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望月 鏡翠
2023-11-03 10:41:23
5212文字
Public
世界観共有
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5、獲物追う猟犬、背後の敵
ブツメツフツマ/平 均
夜の闇の中に、蛍光色が散る。それが均に危険を知らせて、回避することができる。
日月と違うものが見えているとわかる瞬間が、一番怖い。
一般人にすれば見えてしまっている方だが、均は七億不思議の全てを、知覚できているわけではない。二人の見ている世界は違い、見えない側にいる何かがこちらに手を伸ばしている。
知らない間に危険がすぐそばに迫っている。その感覚は底が見えない深い水に入ったときに、中に巨大な生き物がいる想像をしてしまったときのぞっとする感覚に似ていた。
仄かに光るカラーボールのインクが、見えないものを見えるようにしてくれる。
安全な道を教えてくれる。
「ヘーキン、屈んで」
滑り込むように姿勢を低くすると、頭上をびゅとカラーボールが駆け抜けていった。
最後の一球が止めになって、インクに全身を覆われた七億不思議が消えていく。工業的な蛍光色は七億不思議に対する恐怖を軽減してくれている。
姿勢を低くしたまま疲れて立てなくなった均は、汗を拭いながら日月を見上げる。手には新たな一球を握っており、まだ油断なく周囲を見ている。
「俺たちさ、割といいコンビだよな」
相罠関係は、うまくいっているように思う。
「かもな」
日月が唇の端を持ち上げた。
だが、すぐに微笑みが消える。
「ちょっと、数が多いかもしれない」
逼迫した空気と、見えないまでもそこに何かがいるという不穏な気配だけは感じとることができてしまう。
「やばくなったら逃げる
……
んだよな」
まだ初日。ただの腕鳴らし。命の危険を犯すようなことには、まだならない。そう思って均はここにいる。
「走れるか?」
体力は限界に違いが、走れないなんていう選択肢はない。
「頑張る」
地面に投げ出してあったカラーボールが詰まった鞄を掴む。どこまで走れば安全なのかわからないが、近くに人は見えない。助けが必要ならば助けてくれる人がいるところまでは逃げなければ、助けてもらえないということだ。
「合図したら」
日月の言葉は最後まで聞けなかった。
しゃがれた声で、電線に止まった烏が鳴いた。
その数があまりに多く、かき消されてしまった体。
夜よりなお黒い影が、空を覆う。
気がつけば、途方もない数の鳥が二人の周囲に集まっていた。
それは屍肉を狙って命が尽きるのを待っているようにも見えて、気味が悪い。
「効率悪いよねぇ。群れで行動する敵に一個一個ボール投げてるなんてさ」
せせら笑う声。
闇にとけるような黒い服を着ているその人は、闇の中から湧き上がるように現れた。肌だけが不健康に白く、人を馬鹿にしたような笑いが口元に張り付いている。
「手伝ってあげようか?」
日に当たらない不健康な指先が、ついと宙を撫でそして鋭く振り下ろされた。
烏が殺到する。自分に襲いかかってくるように思えて、均は思わず顔を覆った。風切羽が体を掠めていく。
音を立てて骨が崩れる。烏たちが、骨でできた魚の体を翼で打ち据え、嘴で啄み、足で引き裂いてバラバラにしていく。
視界を覆うほどのそれは、まさしく数の暴力だった。
「ほーら、すぐに終わったでしょ」
動いている七億不思議が一匹もいなくなると、烏たちは上空に舞い上がる。
あとには均と日月、そして黒服の見知らぬ生徒が一人残されていた。
「あ、初めましてぇ。追食 ひもすだよ。所属は違うけど仲良くしてね」
追食は身に纏う底知れなさと対照的な軽薄な態度で手を振り、腕につけたクラスリボンをアピールした。色は赤。そして特待生であることを表すマーク。ヤサ愚連所属の生徒だ。
「助けてくれて、ありがとう」
声をかけても均とは目が合わなかった。かわりに追食の肩に止まっていた烏が、均を見つめ返してきて、なんとなく威圧感がある。さっき骸骨を蹴散らしていた烏たちだ。いざとなれば暴力性を発揮してくる生き物だと思うと怖い。
「アンタの名前は?」
「日月 明」
