オーバースペック

「執事と主人の関係で公衆の前で告白する」乙普です。普賢が主人で太乙が執事。タイトルは「手に負えない・取り扱いに困る」という意味。

「おじいさまに代わって、これからは僕があなたの主人になるから」

さっきまでざわざわとしていた広間が水を打ったように静まり返った。
上座中央に歩み出たその人は、据えられた椅子の前で立ち止まり、一瞬間をおいてから深々と腰かける。一挙手一投足を見据えるのは百人を超えるであろう一族だ。値踏みするような視線がたった一人に注がれるのを、太乙は舞台袖から緊張の面持ちで見つめていた。
年若い主人がこの日、家督を継ぐことを正式に発表する。長年、狸爺と揶揄されてきた先代が遺言書で跡取りに指名したのは自分の孫、それも生まれてすぐ外国で育てさせたという若者で、「やんごとなきお家柄」の面々は猛反発したものだった。遺言書は偽物じゃないかとか、死んだのだって一服盛られたんじゃないかとか。
秘書であり執事として仕えていた太乙は、内心ため息をつきながら「正式な書式と手続きによって、弁護士に託されています」と説明する。
十年以上前から病気で寝たり起きたり、それでも頭と口は達者だったから、そんなに悪いなんて思わなかった、というのには同意するものの、百歳近くなって自分の跡目をなにも用意していないわけがないではないか。
「そもそも、そんな青二才に、由緒正しいこの家の何が務まるのか」
頭が上がらなかった狸爺がいなくなったとたん、「できのよろしいおぼっちゃん」を青二才呼ばわりする遠縁の男(ほとんど他人だ)には「おっしゃりたいことはわかります」と頷いた。
「しかし彼もご主人の直系の孫。きっと信頼が置けるとお考えの上のご判断でしょう」

そうはいったものの、初めて引き合わされた跡取りは、太乙でさえ想像以上に頼りなく見えた。
「あなたが太乙だね。おじいさまから聞いているよ」
出迎えに行った空港で、自分を見上げてきたのは、一見どこにでもいる青年で、にこにこと人の好さそうな笑顔に眩暈がした。「あれを頼む」と確かに言われたけれど、これは本当に大丈夫なんだろうか。しかしその先入観は数十分後に覆される。普賢と名乗った青年は車の中でPCを広げ「ちょっと見てほしいんだ」と太乙に差し出した。
「とりあえず、この家の土地、資産もろもろすべて把握しておいたほうがいいかなと思って簡単にまとめてみたんだ。抜けがあったら教えてくれるかな」
太乙はギョッとした。彼が「簡単に」といったそのデータには、公になっているものだけでなく、親族の多くが主人に隠していたであろうものまですべて含まれていた。桁違いの隠し財産は、おそらく発覚すれば新聞各紙を賑わせる大スクープだ。
「ええ……いつの間に」
「おじいさまに、こういう日は近いからしっかり準備しておきなさいって言われていたから」
「準備って、こういう?!」
ねえ、太乙。普賢はPCの画面を見ながらふと呟いた。
「おじいさまを看取れなかったのはとても悲しいけれど、わざわざ波風立ててまで僕を呼び寄せたのは、こういうのをなんとかしたかったんだと思うんだけど、きみはどう思う?」
(これは……とんだ隠し玉だな)
「おじいさまに代わって、これからは僕があなたの主人になるから」
そう宣言され、頭を下げざるを得なかった。
屋敷に招いた普賢は、人としていろいろ抜けているところはあるにせよ(開けた引き出しを閉めないとか、なにか考えごとをはじめるとお風呂上りに素っ裸で考え込んでしまうとか)、きっとあの狸爺と同じくらい、もしかしたらそれ以上に大胆に、禍根を一掃しようとしているのかもしれない。

「お集まりいただきありがとうございます」
広間に凛とした声が響いた。
「おじいさまの喪が明けた日に、皆さんにご報告できることを、たいへん光栄に思います」
厳しい視線があちこちから飛んでくるが、普賢は変わらぬ笑顔であたりを見わたした。
「僕は長らく海外で過ごしていましたが、物心ついたころから、おじいさまは逐一、この家の状況を教えてくれました。きっと皆さんが思っている以上に、おじいさまは皆さんのことをよくご存じでした。この家の未来に影を落とす心配事は、僕の代できれいにするようにというのが、おじいさまの遺言です」
はっと息を飲む気配がした。次第に大きくなるどよめきを無視して、普賢は続ける。
「今月中には皆さんのところに何かしらの通達がある予定です。もうすでに根回しはしてあるけれど、異論がある人は話し合いの場を設けるので申し出てください」
ざわめきが一瞬で消え、さっきよりも重い沈黙が垂れこめた。先だって「青二才に何が務まるのか」と息巻いた男はじっとうつむいたまま顔も上げない。とうてい話し合いになどならないことは、この数分で知れ渡った――彼の作戦が成功したのだ。

舞台袖で、ほうと太乙は息を吐く。食えない主人で、気苦労も多かったけれど、それでもともに過ごした日々はとてつもなく刺激的で楽しかった。
(もうしばらく、きみの面影をあの子の中に見ることができそうだよ、太公望)
「もうひとつ、皆さんにお知らせがあります」
そろそろ幕引きをと思っていた太乙の耳に、そんな声が飛び込んできて顔を上げた。新しく主人になった若者が手招きをしている。何事だろうと訝りつつそろりと歩み出る。痛い視線が矢のように突き刺さるのを感じながら近づくと、普賢は太乙の腕を引いた。
「太乙には引き続き僕の執事を務めてもらいます。これもおじいさまからの遺言です」
初耳だ。太乙が驚いて隣を見ると、普賢はにっこり笑い、
「一生涯の伴侶とせよとのことなので、それに従うつもり」
(太公望!!)
かつての主人が残した大きな嵐を前に、太乙は呆然と立ち尽くした。