を何かに混ぜて飲むか。味の濃いものに混ぜてしまえば、少しは飲めるようになるだろう。
予想外過ぎる話を聞いてしまい、当事者である豊前よりもずっと暗い顔をしている松井を元気づけるように、豊前は手を伸ばしてぐしゃぐしゃと松井の頭を撫で回した。
「折れるわけじゃねーし、何とかすっから松井が気を病むことはねーよ」
「うん
……」
「だからもう寝よーぜ。松井、明日は畑当番だろ?水飲んだらすぐ戻るけ、先に寝てていーから」
「あのさ、豊前」
立ち上がろうとした豊前の寝間着の袖を、松井がくいと引いた。
「
……試してみない?」
「試す?」
「僕の血なら、口にできるか」
そう言う松井の目は本気だった。
「考えてみて。豊前は僕の血なら何度か口にしてるだろう?少しは耐性があるかもしれない」
心当たりは、ある。松井がかすり傷を作った時や瀉血した時、豊前はその血を口にした。本当にいいのかと豊前が再確認する前に松井が立ち上がった。文机の上にある筆立てから封書を開ける時に使う小刀を引っ張り出すと、豊前の目の前で松井はほんの少しだけ指の腹を切った。滲み出た赤い液体がぷくりと膨れて玉になり、弾けて松井の白い指の腹を染めていく。
松井は静かに指先を差し出した。垂れてしまう前に早くと、言外に急かす。意を決した豊前が、松井の手首を掴んで引き寄せた。
――赤く染まった指先に吸い寄せられる。
嗅ぎ慣れた匂いと、鉄に似た味。
不快感は無かった。
それ以来、松井は毎晩豊前に血を与えている。初めは指先からだったが、指先に生傷ができるのは案外不便だったので、今は手首の少し上、腕の柔らかい部分に見える血管の上に薄く刃を滑らせて、そこから滲み出る血液を与えていた。松井が身に着ける衣服は長袖ばかりだから切り傷に気づかれにくし、手入れのついでに直ってしまうから問題ない。
豊前は松井が血を流す事を厭う。だから与えるのは必要最小限、たったの一口分だけだ。松井が遠征で不在にする時はもう少し多めに与える事もあるが、いつも豊前は一度だけとごくりと飲み下すと、もうこれで十分だからと言ってやめてしまう。それで本当に足りているのか、松井にはわからない。
松井は「血を流させたくない」という豊前の意向に従う振りをしている。
……表向きは。本当はもっと血を流しても構わない。豊前が求めるなら、顕現を維持できる限界まで与えてもいいと思っている。しかし松井はそれをしない。一度に与え過ぎてしまっては意味が無いから。毎晩というのが重要なのだ。
豊前の不具合は悪化する傾向も無ければ、良くなる兆しも無い。松井がいない時に錠剤を飲んでみたけれどもやはり体が受け付けず、仕方なく飲料を飲もうとしたが、いつの間にかそれすらも体が拒否するようになってしまっていた。現時点で豊前の頼れるものは松井だけになっていた。
「喉の渇き」がどのようなものか、松井には想像がつかない。だが、あの豊前が松井に助けを求めてくるのだ。松井には決して弱みを見せようとしない、あの豊前が。それでも見栄を張って、今日は大丈夫だからいらないと言ってくる時もある。松井が疲れている時とか、松井の気持ちが塞いでいる時とか。そんな時は松井から強引に突きつけた。
早く豊前の不具合が直ってほしいと切望している。その一方で、僕なしでは生きられなくなってほしいとも願ってしまう。そんな相反する思いを抱えながら、今夜も松井は豊前に血を与える。昨日も、今日も、明日も、その先もずっと。豊前が生きていくために松井を必要とする限り、彼がここから消えてしまう事はない。
(僕は今、)
しあわせだ。
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これ(
https://privatter.net/p/6467927)とこれ(https://privatter.net/p/6562277)から、ぼんやりと続いているような話。
豊前が松井の願いに気づいていたら、仄暗さが一気に増しますね
…。
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