望月 鏡翠
2023-11-01 01:39:26
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4、皮一枚、剥いだ内側

ブツメツフツマ/平 均

 均は話を待っていた。
 昨晩何が起こって、どうなってしまったのか聞きたかった。日月と塩谷先生は、あれが逃げるべきものなのかを知っていた。だが驚きも困惑もしていなかった。知らない振りをして、見えていないことにして、自分の頭がおかしいんだと言い聞かせてきた。
 そうでないのなら、知りたい。
 死にかけた。自分に嘘をついて、わからないことをわからないままにしたことを、後悔した。だから、もう気のせいで誤魔化すつもりはない。
「じゃ、そういうことだから」
 手を上げて、立ち去ろうとする。
「どういうこと!?」
 流石にごまかされない。
 握り締めたスマホの画面は、割れている。表面に指を滑らせれば指を切りそうになる鋭利なガラスの縁が、あれは夢ではなかったと告げている。
 薄皮一枚の向こう側。裂けば血の出る肉の内側は、見えていないだけで確かにそこにある。
「今は、ここじゃちょっとまずい」
 日月が視線を巡らせる。周囲を気にしている。
 タイミングを図ったように、予鈴が鳴る。
「放課後に時間あるか。そこで、ちゃんと説明する」
「時間はあるし、なくても作る。だから、ちゃんと聞かせてよ」
 手を離す。
 主観としては長いけれど、大人から見ればそう長くはない人生の十六年間を耐えてきたのだ。今更、放課後までの数時間、どうってことはない。なんてことにはならない。今すぐ知りたい。日月の胸ぐらを掴んで問い詰めたい気持ちを押さえつけて、学校生活を送るのは、大変だった。
 だがおかげで、少しわかったこともあった。
 一般人の生徒は、遅刻してきてジャージ姿の均を見て、首を傾げる。だが特待生たちは、事情を何か知っている顔をする。突然物が壊れたり、学校にくることができなくなったり、恐ろしい目にあったりする何某かの事情を共有している。
 特待生は勉強ができるから特待生を名乗っているはずなのに、学力にあまり差がないことを疑問に思ったことがあった。特別授業で勉強道具には思えないものを持って、校庭に出ていく生徒がいるのが不思議だった。その全ての謎の答えが、今日の放課後の会話のあとに存在するような気がした。
 放課後、話をするために選んだ場所は、人払いを済ませた空き教室だった。前もって準備してあるようで、きっと日月が先生に話を通したのだろうというのが、すぐにわかった。
 教室には日月の他に、塩谷先生が待っていた。手元の端末に用意しているのはどうやら科学の資料ではないらしい。
 テーブルの上には紙が一枚。小難しいことがいろいろ書かれているが、誓約書と一番上に書かれていることだけはわかった。均が机に近くと内容がまだ読まれないように、伏せられてしまった。
『これから説明することは他言無用。当然、メモも取らないでください』
 思ったよりたくさん、あの存在について知っている人がいるかもしれないと予想していた。今まで露見していないのだから、大人の協力も不可欠だろう。
 まだ想像の通りのものしか、目の前に現れていない。
 先生と付き添い。机を挟んで向かい合っていると、まるで三者面談みたいだ。つきそいが 両親じゃないというところだけ、違うけれど。
「これは、俺の一存じゃ決められないことだから、先に確認しとくな」
 改まった調子で、対面に向かった日月がいう。いや、本当に意識を改めるべきことなんだろう。きっと命に関わるのだから。
「このことを知るなら、手を貸して貰わないといけない。それが嫌なら、気のせいだと思って、普通に生きてってくれ」
 主題を避けるから、曖昧な言い方にしかならない。それでも日月が伝えようとしていることはわかった。
『安請負いはしない方がいいです』
 塩谷の平坦な機械音声が、忠告する。
 簡単な覚悟では決めてはいけないことくらいはわかっていた。
 朝起きたとき、あれは悪夢だったと思い込もうとした。現実じゃないと言い聞かせても飲み込めない恐怖が、腹の底に残っている。知るということは、そちら側の世界に足を踏み入れるということだ。誰かが見えないようにしてくれていた目隠しを、外してしまうのだ。
 それが意味することを考えれば、詳しく説明されなくても想像がついてしまう。協力をするということは何かしらの形で、昨日出会ったような化け物たちと相対するということだ。
 できますなんて、すぐに頷けるはずがない。
「聞かせてください」
 それでも均は引き返さなかった。
 その世界は、すぐそこにある。同じ場所にいるのだ。
 だってもうすでにはっきりと、それが見えてしまっている。何もかも中庸な人間に、ただ一つ平均以上にできることがあった。活かす手段があるのなら、活かしたい。
 逃げたくない。何も知らない振りをして、今までと同じ生活をなんて、そんなのは無理だ。
「いいよ。俺にできることをいってよ」
 ここから先は、引き返せない。
 声の細い塩谷の、ため息の音だけは他の人と同じ音量で聞こえる。ロックが掛けられているファイルが開く。アプリの読み上げ音声では足りないところを、それらが細くしてくれた。
 それは世界の裏側の話だった。
 七億もいる、人でないものたちのことだった。人の生気を吸い、あるいはもっと直接的に人に害を成しながら生きる異形のものたちが、今この瞬間もきっとすぐそばにいる。
