ゆい
2023-12-19 13:14:51
5102文字
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睦言未満の夜に

【宗みか】性的なことに嫌悪感抱くしゅうくんと付き合うみかちゃんの事後話


自分の性欲を自覚した時の絶望を、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
快楽は汚い。耳触りの良い言葉でどれだけ愛だ恋だと取り繕おうとも、汗水垂らして得る報酬は吐き気がする程に悍ましい。未だ神には至らぬこの身では、理性だけで獣の本能を抑え込み続けることが酷く困難であるとは分かっている。いっそ生理現象として清々しく割り切ってしまえば、幾分か気持ちが楽になることも。だけど、僕の中に住む理想の僕はそんな現実をいつまで経っても許せない。深く重ね合う肌の生々しさも、息継ぎすら忘れて呼吸を分け合う浅ましさも、ふとした時に思い出しては羞恥と屈辱で消えたくなってしまう。二人を始めたばかりの頃は、火照りを鎮める度にベッドの上で舌を噛み切ろうとしていた。身も蓋も無く命を断ちたがる僕に一糸も纏えずに振り回された君には、随分と面倒をかけたと思う。夜更かしの数が両方の指では足りない程になった今は、行為後に言葉を交わす余裕も少しは出てきたけれど。ああでもないこうでもないと己の全てを晒して睦み合うことは悪ではない。でも、どうして僕達は肩を寄せ手を繋ぐだけでは満足出来ないのだろう。綺麗なままで美しいものについて言葉を交わしていたいだけなのに。どうして何時も二人が一つに果てるまで、僕は君を求め続けてしまうのだろう。


――それで。こうなった後はいっつも死にそうな顔しとったんか。難儀なおひとやなぁ」
「‥難儀じゃない。僕以外が軽薄なのだよ」

タオルケットの向こうから聞こえる影片の声は、今夜も少しだけざらついていた。毎回、彼にばかり無理を強いているのだから行為後くらいは存分に労ってやりたいと、この声を聞く度に思う。手早く身体を拭いたやったら寝間着を着せて、蜂蜜を溶かした紅茶を用意して二人に眠気が訪れるまでささやかな話をする。理想だけなら何時も気高く完璧にあった。だけど、現実は二人がかりで息も絶え絶えに最低限を整えると、もうその後は寝転がったまま指先一つ動かせずに。膝を抱えた格好で横たわったまま、自己嫌悪に忙しくベッドから離れられない僕に毛布を掛けてくれたのは影片だ。身体はまだきついだろうに、残りの始末を勝手に進めて殆ど隣へ腰掛けもしない。やっと落ち着いたかと思えば、やたらと水を勧めてきたりしつこく室温を確かめてきたりと僕の世話ばかり焼いている。こんなみっともなくて自己本位な人間など容易く見捨ててしまえばいいのに。親切としてそう伝えてやれば、話をきちんと聞いていないのか失望の代わりに布越しの会話をねだられた。お疲れ様やろうけど。そんな労い混じりの前置きは、本来ならば僕が言うべき台詞だった。掠め取られた優しさに見当違いの苛立ちを覚えてしまうから、愛想もちゃんと尽きろと愚かな胸の内を吐露してやったのに。間を置かずに返ってきたのは腹立たしい程に呑気な悪口だ。

「他の人が軽薄って言うか、皆そんな難しく考えてないだけやろ。好きな人とやらしいことする理由なんて、『好きだから』か『触りたいから』で十分やん」
「影片。君も人間になりたいのであれば、如何なる時も思考を止めてはいけない。浅慮極まりない凡俗共は、一時の肉欲に溺れて容易に身を滅ぼす。僕が選んだ君くらいは、せめて最後まで理性あるいきもので居ておくれ」
「お師さんの話はこんな時でも高尚やねぇ」

僕がどれだけ真摯にお願いしても、当の影片は歌うように茶化してくるだけでちっとも真摯に受け止めない。とん、と軽い音と共に傍らへ衝撃が落ちてきてベッドが二人分の重みにまた軋む。どちらかが上になったり下になったりするには構わないけれど、並んで寝転がるには一人用のベットはやはり狭い。一生この大きさで良いと選んだお気に入りだったのに。他者と肌を触れ合わせて眠る暑苦しさと心地良さを知った今となっては、ひたすら窮屈なだけのゆりかごだ。
丸めた背中に温もりのようなものが触れる感覚がして、すぐに影片が身を寄せたのだと気付く。ちょうど背骨の一番硬い部分に毛布越しだとしても肌を押し付けて痛くはないのだろうか。いくら本人が降り掛かる辛苦に鈍感だとしても、君が受ける痛みに顔を顰める者は居る。何時だって自分のことはおざなりな君は、御伽噺だと笑って信じないかもしれないけれど。少なくともここに、ひとり。

