ゆい
2023-12-19 13:11:46
2047文字
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わたしの神様を返して

【みか+モブ少女】施設のテレビでしゅうくんをみつけた瞬間のみかちゃんに立ち会ってしまったモブ

2023/11/11

「みつけた」

たった一言、小さくそう呟いてみか兄ィはテレビの前から動かなくなった。
他の子達は夕食の時間だと我先に食堂へ駆けて行き、薄暗い談話室にはみか兄ィとわたしの二人だけ。おもちゃや絵本を片付けて最後に消そうとした画面から、その歌は聞こえてきた。一度見ただけじゃ読めないユニット名と印象的な作りの舞台と衣装の彼等は、有名になりたてらしく紹介のテロップが沢山出ていた。なんだろうね、この人達。思わぬ異質さに数秒立ち尽くして、すぐに沈黙を誤魔化すようにそう茶化して笑うつもりだった。でも、わたしが口を開くより早くみか兄ィは駆け出していて、次の瞬間には無言でテレビの前に膝をついていた。何時も穏やかなみか兄ィがこんなに乱暴に動くのを見たのは初めてで、一拍遅れでわたしも慌てて隣に座る。何か気になることでもあったのだろうか、夕日の残り火だけを頼りに傍らを見上げて、すぐに後悔した。どんな場面でも優しく綻んでわたしたちをあやしてくれる頬も、強請った分だけ子守唄を何度でも口ずさんでくれる唇も、凍り付いたように固まっていた。まるで時間を止めた横顔なのに、色違いの瞳だけが流星群のように輝いている。恥ずかしいから、とわたしにもあんまり覗かせてくれない宝石みたいな青と黄色が、限界まで見開かれて帽子を被った背の高い男の人の一挙手一投足を映している。少し映りの悪い箱の中から聞こえる歌は、やたらと難しい歌詞で半分も意味が理解出来ない。歌声は綺麗だけど踊りは何だかどれも人形めいて、ずっと見ていると背筋が寒くなってくる。アイドル、だとは思うけれど、皆が好きだと騒いでいた彼等とは随分雰囲気が違う。愛とか夢とか正義とかを高らかに歌う派手なお兄さん達がわたしは苦手だった。流行りの曲はあんまり耳障りが良いから、繰り返し聞いていると何だか洗脳されている気分になるの。友達には言えなかった本音をこっそり打ち明けた時、みか兄ィは否定なんかしないで頷いてくれた。その気持ちわかるで、〇〇ちゃんは賢いねぇ。そう言って優しく頭を撫でてくれた掌は、冷たくて気持ち良かった。それから二人で理想のアイドルとか好きな曲のタイプについて話し合ったけれど、みか兄ィはわたしがどれだけ荒唐無稽で高望みな夢を語っても微笑んで聞いてくれた。皆が好きな子供騙しで大衆向けのアイドルなんて欲しくない、わたしはみか兄ィとお揃いの「好き」を持っているのだから。そうだ、わたしたち二人は特別なんだ。だから、わたしには良さがちっとも分からない画面の向こうの音楽に、世界に、あの男に、みか兄ィだけが心奪われるなんて有り得ない。

「‥みか兄ィ、ごはんの時間やで。早く行かんとおかず全部食べられちゃうよ」

努めて普段通りに呼び掛けた声が、自分の思った以上にか細く震えている。今までなら「何かあった?」と、すぐにこちらを心配しに来てくれた眼差しは、まだテレビから帰って来ない。だけど、半開きで乾き始めていた唇が微かに震える気配がして、息を飲んで返事を待った。ごめんなぁ、のたった一言で良い。集中してたわぁ、なんて形の良い眉が頼りなく下がるのを見て、わたしの心配は杞憂だったと安心したいだけ。だけど、羽化するみたいにゆっくりと開いた赤が唱えたのは、わたしの名前では無かった。かみさま。言葉の輪郭だけをなぞった唇は確かにその四文字を刻んだ。呆然と見つめるわたしの目の前で、声無く囁き終えたそれはうっそりと三日月に似た弧を描く。わたしが好きだった、おひさまみたいに温かくて春の日差しを思わせる微笑みはどこにも居ない。地獄の色をした亀裂が薄闇の中で段々と頬の柔らかさを掻き消して、見慣れた兄を見知らぬ誰かに変えていく。斜陽の中見違えた彼が一瞬、スポットライトの下で歌い踊る彼と重なって見えて、自分の喉から悲鳴のような息が漏れる。鼻の奥に鈍く痛みを覚えて、思わずきつく握られたみか兄ィの拳に手を伸ばす。汚い床にずっと触れていたから冷えているだろうと思った手は、昨日までとは全く違う人のように熱い。何百回と繋いだ手から初めて感じたわたしより高い温度に、驚く前に自然と涙が溢れた。お風呂上がりもごはん後も雪のようにひんやりと心地良かったあの手は、もう二度とわたしのものにはならない。わたしの存在なんて最初からみか兄ィにとっては取るに足りない。――違う。あの人だけだ。みか兄ィの人生で価値を持つ命なんて、もうずっとたった一つだけなのだろう。理由も理屈も分からないけれど、瞬きすらせず爛々と唯一を見つめ続ける横顔に何故かそんなことを思う。結ばれることなく触れただけのわたしの手を、頬を伝う中途半端な温度の液体が濡らす。所詮この程度のわたしでは、端からみか兄ィを暖めてあげることなんて出来なかった。せめて、やがて正気へ戻ってきた時にこの無価値な涙に気付きませんように。もうわたしの神様じゃなくなった貴方へ最後の祈りを込めて霞む視界の中、目を閉じた。