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望月 鏡翠
2023-12-02 02:05:37
4642文字
Public
世界観共有
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10、試合終了
ブツメツフツマ/平 均
もうおしまいだ。
均が限界を迎えるよりずっと前に、日月は狂気に足を踏み入れてしまっていたのだ。
ふらつく足取りで虚空を掴む手を見たときに、そう思った。
体を動かす気力だけがまだ絶えていないから、彼はかろうじて動いている。そんな状態に見えた。
均の知らない過去の動きを繰り返すように、振りかぶる。目の前の敵に喰らいつくような、がむしゃらな投球ではない。
研ぎ澄ませた一投。
だが、そんなことをしてもなんの意味もない。その手には何も握られていないのだから。
そのはずだった。
だが、空気を切り裂く白球の気配を確かに感じた。均の目に映るのは、こちらに向かって飛んでくる球だった。
(ぶつかる)
目を固く閉じ、咄嗟に顔を庇う。
硬球が肌にぶつかる痛みはない。
空気の動きと音は感じ、腕の胸の中に、見えないものに触れられたようなぞわりとする感覚があった。
バキ、と背後で音がする。
背後にあった不穏な気配が消えた。
「ヘーキン!」
名前を呼ばれて、恐る恐る目を開く。
夜の学校は、薄暗がりを払うように白々しい灯に照らされている。長い廊下と暗い窓がどこか不気味に見えるのは変わらない。
だが、学校全体を覆うような重苦しい雰囲気は消えていた。
目を瞬く均の目に飛び込んで来たのは、嬉しそうな顔で駆け寄る日月だった。その目は、均をしっかりと見ていて正気だ。そして何より、とても嬉しそうだった。達成感に満ちた顔を見て、何が起こったのかまだ理解できていないまでも嬉しくなった。
「見てたか、今の」
言葉は最後まで続かなかった。その体から途中で日月は膝から力が抜けて、倒れてきたからだ。体を受け止める。
疲れ切っているし、怖かったしびっくりした。心臓が爆発しそうなくらいうるさく鳴っている。だが、今は彼の体の方が限界だ。
「今のは
……
、ていうか日月、大丈夫?」
判子の影響を受けたままの彼ならば、きっと大丈夫だと言っただろう。
「あー、なんか疲れたみたいだから、少し
……
休もうかな」
均の腕を支えにして立ち、気まずそうに目を泳がせる日月に、今までのような頑なさはない。二人の今の関係を示すのに相応しいような、もっと気の利いたことが言えればよかったのに、言葉が出てこなかった。
「何回もごめん。肩貸してもらえたりする?」
「当たり前だろ」
熱を持った腕を肩に。だが途中で思い直して、痛むであろう肩を上げさせるより、腰の方がいいと思った。
「保健室? それとも寮に戻る?」
「先に、保健室だな」
「わかった」
ゆっくりゆっくりと、二人は暗い校舎を歩いていく。
悪夢が覚めたように感じたのは気のせいではないらしい。まだ避難誘導の声は聞こえたし、厳戒態勢は解かれていない。それでも無警戒に廊下を歩いていたのに、もう攻撃されることはなかった。判子が姿を消している。
空っぽの鞄には何も入っていない。そこにグローブが入っているというのを、均は知らなかった。球の残りを確認するために中を覗いたくらいでは、蛍光オレンジに視線を引っ張られてしまう。
なにより、日月は戦いのときも普段でも、それをつけていたことなど一度もなかったからだ。
「ボール、なくても祓えたんだな」
なら次からは、球を山ほど入れた鞄を担いで行かなくても大丈夫ということなのだろうか。
「あれは、俺もよくわかっていない」
痛々しく赤くなった手のひらを見下ろし、握ったり開いたりする。その手にボールが形作られることはない。
「そうなんだ」
「どうやってたかよく見てたら教えて欲しいくらい」
均は首を横に振った。
「ごめん。俺もはっきりとは」
日月がふらついていたことは覚えている。そのまま鞄に向かいグローブを手に取った。構えた手の中には何もなかったが、そこから投げるまでの間に、一体何があっただろう。
本人にも確信がなかったのならあの瞬間は、本当にギリギリで危機を脱したのだ。
手元を見下ろした日月は、グローブをつけっぱなしだったことに気づいた。
「でも追われてるヘーキン見たら、鞄の隅に追いやってたこれが目に入って。やれるって思って」
「つけてんの、初めて見た」
真新しい物ではないと言うことは、素人目に見てもわかる。
困ったような笑いが、答えた。
「だって、片手が塞がっちゃうだろ? 戦うときは何か起こってもすぐに対応できるように、両手を空けておかないといけなかった。一人だったし」
つけたままだったグローブを外そうとしたのだが、うまく行かなかった。痛みを思い出したように、顔を顰める。一度足を止め、引き抜くのを手伝った。
「でも今は、違うだろ?」
「ぶつかるかと思ったけどね」
均の目には、投げつけられた球は実体に見えていた。目を閉じてしまって、決定的瞬間は見ていない。だが球は避けたのではなく、腕と体を通り抜けたような感触があった。
球は均の体を傷つけることなく、背後にいた判子を砕いた。それが周りの判子や均自身に影響を及ぼしたかどうかはわからないが、今に至るまでとくに体に異変は起こっていない。
「そう、ごめん! そうなんだよ、すり抜ける保証は全くなかったんだけど、判子だけを狙って投げたしもしかしたらという希望、かな」
「伏せろとか避けろとか、言ってくれたら良かっただろ」
本気でそんなことを思っているわけではない。ただそんな軽口を叩いても大丈夫だと思えるようになっていたのだ。
「そんなこと考えてる余裕なかったって」
日月は肩をすくめる。
