きっかけは忘れたが、連立って出掛けるならこの日にしようと決めていた。正月明けから審神者にこまめに声を掛け、年度末に提出する書類の進捗を確認、進んでいなければ尻を叩く。すべてはこの日のためだった。下心の何が悪い。
それでも念には念を入れて、豊前は日向正宗に声を掛けた。
「日向、明日何か予定あっか?」
「明日?明日は非番だから何も無いよ」
「悪ぃんだけど、松井の代役頼まれてくれねぇか?」
「
……あぁ、そういうこと」
松井江とは紀州での縁がある。理解した日向は快く引き受けると、お土産買ってきてねとちゃっかり要求した。
*****
「主」
翌日、豊前は執務部屋の引き戸を開けた。今年は立入厳禁の貼り紙も無いし、部屋の中に滋養強壮ドリンクの瓶も転がっていない。鬼気迫る雰囲気もそこまで感じられなかった。
「進んでっか?」
「やぁ、豊前江。去年よりもいい調子だよ。今年は直前の三徹も回避できそう」
「そーか。じゃ、松井借りてもいーよな」
「それは困る」
審神者の代わりに返事をしたのは松井の実務仲間、山姥切長義だった。長義は豊前を一切見ておらず、書類仕事の手も止めていないが、会話はちゃんと聞いていた。昨年よりもよい状況とはいえ、松井は貴重な事務仕事の戦力だ。半日でも抜けられるのは非常に困る。
年初から提出書類作成の進捗を確認する姿を見て、細かい文字は苦手だと豪語する豊前もやっと実務にも興味が出てきたと感心していたが、まさかあれもこれもすべてこのための布石だったとは。
「彼が抜けたら一気に進みが悪くなる。遅れを取り戻すのはきつい。豊前江、君が手伝ってくれるのかい?無理だろ」
「まーな。そう言うと思って代わり連れてきた」
「今日一日よろしくね」
豊前の後ろからひょこんと顔を出したのは日向だった。うっかり倒して零さないように蓋付きの水筒を持ってくるあたり、わかっている。
「早速手伝うよ。主、僕は何をすればいい?」
「えーっと、長義に聞いてほしいかな
……」
「日向なら文句ねーだろ。松井連れてくぞ」
日向正宗なら戦力になるので好きにしろと、長義は無言で了承した。机の上に散らばっている書類にざっと目を通した日向も、「これもらっていくね」といくつか書類を手に取って仕事を始めた。審神者も手を止めると長義の一瞥が飛んでくるので必死だ。
状況が飲み込めていないのは松井だけだった。このまま抜けても大丈夫なのだろうかと不安に思いながら、豊前に言われるがまま松井は部屋をあとにした。
「
……ね、豊前。どういうこと?」
「そろそろ息抜きしよーぜってこと。缶詰にはなってねーけど、ここんとこ朝から晩までずっとだろ?外の空気吸った方がいい」
それに、と付け加えた。思わせぶりな表情と言い方に、松井は思わずどきりとしてしまう。
「俺が限界」
「そ、そう
……」
共に目覚めた朝、もう行くのかと聞かれる日もある。豊前の両腕はとても居心地が良くて、いつまでもここにいたいと思う。でも、松井は心を鬼にしてそこから抜け出す。そして後ろ髪を引かれる思いで先に部屋を出て行くのだ。
「だから今日は松井を返してもらった。っつーことで、今から出掛けたいんだけど、いーか?」
「いいよ。着替えてくる」
「あれ着てくれよ。主に貰ったやつ」
「軽装のことかな?」
「たぶんそれ」
「
……豊前は?」
「ん?」
「豊前も、着る?」
豊前の軽装は一度か二度見ただけだ。軽装を身に着けた豊前はいつもと違う雰囲気を纏っていて、松井は直視できなかった。今日も直視できる自信は無いが、どうせなら豊前にも着てもらいたい。
「いーぜ。折角だからな」
着替えたら声を掛けるからと部屋で待っていてくれと告げられ、松井は豊前と別れた。行李の中に仕舞っていた軽装を広げ、吊して軽く皺を伸ばす。状態は良好、染みも汚れも無さそうだ。松井は内番着を脱ぐと軽装に袖を通した。
春めいてきたとはいえ、軽装一枚ではまだ肌寒い。軽装に着替えた松井は襟巻を引っ張り出した。そして、ついにこれを渡す日が来たのかもしれないと、松井は仕立てたばかりの羽織を広げた。
身に着けるものにこだわる松井が、生地も色柄も全部自分で選んだ逸品。寸法は篭手切江から入手したから間違いない。こんな物を贈ったら重たいと思われないだろうかと、結局今日まで渡せなかった。
主から賜ったのは軽装だけだが、その他のものは自前で揃えている可能性だってある。豊前も身に着けるものに頓着しないわけではないのだから。
