窓からのやわらかな光に照らされた横顔が、まるで一枚の絵画のようだった。以前とかわらぬ笑みに、一瞬見入っていた楊戩は「それから?」とうながされてはっとわれに返る。いけない。まだ伝えねばならないことはたくさんある。手元の報告書を何枚かかめくり、そして事務的な報告を再開する。
まだまだ世界は再構築のさなかにあり、すでに神となった仙人たちに力を借りねばならないことも多い。いま地上はどんな具合なのか、蓬莱島にいる人たちがどう関わり合っていくのか、意見を乞いながら、未来のビジョンを細かくすり合わせていく。それが教主としての楊戩の役目だった。
「ありがとう。だいたいの事情はわかったよ」
この日訪れたのは、いまだ不安定な神界システムの調整の相談だったが、対応した普賢真人はいつものおだやかな様子でじっと耳を傾けたあと、懸案事項について調査しておくことを快諾した。
「僕たちでできることなら、よろこんで協力させてもらうよ」
「恐れ入ります」
楊戩は頭を下げ、そして懐から手紙を取り出した。
「太乙真人さまからこれを」
手紙を差し出すと、彼はしばし楊戩をじっと見つめたあと、だまって受け取る。そして開かないまま、そっと茶碗の下に忍ばせた。
「……あの、読まないんですか」
「ああ、うん」
困ったように首を傾げ
「なにが書いてあるは、だいたいわかってる」
それなら、と言いかけて声を飲み込んだのは、楊戩もなにが書かれているか、知っていたからだった。
「普賢に渡しておくれよ」
神界を訪ねるとき、いつもその仙人は楊戩に手紙を託しに来る。「荷物にはならないだろう」といわれ、断る理由もないので二度、三度と手紙を預かり、そのたびにちゃんと本人に届けるのだけれど、はたして返事を預かったことは一度もない。そんなものは期待していないから、と太乙は気にしていない様子だけれど、それがいつも一方通行であることが、楊戩には次第に重荷になっていた。
「いったいなにを書いていらっしゃるんですか」
あるときそう訊ねてみた。太乙はうーんと首をひねってから「会いたいって」
それなら手紙を届けるより、直接会いに行けばいいではないのか。そもそも
「太乙さま、たまに神界にいらっしゃってますよね? そのときにお会いになればよいのでは」
「うん、まあそうなんだけど」
いつになく歯切れの悪い調子で、太乙は苦笑する。よくわからないまま、楊戩はその後も一方通行の手紙を携えて普賢を訪ねているのだけれど、そのたびに見せる浮かない顔に、なんだかこちらが意地悪をしているような心持ちになり、なんともいたたまれないのだった。
「お返事なら預かりますよ」
思い切ってそう提案してみた。普賢はきゅっと口を真横に引き結んだまま俯いて、なにかを考え込んでいるみたいだった。
「それとも、太乙さまをお連れしましょうか」
普賢はびっくりしたように顔を上げ、「それは無理……」
「無理?どうしてですか」
かつての同僚であり、よき仲間であったはずだ。仲が悪いという話も聞いたことはない、むしろとても親しくしていたはずなのに。
「太乙さまは、普賢さまに会いたいと、おっしゃっていましたよ」
いつも笑顔を絶やさないその人は、そのひと言で困惑したように眉を寄せた。
「……ちがうと思う」
「ちがう? なぜ。聞いたんですか」
「うん」
「どのように」
しばし逡巡の後、普賢が話した内容に、楊戩は面食らわずにはいられなかった。
まだ道士のころ、あまりにも周りの人の話を信じすぎて、疲れ切ってしまったとき、太乙は普賢にこう言ったという。
「あのね、普賢。他人からの好意は、話半分ぐらいで聞いておいたほうがいい。だいたい、よく知らない人からの好きって言葉は、たいていお世辞、あるいは冗談なんだから」
楊戩は頭を抱えた。
「それをあなたはずっと信じているんですか、今も?」
「うん」
「もう太乙さまはあなたの知らない人ではないですよ?」
「だって、太乙のそれも冗談?って聞いたら、そうだよって言ったんだ」
「本気でそれを信じたまま、接してきたっていうんですか」
「だって、太乙、僕にだけはあんなに笑わないんだよ」
それか。だからあんなにも歯切れが悪かったのだ。自分が言った手前、今さら本当ですとは言えなくて。最初は虫よけ程度のたとえ話だったのだろうが、よもやバカ正直にここまで引きずるとは。というか、別に好きでもないなら、こんなに何度も手紙など書かないのだから、普通は気づくと思うのだけれど。いつもあんなに頭の回転が速いくせに、なんでこういうことは思考停止するんだ?
「で、本当のところ、どうなんです。あなたは会いたいですか?」
呆れてため息しか出ないところを、あえてそう訊ねてみると、さっきのゆうに三倍ぐらいは悩んだあげく、普賢はこくりと頷いた。
「ほんとうの気持ちならいいなと、ずっと思ってた」
返事を書くよと言い、それを楊戩はじっと待った。一文字一文字考えながら、ときおり考え込みながら、したためたものをようやく丁寧に折って封をする。
「お願いします」
なんと書いたのかはわからないが、見上げる目にはどこか吹っ切れたあかるさがあった。
「たしかにお預かりします」
これを届けたとき、彼はどういう反応をするんだろう。近いうちに通行手形を発行することになるだろうなと、楊戩は思った。
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