「自分がどこに立ってるのかもよくわかってなかったけどヘーキンのことは見えてた。コイツなら捕ってくれるなって思ったんだよ、ぼんやり」
信頼の証のように、肩に腕が回る。
「だから、全力で投げられた」
「助かった。ありがとな。そういえばお礼言ってなかった」
「助けたもなにも、そういうチームワークだろ」
「それに関しては、言いたいことめちゃくちゃあるんだけど
……
今はいいや」
とにかく横になって眠りたかった。
日月を保健室に運び込んで治療ができる人に預け、それからあとのことは均もうろ覚えだった。ホッとしてそこがベッドか床かなんて気にする余裕がなく、倒れ込み目を閉じた。二人のこれからのことは目が覚めてから考えればいい。
均は一般人生徒の特権を行使した。
すなわち七億不思議が起こした騒動も、身の安全の確保もこれから不安も全てを投げ出して、見えていないふりをして未成年の境遇に甘えながら眠りについたのだ。
◇◆◇
目が醒めるたびに、世界が変わる。
学校の床で寝るのは二度目だったが、起きたときの気分は最悪だった。相変わらず体は痛いし、枕がなかったから首も痛い。喉がカラカラで、人が行き交う埃っぽい床で寝たから、声を出そうとしたら咳が出た。
体を起こそうとして、足が酷い筋肉痛になっていることに気づく。
咳き込んでいると横からペットボトルが差し出された。中身が半分減ったお茶を差し出しているのは日月だった。
「飲みかけだけど、ないよりマシだろ?」
受け取って喉を潤す。ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。昼近い。通常授業がある日なら、とっくに寝坊している時間だ。
充電しないでいたから電池は切れかけていて、今更ながら機内モードに切り替えた。モバイルバッテリーも充電器も、部屋から持ち出しはしたけれど、一時避難した教室に置いてきたままだ。
荷物を取りに戻りたいし、汗をかいた体でそのまま寝たからシャワーを浴びたい。外はどうなっているだろう。
野戦病院のような有様を想像していたのだが、保健室の中は思ったよりも静かだった。日月も含めて怪我人はもちろん休んでいる。だが彼らは既に治療を終えて運び込まれてる人で、新しい怪我人が運び込まれてくる気配もなければ、真新しい血の匂いもしない。
痛みに呻く人もいないし、何よりも張り詰めた顔をして廊下や窓の外を警戒している人がいない。
昼間になったからと一瞬考えたが、昨日はそんなことお構いなしに、学園内で七億不思議が暴れていた。
「今、どうなってる?」
「俺もまだわかってないけど、あのでかいのが祓われたっぽい」
「でかいのって
……
」
学園長の顔をしていた七億不思議を思い出す。
複数の人間による目撃情報があるから、それは確かな情報らしい。それ以降、学校内で判子も目撃されていない。
学園長は死んでしまったのかと、思った。
死んだも何も七億不思議になった時点で、生きてはいないのだ。人でなくなった姿がそれを物語っていた。だがそれすらも祓われ、きっとあの判子やボールのようにこの世に痕跡すら残さずに消えたのだと思うと、知り合いが二度死んだような気分を味わった。
今回の騒ぎの原因があの七億不思議だったのだから、祓うよりないのだというのは理解していても、ショックを受けないわけではない。
七億不思議イコール学園長の部分に、日月は触れなかった。
「アレが倒されたから、判子の影響が消えて落ち着いたみたいだ。判子自体もたぶん消えてる」
今は本当に校内が安全になったのかを確かめながら、少しずつ事態収集のために動いている。すぐさま治療が必要な人は病院に送られ、動ける人は部屋に戻った。だから、保健室の中には治療のあと休んで行った人しか残っていなかった。
日月の背中の判子の跡も消えていた。怪我は残っているものの、本当に大丈夫になったようでホッとする。
「俺たちも帰っていいってこと?」
「たぶん」
その判断をできる人間はこの場所にはいない。自己判断と自己責任だ。
だから目が覚めたあと、均はあっさりと寮の部屋に帰された。学校内では一部設備が壊れているので、気をつけるようにと注意があったくらいだ。
知らない場所で起こった事件は、知らないうちに解決していた。
大抵の七億不思議が起こした事件がそうであるように。だが、だからといって今までのように、何事もなく日常に戻るというわけにはいかなかった。
流石に被害が大きすぎる。七億不思議それ自体が見えなくても、今回はそれが巻き起こした現象やドッ祓いは一般人に目撃されている。
ブライの中の動きは統一されていなかった。授業があると言われたときは学校に出るが、そもそも教員が入院していたり生徒がほとんど欠けていることもあった。まだ安全が証明されたわけではない考えている大人は、生徒たち寮で待機するべきだと主張したし、七億不思議のことを今まで通り隠したいと思っている祓魔師は、表面上だけでも日常への回帰を望んだ。
それぞれの考え方をぶつけ合わせ擦り合わせて、一つの答えを出そうという考え方が、プライの人間にはない。それを統一させてくれるはずのトップを今は失っている。
どこに落ち着くのかわからないまま、不規則になった生活に合わせてなんとか学校生活の形を保ちながら、空いた時間は日月に会いに行った。
相罠関係を結んですぐに、色々なことに巻き込まれてしまった。二人が本当に相棒になるために必要なことを話し合うためだ。
他にも、追い詰められたとき一度だけ見せてくれた能力のことも確認したかったが、日月の腕はしばらく絶対安静を言いつけられていて、しばらくは球を投げられるような状態ではなかった。
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