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クレオメ

楊普未満。楊戩に魔が差してしまう話。

「玉鼎真人さまはいらっしゃいますか」

花言葉「秘密のひととき」


小春日和のある日、一人の道士が金霞洞を訪ねてきました。
「玉鼎真人さまはいらっしゃいますか」
小声でぽそりと言った若者は質素な道服を着ていて、どうやらここに来たばかりの道士のようでした。小柄で顔も幼く、見覚えがありません。そこで楊戩は親切に教えてあげました。
「玉鼎真人師匠は留守だよ。でも、いらっしゃったとしても、きみは師匠には会えない」
玉鼎真人は崑崙十二仙。たとえ顔見知りであっても、修行をはじめたばかりの一介の道士が崑崙山のトップである高仙にまみえることなどできないのです。
「そうですか」
道士はすこしがっかりした様子でしたが、楊戩に深く一礼して帰っていきました。納得してくれただろうと、そのときは思った楊戩でしたが、しばらく経つとまた彼がやってきて、同じように「玉鼎真人さまはいらっしゃいますか」と訊くのです。
やれやれ困ったものだと、楊戩は肩を竦めました。師匠は崑崙山でいちばん偉い位にいるので、忙しくてめったに洞府にはいないのです。
「前にも言ったけれど、きみはまだ師匠には会えないよ。すこししか修行をしていないからね」
「そうですか」
肩を落として帰っていく背中を見て、ほんのわずかかわいそうだなと思いましたが、それでも無理なものは無理、そう割り切って、楊戩は洞府の扉を閉めます。これで諦めてくれるだろうと安心していたのもつかの間、やはり数日経つと彼はまたやってきて、「玉鼎真人さまはいらっしゃいますか」と訊きます。
さすがの楊戩も呆れてまじまじと道士の顔を見つめました。からかっているのかもしれないと疑ったからです。しかし彼はどこまでもまじめな表情で、じっと楊戩を見上げています。
……今日も師匠は留守だし、きみは玉鼎真人師匠には会えないけど」
こんなにも熱心に通っているのだ、すこしぐらいはやさしくしてあげてもいいかも。そんなふうに考えなおすほどには、そのまなざしは真剣でした。
楊戩ははじめて彼を洞府に招き入れました。道士は普賢と名乗りました。そういえば名前を聞くのもはじめてでした。普賢は「ありがとうございます」と感激し、そしてすすめられた椅子ではなく、居間のすみっこにちんまり座りました。
「きみはどうしてそんなに師匠に会いたいんだい?」
楊戩はお茶をすすめましたが、普賢は手をつけません。問われたことを、お茶が冷めてしまうくらい時間をかけて考え、ようやく
……とても美しいかただったので」と答えました。
その頬がほんのり朱くなっていて、楊戩はああ、やはり、と内心ため息をつきました。どうやら、昇山の際の儀式で遠目に見てから、どうしても会いたくなった、ということらしいのですが、こうまでして会いたい理由といえば、そういうことだろうと、うすうす勘づいてはいたのです。
「前にも話したけれど、きみはまだ未熟だし、ほかにやるべきことはたくさんある。しっかり修行をしてから出直したほうがいい。いま会っても、きっと師匠は相手をしてくださらないよ」
先輩道士として、楊戩は正しく諭しました。しかし、いつもはここで「そうですか」と引き下がる普賢が、この日は「では、」と言い募りました。ようやく洞府に入れてもらったことで、すこし強気になったのかもしれません。部屋のすみに座ったまま、普賢はきっと顔をあげ、楊戩を見つめます。
「どうすれば、玉鼎真人さまに会えるようになれますか」
日々の修行をきちんとして心身を鍛え、よく師に従い、徳を積んで位を……
お約束のように言いかけた言葉を、楊戩はふと飲み込みました。ひとことも聞き漏らすまいと返事を待っている普賢は、よくみればとても愛らしく、澄んだ目がうつくしかったのです。こんな子だっただろうか。なんども見ているはずなのに。そう感じたとたん、ちょっとした悪戯心が首をもたげてきました。師匠は留守だし、そもそも師は恋情を向けられても戸惑うだけだろう。いま、彼の来訪を知っているのは一人だけ――
ほんとうはいけないのですが、魔がさすことはだれにだってあるのです。
こほんと咳ばらいをひとつしてから、楊戩は普賢のそばにしゃがみこみ、声をひそめてこう言いました。
「もしきみが、ほんとうに師匠に会いたいのなら、僕が協力してあげよう」
パッと普賢の目が輝きました。なかなか開かなかった扉が開いたと思ったら、部屋の中にすばらしいごちそうが用意してあった、そんな喜びに満ちているようでした。
「僕はなにをすればよいでしょう」
「そうだね、まず向こうで体を洗っておいで。それから服を着替えようか」
「服……ですか」
「ああ。師匠はとてもきれい好きなんだ」
はい、とあかるい返事をして、普賢は指された浴室へと駆けていきます。
楊戩はそっと扉に鍵をかけました。