 ときに少しだけ疲れさせ、ときに命を脅かしながら。解けない糸となって、生活の中に巧みに織り込まれているのだ。目を塞がれていただけで、その世界はずっとそこにあったのだ。
 厳しい門限の理由を知った。
 そして夜も外出できる特待生や、非常勤講師の存在も知らされた。
 なんの力も持たないまま目隠しを外された均は、代わりに契約を交わさなければいけなかった。
 この場合は日月を相手にして、ということになる。
 相罠関係。
 ドッ祓うことができないなりに、引き寄せるくらいはできる。
 その運命を完全に受け入れたと言ったら嘘になる。化け物と直面すると考えたら、やっぱり怖い。それでも約束は約束で、契約は契約だ。今更逃げるわけにはいかなかった。
「じゃ、そういうことなんで」
 日月が手を差し出す。その手を握り返す。
 契約を結んで、これで正式に彼の相罠となった。実際何をすればいいのかなんて、その時の均はまだ、欠片もわかっていなかった。
 日が暮れたら、外に出る。
 契約を結んでからの初仕事は、腕鳴らしのためでもあり均は見学の意味合いも大きかった。先生からは無理をしないようにと言い含められたが、忠告をされながらも無理はしないようにとそのまま、外に投げ出されてしまったことには驚いた。
 自由な校風であるのは知っていたし、今に始まったことではないが、想像以上の放任主義。
「危なくなったら、すぐに戻ろう。ヘーキンは、まだ初心者だし」
「確かに」
 絶都市に越してくるまでは夜を知っていたはずなのに、物凄く久しぶりに外の世界を見たような気がした。外が暗くて、街灯以外の明かりがない。そんな当たり前のことが新鮮に思える。
 不謹慎だが、わずかに高揚してしまった。
 制服がクリーニングから帰ってきていないから、均はジャージのままだった。動きやすいからいいのではないか、というのが日月の意見だった。外に出る前に、持ってきた大きな鞄の中身は大量のカラーボールだった。ポケットに二つほど移動させてから、街に出た。
 彼は戦うのにそれを使うらしい。昨日記憶の中で鮮やかにはじけた蛍光塗料の色を思い出す。暗闇の中でも、よく見えた。
 七億不思議をドッ祓うことは、逢禍学園に在籍する者に義務として課せられている。その代わりに金銭や住居の支援があり、カラーボールも特注品も経費で支給してもらえるらしい。
「でも命がけで、戦わなくちゃいけない……てことだよな」
 同じ学校に在籍している学生なのに、立場があまりにも違う。羨ましいと思っていた特待生の特権も、戦いと引き換えと言われるとそこまで欲しいものではなくなっている。
「初日からそんな危ないことには、ならないようにする」
「要は、俺って囮ってことだよな」
「まあ、そういうこと」
 日月は、言いにくそうにした。
「なんかこう、護身用の加護とか結界とか、そういうのない?」
「そういうファンタジーなのは、ないな」
「ないのか……
 覚悟を決めるしか、ないらしかった。
 この間のようなでかいやつは、そうそうでないという言葉を信じるしかない。
 七億不思議に抵抗する手段を持たない一般人はいいカモで、この時間に出歩いていることはそうそうない。知能の低い七億不思議が、勝手に呼び寄せられてくるはずだ。
 なら強い個体や知能が高い個体はどうなのかといえば、もう少し出現条件を選んだり、場所も学校から離れたりしているらしい。
 そうでなければ今頃、他の先生たちに総出で祓われている。
 その言葉を信じて均は夜の街に踏み出した。
 記憶にあるよりもずっと人が少ない。当たり前だ。こんなに危険がたくさんあるのだから。一般生徒はもっと前に帰宅している。出歩いているのは、特待生か均のような相罠契約を結んでいる人間だけ。
 空を見上げる。やけに明るい夜だった。
 月の光はこんなに明るかっただろうか。
 更に先に行こうとして、体が動かなくなる。
「え?」
 突然の金縛りに混乱する。日月に連絡する隙すらなく、指の先まで凍りつく。
「後ろだ!」
 日月の叫ぶ声がする。
 風が鳴る。
 パン、とカラーボールが空中で弾けた。鮮やかなオレンジ色が空中に枝のように広がる。身を翻した見えなかった何かの形を浮かび上がらせた。夜を仄青く照らす光の正体。鰭と頭骨。
 骨がオレンジ色に染まっている。
「魚?」
 声が出たことで、体が動くようになっていたことに気づく。
「ヘーキン、こっちだ」
 日月が手を振る。
 何かがいるのは、ボンヤリとわかる。だが、気配が薄くてよくわからない。
 魚が泳ぐ夜は明るい。
 パンとまたカラーボールが弾ける。見える。はっきりと、そこに魚がいるのを視認できる。地面に滑り込んで、交わし日月の元まで走る。
 地面に下ろした鞄は口を開き、カラーボールをいくらでも取り出せるようになってる。
「これで、良かった」
 少し走っただけなのに、息が切れる。筋肉痛だったことを今更のように思い出した。
「助かる。一箇所にまとめてくれると」
 日月が、ボールを握り地面を踏み込む。
「俺はやりやすい」
 ざりと、アスファルトの靴の間に挟まれた砂利が鳴る。
 加速する。
 オレンジ色が宙を裂く。カラーボールのインクを大量に浴びた魚の体が崩れていく。見えなくなったわけではなく、祓われて消滅したのだというのが気配で分かった。
「これで……おわり?」
 拍子抜けするくらいに、簡単に祓えてしまった。
「そう。全部、俺が抑える。ヘーキンは危ないことないから」
 頼もしい背中は少し均よりも小さい。
 赤い髪は相変わらず暗闇の中で目印のように鮮やかだった。