踏ん切りがつかず羽織を広げたり畳んだりしていると、部屋の外から豊前の声がした。
「
……松井、開けてもいいか?」
「う、うん
……」
軽装に着替えた豊前が立っていた。戦闘装束とも内番着とも違う装いを見ると、どうしても胸が高鳴ってしまう。上から下にこっそりと動かした松井の視線は、豊前の足下で止まった。
「寒くない?」
「ま、何とかなるだろ」
何とかなると言う豊前。寒いのは否定しなかった。素足は足袋を履かせればいいとして、やはり羽織物もいる。こうなったらなるようになれと、松井は抱えていた羽織を差し出した。
「これ、羽織って」
松井は豊前の後ろに回ると、袖を通させた。己の目利きを自画自賛するわけではないが、松井の見立て通りとてもよく似合っていた。
「豊前は僕に色々くれるから、そのお礼」
「そうか?」
「そうだよ」
松井が豊前から受け取ったものは単なる物だけでなくて、日常のなんてことない時間、初めての感情、自分にだけこっそりと見せてくれる顔など実に様々だ。気持ちには気持ちで返したいけれど、見合ったものを返せる自信がなくて、結局は物になってしまった。
「
……松井のものって感じで、悪い気はしねーな。ありがとな」
「何を言ってるんだか
……」
見ているこちらが寒くなってくるからと足袋を履かせれば準備完了だ。ところで今からどこに行くのだろうか?まだ豊前から行き先を聞いていない。どこに行くのか聞いてみた松井だが、着いてからのお楽しみだと内緒にされてしまった。
「っし、行くか」
豊前は松井の手を取ると、そのままつかつかと廊下を進んでいく。そんな二振りの姿を見かけた男士から囃し立てられた。
「豊前さん達、今からデート?」
「そ。松井を見せびらかしてくる」
「豊前!」
「わー、大胆〜!行ってらっしゃーい」
そんな歓声を背に門の外に出て、万屋街の方向へ歩いて行く。このまま万屋に行くのかと思ったが、豊前は途中で曲がった。確かこの先は土手になっていて、川が見下ろせるはずだ。夏場は川面を屋形船が行き交い、河川敷で花火を打ち上げている夜もあった。そこに一体何があるのだろうか。
見えてきたぞと言う豊前に釣られて松井が視線を前に向けると、視界の先では淡い紅染が盛りを迎えていた。
「早咲きの桜?」
「そう。散る前に来れてよかった」
道なりに植えられた早咲きの桜。その合間を縫うように、出店が並んでいる。夏になればここが夏祭りの会場になるのだろう。松井は行かなかったが、篭手切から土産話は散々聞かされた。来年は松井さんも一緒に行きましょうと言われているので、今年は初めて夏祭り参加する事にもなりそうだ。
道の桜を見上げながら歩いていると、違う本丸の刀剣男士や審神者達とすれ違う。慌てて手を離した松井だが、どうせ誰も見ていないし興味なんて無いと繋ぎ直されてしまった。みな頭上の桜を見ているから、すれ違う相手の手元なんか見ていない。
綺麗だ
……と零す松井を見て豊前は相好を崩した。赤い色が好きな松井は桜の色も好きらしい。
「好きなんだな」
「うん」
「俺も好き」
「桜が?」
「桜も」
とはいえ、そこは花より団子。出店が気になってきたのか、豊前の視線が軒を並べた出店の屋台を行ったり来たりする。松井も小腹が空いてきた。とりあえず目についた出店でたい焼きを買うと、少し離れた場所で二振り並んで腰掛けた。
まだ温かいうちに食べようとたい焼きを半分に割って、豊前が片方を松井に渡す。こし餡のほのかな甘みが美味しかった。
「落ち着いたら遠出もしてーな」
「豊前が連れて行ってくれるならどこでも行くよ」
「本気にするぞ」
「
……本気にしてよ」
松井が豊前の膝の上に置かれた手にほんの少しだけ指を掛けた。すぐにそれ以上の強さで握り返された。少し離れているのでほとんど誰も通らない。豊前と松井はもう少しここにいる事にした。風に揺られる桜を眺めながら綺麗だと目を細める松井。豊前はそんな松井しか見ていなかった。
帰り道、審神者達への差し入れと江の者達への土産にするために出店で桜餅を包んでもらった。それとは別に焼き団子も買った豊前。松井が行き先を尋ねると、豊前は日向への賄賂だと言って笑った。
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下心満載で布石打ってる豊前を推します。
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