「お師さん、もう寝る?疲れたやろうし、ゆっくり休んでな」
「疲れたのは君の方だろう。‥無体を強いた僕が言うことではないけれど」
「おれは大丈夫やで。お師さん優しいことしかせぇへんもん」

薄闇が笑い声と一緒に柔く揺れて、背骨の辺りがじんわりと熱を帯び始める。優しい訳では無い、と喉元までせり上がってきた言葉は何とか飲み込んであくまで無言を貫く。はしたない望みを欲に任せて重ねるのだから、せめて形だけでも優しくありたいと努力しただけだ。だけど、君の誤解を解いて幻滅されてしまえば、明日も明々後日もまたタオルケットを手放せなくなりそうだから黙っておく。こんなどうしようもない時ですら、まだ君に張りたい見栄や意地が残っていたなんて。もう何度目かの後悔に息が詰まりそうになるけれど、拙くとも確かに縋りついてくる指が僕をこの世に繋ぎ留める。

「お師さんは色々悩んどるみたいやけど、おれはお師さんとこうなれて嬉しい。お師さんが手出してくれへんかったら、いつかこっちから押し倒してたと思うわ」
「笑えない冗談はやめたまえ」
「冗談やないもん。おれはずっと、やらしい気持ちのお師さんに触って貰いたかった」

懺悔にしては乾き過ぎている声が一つの音も曇らずに僕の闇にまで届く。君は何時もそうだった。僕が嫌悪し吐き捨てた感情を頼んでもないのに拾い集めて、まるで宝物のように飲み込んでしまう。その結果として腹を下したり胃を痛めたりと毎回さっぱり懲りない君を、僕は少しばかり持て余している。君の献身はきっと愛と呼ぶに相応しい類の形なのだろうけれど。触れ合って混ざり合った挙句の果てに、待ちくたびれたと何でもないことのように囁かれては、こちらの苦悩が茶番のようだ。
言うだけ言って満足したのか、僕に触れていた熱達がぱっと背中を離れて再びシーツへと落ちる。きっと猫のように身体を伸ばしているのだろう、輪郭が融けて掠れた母音が伸展につられて不規則に揺れている。喉の奥で濾されて溢れたその甘さは、さっき君の上で聞いたものと同じ色だ。腹の底に届いた鈍い響きがそのまま背筋まで這い上がってきそうで、唇を噛んで憂いにも似た痺れを逃す。理性と努力で大抵のものは手懐け捻じ伏せられる。だけど、僕の完璧な理屈も軽く笑い飛ばして君はすぐに僕の例外になりたがるから。思春期だって君の前では隙無く格好つけていたいのに、どうして意中の君がそれを邪魔してくるのだろう。
無邪気にこちらを試しつつ存分に伸びきったのか、緩んだ雰囲気の奥で空気が揺れる。前後も最中も僕の為に散々動いていたのだから、眠気もそろそろ限界の筈だ。深く息を吸って十秒、理性と本能と表情を自分が納得出来る高みまで整える。それからまた五秒置き、無様な心はもう一つも零さぬよう口元を固く結んでから振り向き闇を払えば、タオルケットの向こうにはちょうど欠伸を噛み殺し終えた影片の姿。

「眠いなら、こちらへおいで」
「んあっ、でもおれ、手とか冷たいで?せっかくお布団温まっとるのに邪魔してまうよ」
「冷たいなら尚更来なさい」

沢山話すと余計なことまで口走りそうで、素っ気無いとは思いつつも最低限の指示しか出来なかった。だけど、影片もそんな無愛想には慣れたもので、誘いに戸惑いはすれど語気に傷付いた様子は無い。万歳の格好で迷う姿に品格や格式は見当たらず、眠気を微か残した口元は子猫のように隙だらけだ。その姿をみっともないと咎める言葉は、もはや惰性として煩うことなく胸に湧く。以前ならば躊躇無く吐き出したであろう傷付ける為の空気を今は無理矢理にでも飲み込めば、喉の奥で引き攣れたような音がした。君にだけは、この醜く情けない音が一生聞こえませんように。願掛けのように手を合わせるつもりも相手も僕にはいない。代わりに明け透けに晒された手首をひったくるように掴んで、その軽い身体ごと自分の元へ引き寄せる。

