最近、本丸にふらりと猫が迷い込んだ。本丸は普通の動物が入り込めるような場所ではないので、何らかの霊力を持った化け猫の類いらしい。猫は短刀達に見つかると、毎日の様に構われていた。おやつを貰ったり、猫じゃらしでじゃらされたり、撫でられたり、追いかけられたり。
最初は受け入れていた猫も次第に構われ疲れてきたのか、最近はあまり短刀達のやって来ない場所――畑仕事用のトラクターや軽トラ等が置いてある小屋の周辺を根城とするようになった。
「……道理で、最近煮干しの減りが早いって歌仙達が言ってたわけだ」
とある日の昼下がり。松井は庭を突っ切ってどこかに行こうとしている豊前を見つけた。松井がどこに行くのか聞いてみると、愛車の整備に行くとの答えが返ってきた。豊前は出陣の給金や誉手当てを貯めて、いつの間にかバイクを月賦払いで買っていた。暇があれば整備したり走りに行ったりしている。
暇なら来るかと聞かれたので、松井はうんと頷いた。その前に厨に寄ると言うのでどうしたのかと思えば、豊前はこそっと出汁取り用の煮干しを頂戴して戻ってきた。何で煮干しなのかと首を傾げる松井に、豊前はついて来れば分かると言って答えを教えてくれなかった。
「いたいた。ほれ、持ってきたぞ」
きょろきょろと小屋の中を見回した豊前は、軽トラの影でひらひらと煮干しを振ってちらつかせた。それに釣られるように、にゃーと鳴き声が聞こえて奥から何かが出てきた。先述の猫である。猫は豊前に慣れているのか、躊躇なく近づいてその手から煮干しを貰った。
これは昨日今日で懐かせたわけではなさそうだ。時間を掛けて、煮干しで釣って懐かせたなと松井は直感した。そして先ほどの台詞に繋がる。
「試しにやってみたら懐かれた」
「懐かせたの間違いではなくて?」
豊前の隣で同じようにしゃがみ込んで、猫を眺める松井。猫が居着いた事は知っていたが、こうやって実物を見るのは初めてだ。どこからどう見ても三毛猫。少し丸っこい気がする。豊前以外からも色々と貰ってるなと松井は思った。
「こいつ、少しぐらいなら触らせてくれっぞ」
おやつを貰って満足したのか、ごろごろと喉を鳴らし始めた三毛猫。それをうりうりと構っていた豊前だが、松井がじっと見ているので触ってみたいのかと思い声を掛けた。
「僕はいいよ。血の匂いがするから嫌がられると思う」
「そんなことねーのにな」
ばいく出すからあっち行ってろと豊前が立ち上がると、三毛猫もついてきた。出入り口の近くに置いてあるの木箱にぴょんと乗ると、三毛猫はその上で毛繕いを始めて丸くなった。そこなら邪魔にならない。なかなか賢い三毛猫だ。松井も立ち上がり、一度外に出た。
豊前は愛車を押して小屋の外に出すと、座り込んで整備を始めた。何をやっているのか松井にはよくわからないが、豊前の手先が器用に動いているのを見ているのは面白かった。
「松井、そこのぱあつ取ってくれ」
「これ?」
「それ。あんがとな」
のどかな昼下がり。ささやかだけれども、幸せな時間だった。
――しかし、何事にも限度というものがある。
どうやら豊前はこの三毛猫の事が気に入ったようだ。暇さえあれば煮干しを持って構いに行く。三毛猫も三毛猫で、短刀達の構い過ぎる構い方は疲れるので嫌だが、豊前のように適度な距離感で構われるのは好きらしい。
最初は微笑ましく思っていた松井も、こう何度も続くと少し腹が立ってくる。非番で暇をしている時だけでなく、出陣や内番の合間に来る日も来る日も猫詣でだ。昨日も非番が重なったからたまには部屋でゆっくり二振りで……と豊前の部屋を覗いてみれば、案の定もぬけの殻だった。
どうせあの三毛猫の所にいるんだろうなと思って足を運んでみたら、本当にいた。しかも膝に乗せて猫じゃらしで遊んでいる。地べたに座り込むと汚れるよと松井は努めて冷静に、何も気にしていませんよという顔で声を掛けた。
