空の一日目

リクエストいただいた「修行時代の、まだ一人称がわしではなかった頃の望ちゃん」です。
仙人界に来て一日目でペースを乱される呂望。

「人の話を聞けよ!」

色の少ない世界だった。空は灰色に近いうす青で、地面との境目も曖昧だ。一歩ずつ踏みしめて歩いているが足が重く、でもどこかふわふわと現実味がない。
怪しいジジイに仙人界に来いと言われ、勢い勇んでついてきたはいいが、崑崙山は想像よりずっとつまらないところだった。まだここに来て一日目だけれど、仙人道士が住まうというから、もっと一面に花が咲き、年中果実がたわわに実っているのだと思っていたのに。
そんなのはお伽噺だよと、前を行く仙人が笑った。歩調はとても軽やかで、それだけがこの世界がうつつではないことを印象づける。あんなに体重を感じさせずに歩く人を、地上では見たことがない。
「とても優秀なんだって? 元始天尊さまが褒めていらしたよ」
「ありがとう、ござ、います
息が切れそうなのをこらえて答えると、いい返事だね、とずいぶんうれしそうだ。
優秀と思われているならよかった。仙人になるために、おとなしく聞き分けのいいふりをしていたのだ。
「仙人骨がある人間なんてそうそういないからさあ。見つけるのもひと苦労なら、その原石を磨くのにもなかなか大変なわけさ」
背の高い仙人は、何だかんだ調子よく話しかけてくれるが、緊張のせいか、空気が薄いせいか、息が苦しいし、音が耳に入ってこない。それをわかっているのかいないのか、呂望の返事を待たずペラペラとしゃべり続ける。
「きみはここで何をしたいか、決まってるかい?」
「やり、たい……こと、」
「そうそう。ある程度やりたいことに合わせて修行の方向性を決めた方がいいと思うんだ。向き不向きもあるし」
僕は、と言おうとして声が出なかった。足を止め、肩で息をする。体力には自信があったつもりだけれど、こんなに疲れるなんて。
「武術を身につけたいなら、そういうのが得意な仙人に教えを乞うのがいいし、学問を究めたいなら、くわしい仙人はいくらでもいる。きみはどうしたい?」
「僕は、」
「ちなみに私は、宝貝が専門なんだけど、そういうのは興味ない?」
「ぼく、は、」
「まあ最初からこれと決まっているほうが珍しいけどねー」
荒い息を吐き、やっと返事をしようと思ったら、のんきな口調に遮られた。やりたいことなんてひとつしかない。妲己を倒して悪い仙人を一掃して、仙人道士のいない世界を作る。きっと一筋縄ではいかない。それをおまえは教えてくれるのか。そういってつっかかりたかったが、すでに足はガクガクして、言葉にならない呻きだけが喉を震わせる。
「っだ、仙、にん、か、」
「まだ決まってない?」
「決、まっ、」
「あっそう。まあゆっくり考えるといいよ」
決めてるって言ってるだろう?!人の話を聞けよ!イライラする……頭に血がのぼる。なんでおまえは歩きながらあんなにしゃべれるんだ。
「そうそう、元始天尊さまにちらっと聞いたんだけど、きみは物理が得意なんだって?」
「ぶつ、り、って」
なんだそれ、と言いかけて息を吸ったとたん、そのまま意識が途切れた。

「ごめんよ」
次に目覚めたのは白くて清潔な部屋で、隣にはさっきの仙人が申し訳なさそうに座っていた。山道で倒れて医務室に運ばれたのだと知らされた。まだ吐き気と頭痛はおさまらないが、体調はさっきよりずっとましだ。頓服を飲ませたからねえ、と部屋の向こうから声が聞こえて、おそらく医師なんだろう。
「高山病だって。私がもっとちゃんと気をつけてあげていればよかったね」
こちらの体調など考えなくしゃべり続けたことは反省しているらしい。まあ、たしかにうるさかったが、これから仙人界で修行するには、やりたいことを明確にしておくほうがいいとわかった。体調が戻ればまた、前みたいに優等生のふりをするんだ。そうすれば早く仙人になれる。
恐縮する仙人に「大丈夫です」と呂望は言った。
「ちゃんと仙人になれるように精進します。宝貝のことも教えてください」
仙人は安心したようにぱっと顔をほころばせた。
「よろしく、普賢!」

……普賢ってだれ」

背後で医師らしい仙人が「あーあ」と言ったのが聞こえた。