「想像以上に冷たいじゃないか」
「お師さんは予想通りにぽかぽかやねぇ。うっかり火傷しそうや」
「魚じゃあるまいし大袈裟だね」
「おれが魚やったらお師さん触ってくれへんやろなぁ。同じ形で生まれて本当良かったわ」
「勘違いするな。恒温だろうが変温だろうが、僕は僕の気に入ったものにしか触れないよ」

抵抗など微塵も見せずに腕の中に収まった身体はやはり氷のようで、接した部分から瞬く内に熱が奪われていく。下らない会話を済ます間にも二人の体温は音も無く均されて、今更包まるタオルケットよりも温くなる。引き込んだ手を腰に回してきつく隙間を埋めても、交わる分だけ冬の底のような寒気がした。仕方がないから何時もより透明な肌に余すことなく目を通し、手足の指先まで使って上から下まで順番に冷たさを撫でる。触れる度に刺すような冷気が僕の爪を白くしたけれど、何度も繰り返していけば少しずつ肌には色と熱が戻る。僕の体温の下でされるがままに指の動きを追う瞳はやけに無垢だ。久しぶりに見た影片は眼差しに似合わず何故か神妙に押し黙っていて、少し可笑しい。やがて頑なだった全てが大人しくこちらの熱に溶けた頃、何度目かの往復でなぞった頬が不意に忍び笑いの形に歪む。

「擽ったいのは我慢したまえ」
「お師さんにこんな沢山触って貰えるんなら、寒いのも悪くないね」
「別に今は下心は無いけれど」
「じゃあおれ、お師さんだったらどんな気持ちでも良いみたい」

悪びれもせず透き通った声で答えは過ぎて、後に残るは雪解けを思わせる笑顔だけ。煽りか口説きか知らないが、いま垂れる文句としては時も場合も悪すぎるだろうに。添えた掌が温度差以外の理由でじわり汗ばむのを感じながら、密かに唇を噛んでそんなことを思う。せっかく整えた全ては花のような笑い声の前に儚く散り、急拵えで貼り付けた仏頂面だけがせめてもの強がりとして残っている。だけど、それすら剥がれ落ちるのもどうせ時間の問題だろう。今更密着し過ぎた温度が肌に心に煩わしくて、急いで離れようにも手放し方が分からない。
こちらの逡巡など露ほども知らぬ澄んだ瞳のまま、影片は掌へ頬を預けて微睡みを帯びた色違いの瞬きを零す。微かに揺れる頭に合わせて艶めいた黒髪が左右に流れ、現れた首筋の辺りに見覚えのあるささやかな赤。心当たりを全て思い出す前に自然と身体は動き、気付けば何もかもを投げ捨てて温い身体を抱き締めていた。

「わっ、びっくりしたぁ‥抱っこまでしてくれはるなんて、今日のお師さんは大盤振る舞いやねぇ」
「‥こちらの方が温まるには効率的だと思っただけだ。
ほら、もう寝よう。無駄口はまた明日」

はぁい、なんて無邪気に伸びる語尾を聞きながらまだ少し薄ら寒い肌に埋もれながら目を閉じる。心を落ち着かせる為に深く息を吸い込めば、お揃いのボディーソープの匂いに紛れて確かに僕の匂いがした。一人と一人が混ざり合って一つの快楽を目指した果てに痣や移り香程の爪痕しか残せないのであれば、やはり性欲など碌なものでは無い。僕は何時でも高潔な人間でありたい、出来れば隣に立つであろう君も一緒に。だけど、いくら望んでも結局最後は君に手を伸ばしてしまう僕は、きっと碌な男じゃ無いのだろう。僕が碌でもない時には、どうか君も同じく駄目であって欲しい。それは酷く低俗で大それた夢だ。だけど、一度でも口にすれば君は容易く頷いて潔く滅茶苦茶になってくれるだろう。だから、死んでも口を割らないと決めているが、鼓動すら溶ける距離で生きる相手に隠し事なんて禁欲よりも難しい。
いつの間にか笑い声は寝息に変わって、腕の中には僕と同じ熱を持つ星が一つ。手元に置いて着飾り愛でるだけでは満足出来なかった自らを責める瞬間は、これからも数え切れぬ程訪れる筈だ。だけど、欲望に嘆く僕をお揃いだと笑い飛ばす声が傍らから鳴り続ける限り、愛は何度だって僕達の間で咲くだろう。安らかな呼吸を乱さぬよう睫毛まで気を配りながら目蓋を開けて、先程は見なかったことにした花へと視線をやる。せめてこの花が枯れるまでは今夜の愛が美しいままでありますように。実にも花にもならない願いを込めて、赤い夢にもう一度唇を落とした。