不幸は突然訪れるものだが、幸せもまた、突然訪れるものなのだと知った。
「悟くん、ちょっと話があるんだけど
……」
「んあ?
……ん、いいよ。○○のご飯も終わったし」
手を合わせて上目遣いに、おいおーあま《ごちそうさま》、でちた《でした》! と可愛らしく言えた息子の頭を撫でると、ベビーチェアから下ろしてテレビを点け、教育番組にチャンネルを合わせてあげた。息子の様子を見ながら□□に椅子に座るよう促すと、□□は白い色の、体温計のようなものを僕の方に差し出してくる。何だろう? と思ってサングラスをずらして見てみると、真ん中の辺りにある窓に赤い二本の線。棒には、陽性、陰性の凡例が印刷されてあって
……。
「妊娠、したみたい」
「
…………うっそ。え、マジ? え? これって妊娠検査薬ってやつ?」
「うん、○○の時も同じように検査薬使ったし、生理、ひと月飛んでるの」
「え、
…………え?! 本当に?! うわマジ? やった
……やった! こうしちゃいられない! ほら□□、早く座って! つわりは? お腹痛いとかない? 酸っぱいもの食べたくなるんだよね? レモンとかあったっけ? あっ! 重い物も持ったら駄目だかんね!」
「あははっ、気が早いよ悟くん。つわりはまだ大丈夫。悟くんが普段からイクメンだから、体調も良いし無理もしてないから。安心して」
「でもさぁ! ほら! アレだよ! オマエ一人の体じゃないんだから!」
「ふふっ! 悟くんって、そんなに取り乱すことあるんだ。ほっぺた真っ赤で○○が興奮してる時みたい」
□□はくすくす笑っているけど、この小さな体にもっと小さな命が宿ったんだと思ったら気が気じゃない。牛乳も少し温めてからテーブルに置くと、テレビの中でよちよちと走り回っている歳の近い子ども達を観て、真似しながら走ったり踊ったりしている息子を見守りながら、二人で朝食を摂る。
「ふふ、少しクールダウンした?」
「ん。もう大丈夫。多分。絶対。あーでも嬉しくてニヤニヤしちゃう」
「あははっ! 大抵のことには動じない悟くんでも、そんなになっちゃうんだね」
「僕だって人間だからね。ね、僕も産婦人科ついてっていい? 男が行くとやっぱ浮いちゃう?」
「そんなことないよ。父親になる人もちらほら一緒に来てるし、もちろん大歓迎。それに○○くん、多分待合室で走っちゃうから、悟くんがいると助かる。他の方にぶつかったりしたら大変だし。それで
……産婦人科なんだけど、○○くんを産んだ所にしようかなって思ってて。あの人は一度も付き添ってくれたことなかったから顔もあまり知られてないし、変に気を遣われることもないかなって」
「□□が気にしないなら、僕はその産科でいいよ。ところで、そこって女医さん?」
「へ? ああ、そういえば女医さんだったよ」
「うんうん、いいんじゃない? いつ行く?」
「うーんとね、あんまり早く行くと心音確認できないこともあって、そうなると妊娠届出せないし母子手帳も貰いに行けないんだ。だから
……そうだなぁ
……来週、一度行ってみようかなって」
「オッケー! 僕もスケジュール調整するよ」
「ぱぱ、まんまー?」
「うん、マンマお腹いっぱい食べたよ。お母さんのご飯美味しいもんね」
「おいちぃね!」
テレビの前から僕の元にトテトテと走ってきた息子を抱き上げる。
ああ、こんなに可愛い子が、更にもう一人我が家に増えるのだと思うと
……。思わず頬が緩みがちになってしまうし、顔がさっきからぽかぽかと温かい。
三人で準備を終えると、現在お試しで雇っている保育士に○○を預けに行き、□□に無理をしないよう念押しをして、各々の仕事に向かったのだった。
■■■
「うん、心音聴こえますね。ドクドク言ってるのが心臓の音、あの小さな影が赤ちゃんですよ」
「
……まま」
「大丈夫だよ。あのね、○○くんはお兄ちゃんになるんだよ」
診察室に大きく響く心音に不安になったのか、○○は僕にしがみついて不安そうに見上げてくる。□□が優しく頭を撫でると、ようやくホッとした表情になり、いつもの調子を取り戻し始めた。
「妊娠届を発行しますね。一緒に頑張りましょう」
「ありがとうございます。今回もよろしくお願いします」
「あ、そいえば先生、ここって立ち会い出産出来ます?」
「はい。ご夫婦で話し合ってお決めになられてください。五条さん、二人目は
……、ふふ、優しい旦那様のようで安心しました」
少し心配そうに僕をちらりと見た女医は、いとこと僕が似ているけれど別人だと気付いたのだろう。ニコッと笑うと、また二週後に来てくださいと言って、○○くんまたね。と手を振ってくれた。
三人で診察室を出ると、待合室に走って行こうとする息子を捕まえて抱き上げる。□□も言ってたけど、これは確かに、幼い元気の有り余った子どもと一緒に妊婦健診に来るなら、僕が付き添うか保育士に預けないと危ない。妊婦や体調の優れない人に突っ込んでいったら大変なことになる。
それにしても
……産婦人科が少ないせいもあるんだろうけど、待合室も人でいっぱいだな。ていうか、あそこの夫婦、なんで旦那が偉そうに椅子に踏ん反り返って、お腹大きい奥さんがしんどそうに立ってんの? ちんこでも痛いのか?