結局、昨日はそのまま三毛猫を構う豊前を見て終わった。ゆっくりと二振りで過ごせたのは確かだが、これじゃない感も強かった。松井は顔にも態度にも一切出さず、表向きは微笑ましく一振りと一匹を見守っていた。
そして、今日。松井は釘を刺すつもりでここに来ていた。猫に言っても理解できるかわからないが、化け猫の類いなら人語を理解できるだろう。松井が小屋の中に足を踏み入れると、おやつを貰えると思ったのか物陰から三毛猫が出てきた。
足下に擦り寄られ、松井はしゃがみ込んだ。松井が手ぶらだという事に気づくと、三毛猫は催促するようにじっと松井を見上げた。
「豊前は誰にでも優しいだけだから。君だけが特別ってわけじゃないから。煮干しを貰っているというだけで調子に乗らないことだ」
猫相手に悋気というのも何だか情けない話だが、それでも寵愛されているのは面白くない。何かあるとは思っていないが、万が一化けて豊前の前に現れようものなら斬り捨てることも辞さない。これは松井なりの宣戦布告だった。
じっと見上げたままの三毛猫と、それに正面切って対抗する松井。一匹と一振りの静かな攻防戦を終わらせたのは渦中の人、豊前だった。
「松井?」
「豊前」
「珍しいな。松井がここに来るなんて」
声を掛けられた松井が顔を上げると、豊前が立っていた。松井は彼が短時間の遠征に行っていた事を思い出した。隣で同じようにしゃがみ込み、松井に遊んでもらっていたのかと三毛猫に話しかける豊前。さっきまでうんともすんともにゃんとも言わなかったくせに、豊前が近づくと甘えるように一鳴きした。
いつの間にか煮干しで釣らなくても近づいてくる関係になったらしい。帰還早々会いに来るほどご執心なのかと、あまりの親密さに松井は不貞腐れてしまった。
「……にゃー」
松井は豊前のジャケットの裾をちょんと摘まんで、小さく猫の鳴き真似をしてみた。それは笑えるぐらいに棒読みで、こちらを向いた豊前もきょとんとしていた。ほら、あきれてる。松井はぱっと手を離し、立ち去ろうとした。えぇ、邪魔者はさっさと退散してやりますとも。
自分でもわかるぐらいに拗ねて不貞腐れている松井に返ってきたのは、隠しきれていない豊前のくぐもった忍び笑いだった。
「ふはっ……悪ぃな。俺のかわいいこが拗ねたみたいっちゃ」
豊前が立ち上がりかけた松井の体を引き寄せて、するりと白い顎下を撫でた。その触れ方に背が粟立ち、松井は思わずその場に尻もちをついてしまった。
「豊前!僕は猫じゃ……っ」
目元をほんのりと朱に染めた松井の抗議。豊前はそれを唇一つで封じ込めた。
「時間あるなら部屋戻っぞ」
「猫はいいの?」
「何で?」
「何でって……」
言葉に詰まる松井。それを見て、豊前はある事に思い当たった。――もしかして松井、妬いていたのか。妬いて自分に何か言いに来るのではなく、猫に話をつけに行ったのか。
豊前がここに入り浸っていたのは事実だが、今は三毛猫目当てに来たわけではなかった。
「帰ってきて松井の部屋覗いたけどいなくて、探してたら畑の方に歩いて行ったって聞いたから来た」
昨日だって松井は何も言わなかった。だから、特に何とも思っていないだけかと思っていた。でも実際は違ったらしい。拗ねさせてしまった事に対するお詫びとここしばらくの埋め合わせも込めて、時間が許す限り存分に構ってやらなくては。
別に豊前は猫が特別好きだというわけではない。懐かれて悪い気はしないので構っていたが、それで本命に逃げられてしまっては元も子もない。豊前は立ち上がると、「ほら」と松井に手を差し伸べた。
「どんなのが来たって、俺の一番は松井だからな」
空気を読んだのか、それとも馬に蹴られるのはごめんだと思ったのか。いつの間にか賢い三毛猫はふらりと姿を消していた。
----------
ネコにやきもち妬く松井。この後、豊前に猫かわいがりされてしまえばいいと思う。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.