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荒療治

まゆこさんに捧げた「ちょっとエッチな楊普」です。ありがとうございます!最初はそんなつもりなかったけどだんだん言い訳が辛くなってくる楊普。

(これはーー治療だ)

夜はしんとした静けさで、虫の音も聞こえなかった。崑崙山の闇をあかるい月がくっきりと照らしている。
「普賢師弟」
空気をすこしだけ揺るがす小声で、楊戩は目の前にうずくまる人に呼びかけた。
「普賢師弟。すこし我慢できますか」
怪訝そうなその顔に冷や汗のようなものが浮かんでいるのが見えた。痛いのだろう。
「我慢……?」
「ええ。すぐ楽になりますから」
言いながらそっと腰帯を抜き、普賢の目を覆った。おそらくこれで何も見えない。


たまたまふらりと出歩いていたのだ。今日は月も出ているからと、そんなささいな動機ではあったけれど、ほどなく人けの少ない道のわきにふわりと光る金の輪を見つけた。見間違えるはずもないそれは、そこにいるはずのない人のものだった。
「どうしました、普賢して……ええ?!」
近づいて視線を下ろし、そして思わず声を上げる。
「あそこから、落ちちゃって」
あははと笑いながら、彼が指さした先には、決して低くない崖があった。またどうして……。ため息をつけば普賢はごめんねと苦笑した。
「なんか珍しい蝶みたいなのがいたんだよ。もうすこしで触れそうって思って、一歩踏み出したら地面がなくて」
「歩けます?」
そう訊ねると、普賢はちいさく首を横に振った。
「血が出てるんだ。もうしわけないけど、誰か呼んできてくれるかな」
月あかりをたよりに、楊戩が手探りで体に触れると、右足の甲あたりでぬるりと黒いものが指を汚した。抱えて歩くより、まずは止血だ。
一瞬悩んだあと、楊戩は普賢のそばにひざをつき、そして顔を覗き込んだ。
「僕がなんとかしましょう。ちょっと我慢できますか」


うんと普賢は頷いた。「なんとか」の内容を聞きたそうではあったが、大丈夫ですからと声をかけると身を委ねることに決めたようだった。岩にもたれたまま、じっと待っているのを確かめてから目隠しをし、楊戩は本来の姿をあらわした。
聞いたことがあった。妖怪の多くは傷を負ってもすぐに治る。体液が人間のそれよりも「効く」からだ。それなら――それならそれを、治療に使えるんじゃないだろうか。試したことはないけれど、目の前の人の役に立てるなら、やってみない選択肢はなかった。

楊戩は彼の足にふれた。傷口を刺激しないよう、鳥の雛を抱く慎重さで指を伝わせる。右足の甲、そして踵の内側にざっくり大きな裂き傷があった。「足以外に痛いところは」そう訊ねると、しばらく考えた後、普賢は「右肩」と答えた。手をそっと上身に滑らせると、なるほど肩にも傷がある。痛いのだろう、わずかに息をのむ気配がした。
「大丈夫ですよ」
頬にふれてから、楊戩は右足の甲に舌を這わせた。
ゆっくりと、滴る血を舐める。あたたかいそれが唾液とまじりぽとりと地面に落ちる。舌先で傷をなぞれば、普賢は小さな呻き声を上げた。無意識に力が入るのをなだめながら、ゆっくり丹念に舐めとる。甲のそれが舌先の感触で次第にふさがっていくのがわかった。すこしは効果があるらしい。よかった。次は踵。引っ込めそうになるのを引き寄せて持ちあげ、まんべんなく舌を這わせる。襟首をぎゅっと掴まれて、ちらと見上げれば、暗がりの中、普賢は唇を噛み、ときおり荒い息を吐いていた。そして、月あかりの下でも頬が赤らんでいるのがわかった。
(これは――治療だ)
楊戩は胸の内で呟く。そうだ、治療だ。血を止めるためなんだ。自分の体液を、他人の怪我を治すのに使う医療行為だ。そもそも、彼をこうまでして助けたいと思ったのは、いつかその身にふれたいという、他言できない欲によるものだと、楊戩は気付いていた。師の親しい同僚で、自分が思いを告げるなどとうてい許されない。だからけっして打ち明けることはしまいと、自らを律していたし、いまだってそうだ。それなのに、ただの治療だと言い聞かせるほど、普賢の息遣いがすぐそばで耳をくすぐり、反響する。

踵の傷がおもいのほか早くふさがって、あとは肩の傷だけだった。ずり落ちそうになる体をなかば抱えるようにして押さえこみ、肩に唇を付けると、普賢がああと喘いだ。あきらかに苦痛ではないそれに、全身が粟立つ。
「楊戩、」
「大丈夫です、から」
肩先に舌を這わせると、普賢が腕をまわして背中にしがみついた。これは治療だ。くり返しながら、這わせる舌がどんどん熱を帯びていく。普賢の手が楊戩の頬を包みんだ。じっとしていてください、そう告げようとする唇に、深く、深く口づけが落とされる。どうしてと考える思考を、絡まる舌と脳まで痺れる感覚が立ち切った。
汗が肌を滑る。手が肌をまさぐる。血は止まったようだ、でももしかしたらまだどこかに傷があるかもしれない。治療しなければ。全身に口づけを落とすより、もっと迅速に、効率的に。肌への塗布よりも直接体内に体液を届かせる方法——
――楊戩、もっと」
甘やかなささやきが、ひとつの答えを教えた。


月のあかるい穏やかな夜空だった。地面の上に仰向けになり、楊戩はぼんやりと月を見上げた。こんなにも眩しいのか、月は。息を吐く楊戩の頬に、普賢の手がふれた。まだ目隠しをしたまま、それでも迷うことなく、頬を撫でる。
「楊戩、もういい?」
そうでした。苦笑してから人の形に戻る。帯を解くと彼は眩しそうに目を細めた。
「すっかり血は止まったみたい」
「よかったです」
空に向かって両手を掲げて、普賢は「ねえ」とささやいた。
「さっき、とても大きなものに包み込まれていた気がしたんだ。とても大きくて熱い」
気のせいですよと楊戩は笑う。
「月があかるいせいです、きっと」
そうかなという人の視界を遮って、楊戩はその体を抱きしめる。
「そんなこと言ってるとまた傷が広がりますよ」
「そうしたらまた、きみが治してくれるんでしょう?」
流れる雲が月を覆い、夜は深い闇に覆われた。ふたたび重なる二人の影もその中に溶けていった。