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ことばの教室

「先生と生徒」で玉普。言葉を教えます。

「すき?あいしてる?」

約束のきっかり5分前に呼び鈴が鳴った。扉を開けた先で、その人はいつものようにやや緊張した面持ちで佇んでいた。もう何度も来ているのに、まだ慣れないのかと、内心苦笑しつつ、普賢は「こんにちは」とあかるく声をかけた。
「いらっしゃい。さあ、はじめましょうか」

レッスンのための部屋は日当たりがよく、ベランダからは初春の日が差し込んでいた。マンションの5階からの眺めが気に入って移り住んだのだけれど、彼がはじめてここを訪れたときも、いたくこの景色に感動した様子で、素晴らしいと身振り手振りで伝えてくれたものだった。いまも来るたびに窓からうっとりと外を眺めるのだ。普賢はそれをしばらく見守り、頃合いを見計らってから声をかける。
大きめのテーブルに向かい合って座り、よろしくお願いしますと一礼して、この日の個人レッスンがはじまった。

「日常会話を教えてやってほしい」
そう頼まれたのはかれこれ半年ほど前のことだった。技術系通訳をしてはいるが、教えるのは専門外だと最初は断った。「普通にどこかの教室に通えばいいのでは」そう言ったものの、事情があってそれはかなわないのだそうだ。何度も懇願され、しぶしぶ引き受けることになったのだけれど、連れてこられたのは普賢よりもずいぶん背の高い大人だった。勝手に人見知りな子供だとばかり思っていた普賢はしばしぽかんと見上げ、それからあわてて片手を出した。
「僕は普賢。よろしくお願いします」
彼は聞いたことのない言葉で挨拶をし、手を握り返した。低く響く、心地よい声だった。この国に来てまだ日が浅く、買い物にも困っているというので、日常に役立つ単語やフレーズを中心に進めましょうと提案すれば、はにかんだように笑って頷く。意外と人懐こいのかもしれない。

彼の名は玉鼎といい、週に一度、普賢の自宅兼教室に通いはじめた。最初は手探りだったが、普段買う日用品や食べ物の名前を、あるときは現物を用意し、あるときは絵や写真を見せながら教えた。玉鼎はとても真面目で勤勉で、週に一度のレッスンで覚えたことは、翌週にはもうすっかり使いこなせているようだった。
レッスンを重ねるうち、彼のことを少しずつ知るようになった。仕事のためにここに来たが、知り合いが一人もいなかったこと。武道に長けていること。実は茶道楽であること。
「きのう、ぶどうをかった」と、旬の果物持参で現れたこともある。そんなとき、普賢は「二人でいただこう」とお皿を出し、果物に合う紅茶を淹れた。
玉鼎は一度も休まなかったし、普賢もだんだんその日が待ち遠しくなるほどには、楽しみにしていたのだ。

そろそろ普段の生活にも困らなくなったある日のことだった。
「なにかを、すきは、なんという」
会話の途中で玉鼎がそんなことを訊いたので、普賢は「すきは好きで、いいと思うよ」と笑った。
「私は、普賢がすき」
そうそう、と普賢は頷く。飲み込みが早い。
「あと、恋人だと、愛してる、とも言うかな」
「私は、普賢があいしてる」
「普賢を、だよ」
「私は、普賢を、あいしてる」
なんだかこういう例えは気恥ずかしいねと、普賢は肩をすくめた。玉鼎はしばらくなにか考えこんでいたが、やがて、まっすぐ普賢を見つめ、
「私は、普賢を、あいしてる」

見つめ合い、そしてふと手に触れた。
「ほんとうです。いつもはやく会いたかった」
「どうして、そんなことを」
動揺するあまり、そう訊ねると「もうすぐおわるでしょう」と玉鼎はつぶやく。
「レッスンがおわれば、会えなくなる。それはとてもかなしい」
沈黙のあと、普賢は思わずふふと笑った。大きな体でいかにも不安そうな表情がおかしかった。
「ありがとう。僕も玉鼎が好きです」
「すき?あいしてる?」
それはまだわからないけれど、でも。
「あなたがよければ、これからもここに来て。僕はいつでもうれしいよ」

一気に春が来た、みたいな笑顔で、彼は頷いた。