聞かれている気はしなかったが、均も名乗った。礼儀として、そうした方がいいと思ったからだ。
「平 均です」
追食とそこでようやく目があった。
身長はほとんど同じくらいだったが、わざわざ背を丸めてぐいと顔を均の胸元につけてあったリボンを確かめる。
「よろしく、日月くん。こっちは一般生徒だよね」
下から見上げられるようにすると睨まれているようで、やはり怖い。助けを求めて日月を見るが、彼も困惑していた。どうやら知り合いというわけではないらしい。
「お前も、見回りの最中?」
「そぉだよ。でも宛てもなく七億不思議を探し回るより、囮がいてくれた方が探しやすいし、アンタも消耗しなくて済む。実はもう腕パンパンだったりするんじゃない」
日月の眉間の皺が深くなる。
「祓えるのか?」
「追食家ってちょっと有名なんだよね。私には血筋に保証された力がある。この子たちはまだお腹いっぱいになっていないし、そろそろ大物を仕留めて学校にちゃんとやってますよっていうアピールもしたい。どう?」
日月は、均を見た。
頷く。いい話のように思う。二人いたら、七億不思議に遭遇しても安心だ。
「別にアピールはどうでも良いけど、ここに在籍する以上ドッ祓いは義務だし、オレも一対一の勝負に強いわけじゃないから助かる」
「じゃ、共闘関係成立ってことで」
握手を交わす。
「具体的に何をすればいい?」
均は二人を見る。共闘関係を結ぼうと言った瞬間から相手に苦手意識を持つのも気まずいのだが、追食に話かけると無視をされるような気配がして、日月の方に話かけてしまった。
「ヘーキンはさっきみたいに、七億不思議を引き寄せて。見えにくいやつがいたら、俺がマークをつける。で、こいつが祓う。でいいんだよな?」
手でOKのマークを作って返事をする。
均は、また夜の街に出ることになった。
前よりも少し奥まった場所に。
事故や事件があった場所。不穏な噂がつきまとう場所は、七億不思議が出やすい。何がいるのかわからないから、危険な場所は避けていたのだが少しだけ踏み込んでみることにした。
羽ばたいていないと夜の闇に溶けているが、周りの住宅の屋根や電線に烏がいる。囚人監視のような威圧感があった。
やることは変わらない。七億不思議を呼び寄せ、二人が祓いやすい場所まで誘導する。危険度が高くなると無事に逃げ切るまでの難易度が上がる。烏もあんなに見守ってくれているし、日月もいる。大丈夫だ。
言い聞かせる。街に出る。スマホに指を掛け、そんなことにはならないと自分に言い聞かせる。
「初心者なので、お手柔らかにお願いします」
離れるとき、追食が肩を掴んだ。シャツ越しに食い込む爪の鋭さと力の強さに思わず体が強張る。
「初心者? いやいや、君は二回目でしょ」
ニヤリと笑う。その笑顔の意味を問うよりも前に、背中を強く押されていた。
振り返る。追食は街灯の明かりの外側に出て、笑顔は闇に溶けていく。
二回目とは、どういう意味なのか。
確かに囮をするのは、厳密に言えば二回目かもしれない。さっき姿の見えにくい骨の魚に追いかけられたときを最初の一回と捉えるのなら、厳密に言えば二回。だが、今日初めて七億不思議のことを知らされて、初めて相手取るのだから経験としては、まとめて最初という気分だ。
それより前。いや、あるのだろうか。昨日の、あの化物。
楽しいを無理やり頭の中に差し込んで、均を飲み込もうとした七億不思議。危険度で分類するなら、どれくらいになるのだろう。今日出会った個体よりは、危ない個体のはずだ。
日月に引っ張られ塩谷が立ち向かうのを見て、そのあとはどうなったのか知らない。ドッ祓割れたのではないだろうかと思っていたが、もしそうでなかったら。
また均を狙って出てくるのではないだろうか。
背筋が冷える。
目の前には夜の街が広がっている。
遠くに見える人影。いや、あまりにも遠くにいるから人影に見えただけだ。隣の建物や街灯との縮尺がおかしい。
頭の中で思い描いた最悪のことが、現実になったみたいだ。
祓われてなんていなかった。また目の前に現れた。
周りを見回す。烏は均を見つめている。化け物は距離を詰める。
「追食さん」
声を上げる。烏は均を見つめている。化け物が、あの悍しい顔が見える距離に近づいた。
「助けてください。日月! 追食さん!?」