「ぱぱ! まま、おいちゅ、ない!」
「お母さんは大丈夫だよ」
「ねぇねぇ、そこの旦那さん。なんで君が座って、お腹大きな奥さんが立ってんの?」
「
…………は?」
うっわ、こいつマジ? 今、自分が言われたって分かってなかったんだけど。おっといけない。呆れて口を開けたままになっちゃったよ。
「そうそう、君だよ君。なんで座ってんの? 元気そうだけど」
「はぁ? 見て分かりますよね? 妻の付き添いですよ」
「奥さん、もう臨月なんじゃない? お腹かなり大きいし、いつ生まれてもおかしくなさそうじゃん。なんで座らせてあげないわけ? 君が付き添いしてもらってるみたいだよ? あ! もしかしてちんこ痛いとか?! ごっめーん! ここって産婦人科だから気付かなかったよ! もしそうなら泌尿器科受診しなね!
……ああ、それとも」
ま、僕も人のこと言えた義理じゃないんだけど。この待合室で勘違いしてるの、こいつだけじゃないんだよな。自分は気持ち良い思いして種仕込むだけで、相手には死ぬ思いをさせて生んでもらうってのに、これは失礼でしょ。
サングラスを外して見下ろすと、男は目に見えてたじろぐ。○○を抱いたまま、ズイッと顔を近付けると、気圧されたのか、男は奥さんにごめんと言いながら椅子を譲った。
「ここで踏ん反り返ってる自称イクメン予備軍は、想像力が足りないのかな?」
「ぱーぱ、おりる」
待合室に居る元気そうな男達をジロリ、と一瞥すると、そっと息子を床に下ろした。□□が会計に呼ばれてそちらに向かうと、まだ小さな息子は、別のまだ座っている男の前に行き、おちんちん、いたいいたい? と大声で訊いては、恥ずかしそうに奥さんに席を譲らせている。クスクスと笑う女性陣の声に、座っていた男達は立っていた妊婦や体調の悪そうな人に席を譲り始め、○○は近くにいた初老の女性に、坊やは優しいねぇ。ありがとうね。と頭を撫でられていた。
「悟くん、○○くん」
受付にいる□□に呼ばれ、○○を再び抱き上げて向かう。と、受付近くにいた看護師に、ありがとうございます。と礼を言われた。
「五条さん、旦那さんがイケメン過ぎて、皆ビビッて席譲りましたよ。イケメンの怒った顔って怖いですもんね。ところで旦那さん、何か武術とか嗜んでいらっしゃるんですか? 自衛隊とか警官、消防士とか? 凄く迫力というか、殺気が飛んでましたけど。体格もいいですし」
「あの
……、僕、やっちゃいました?」
マズい。担当医も良い先生みたいだから、□□も希望しているし、どうにかここで出産をさせて欲しいけど、やらかしてしまっただろうか。でも、妊婦立たせて男が座ってるって、どう考えてもおかしい。付き添いで来てるわけだし。
「出禁とかなっちゃいます
……?」
「いえいえ! 実は私達も困っていたので。ここだけの話、いいザマです。体調が安定しない方も多くいらっしゃるので。また困ってる方がいたら助けてあげてください。院長にも話はしてありますし。では五条さん、次の健診で。○○くんの時のように、つわりが軽めだといいですね」
「ですね。今日はありがとうございました」
「ばいばーい!」
にこにこと看護師に手を振る○○を抱っこすると、□□の荷物を持って車に向かう。今日は嫌な感じもしないし、伊地知に呼ばれたとしても夜だろう。役所で母子手帳をもらい、その後は三人で外食をすることに決めると、後部座席の息子とバックミラー越しに目を合わせて笑いながら、車のアクセルをゆっくりと踏み込んだ。
※書き下ろしより一部抜粋
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