周りに人影はない。烏はシルエットになって夜の闇に沈んでいる。
スマホを取り出す。何かがおかしい。日月の姿が見えない。追食の烏が動かない。
連絡をしようとすると、着信があり思わず出ていた。
「日月? 七億不思議、昨日のやばいやつが
……
」
『あ〜ごめんね。私だよ、私』
追食の声。
今の均には、助けてくれるなら電話の相手は誰でもよかった。
「追食さん、あの」
『アンタを今追いかけてるのは、Mrs.ハッピーライフという七億不思議』
名前なんて、どうでもいい。
「今、どこに。俺、どこに行けば』
烏が妨害をして逃げる暇を稼いでくれる。そして、案内をしてくれるんじゃなかったのか。
『出現場所は不明。あんなにでかいのに、隠れるのがうまくてね、獲物を追いかけ回していても、なかなか周りの人間からは視認しにくい』
「なんの話? 助けて」
『なかなか尻尾を掴めなくて困ってたんだ。ただ、あれには一度マーキングした獲物を執拗に追いかける習性がある。頭に割り込んでくる楽しいっていうやつ。何回くらいやられたか知らないけど、まあ一度で済んでるわけはないよね。大正解だ』
聞いていない話を淡々と続ける追食の声を聞いて、均はようやく気がついた。
もしかしたら、この人には助けるつもりなんてないんじゃないか。
『昨日もそうなんだけど、逃げられちゃったんだ。確実にドッ祓うには、一撃で致命傷をあの巨体に叩き込めるだけの攻撃力と瞬発力を持つか、もしくは捕食中で動けないときを狙うのがいい。だからさ
……
』
気のせいではない。電話の向こうの追食の声、とても楽しそうだった。
『君、ちょっとあれに食べられてきてよ』
烏たちは、黙って均を見つめている。
電話を、切る。このまま話していても見殺しにされてしまう。日月と連絡をしなければ。また電話がかかってくる。故意に邪魔をされている気がした。着信を拒否し、アドレス帳を連打する。
「日月!」
どこにいるのか、わからない。全部、追食が教えてくれる手筈になっていたからだ。
「ヘーキン、こっちだ」
日月の声が聞こえた瞬間泣きそうになった。カラーボールのインクは、日月の力で蛍光色が更に淡く光って見える。オレンジ色を頼りに走る。
振りかぶるのが見えた。
ボールを投げる。
インクが広がる。
気がつけば、あの七億不思議の悍しい気配は消えていた。昨晩の恐怖が蘇り、足を止めた瞬間に嘔吐していた。震えが止まらない。
駆け寄ってきた日月が、蹲った均に水を差し出し、背を撫でた。隣にカラーボールの入った鞄が置かれて、安全な場所にやってきたのだという確信を得ることができる。
呼吸がなかなか落ち着かない。
「あ〜、逃げられちゃった。もう少しで捕まえられそうだったのに」
どこに隠れていたのか、追食がのこのこと出てくる。捕まることを期待されているのは、きっと七億不思議ではなく均の方だ。
「お前、どういうつもりだ」
その胸ぐらを、日月が掴み上げた。
「何が?」
「今、危なかっただろうが。連絡は? 協力するって話だっただろ」
「別にいーじゃん、次を見つけなよ」
追食は、全く悪びれなかった。
均に食われてくれと頼んだことを、隠さなかった。たぶん隠すべきとも、思っていないのだ。
「協力って言ったから、飲んだんだ。俺の相罠に勝手なことするな」
黒いシャツを掴んでいた手に力が籠る。声に怒気が滲んでいた。
「ふーん。〝あんたの〟なんだ。囮にしてんのは一緒でしょ。有効活用させてよ」
「利用、じゃない。俺は相罠をちゃんと守る」
「どうだか。自信がないから協力もいいと思ったんでしょ。気持ちだけあっても実力が伴わなくちゃなぁ」
日月は答えなかった。
もうこれ以上の話をしても無意味だという拒否が、そこにはある。
「ヘーキン歩けるか? もういい、行こう」
踵を返し、均の手を掴み歩き始める。それに従って歩き出し、だがどうしても黙っていられないことがあって振り向いた。
「俺と日月は、ちゃんと協力してる。利用されてるわけじゃない。追食さんと一緒じゃ、ない」
あの人と日月は違う。きっと決定的に。
七億不思議ではないけれど、追食は均にとっては同じくらいの危険で、敵だった。
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