instant
Public
 

笛の音

吸血鬼望ちゃん×ダンピール普賢

「そんな甘い誘いに乗るとでも?」

激痛に左腕を押さえて、太公望は膝をついた。矢が貫通した部分からどくどくと血が流れる。かすれる目を上げると、弓に新たな矢をつがえたその人が見えた。
「久しぶり、望ちゃん」
「五十年ぶりかのう……
それでも精一杯の皮肉を交えて答えたつもりだが、それに応えるのは余裕の笑みだ。
うかつだった。美しい笛の音が聞こえた気がしたのだ。抗いがたい魅力をもったその音を追って、この場所に足を運んだ。誰も住んでいないはずの洋館に、ぼんやりと灯りが見えた時点で引き返すべきだった。狩りに出る前、太乙に「行動は慎重に」と釘をさされていたのを思い出す。「きみはきみ自身が思ってるより、心を動かされやすいんだから」
唇を噛んだ。文字通り、誘い出されてしまった自分が情けなかった。
「うれしいなあ」
膝を付き、脂汗を流している様子さえ、普賢は楽しそうに見やった。
「きみにしか聞こえない音を、ちゃんときみが聞いてくれてたなんて」
「まったくわしとしたことが」
苦笑しながら、刺さった矢を引き抜いた。感覚がない。痺れているのは先端に塗られた毒のせい。こんどこそ本当に本気で自分の息の根を止めるつもりだ。

こんなはずではなかった。一夜の甘い思い出と引きかえに、すこしだけ血をわけてもらう。それが自分たち一族の生き方だったし、抵抗されなければ危害は加えない、その決まりは貫いてきたつもりだ。だが、そうは思わぬ相手がいることも知っていた。
初めて出会ったのはずいぶん前。にこやかな笑みを向けながら、容赦なく剣を向け、矢を放った。なぜ、と問うとくすくすと笑った。
「僕はね、きみたちの血を半分受けている。そんな自分が許せないのさ」
背筋がひやりと寒くなった。交わった者があらたな命を産み落とす確率はゼロに等しいけれど、人でもなく吸血鬼でもないからこそ、両方の業を背負って生きなければならない。
はかりしれない悲しみと憎しみを、その笑みの裏側に隠していることを、太公望は瞬時に悟った。なぜ普賢が執拗に自分を狙うかも、おおよそ想像できる。
あの目、あの面影に覚えがあった。
「のう、普賢」
荒い息を吐きながら、太公望は普賢を見上げた。
「わしを仕留めたあと、おぬしはどうする」
普賢は相変わらずの笑みを崩さない。掠れる視野の端に、ぐいと弦を引くのが見えた。
「僕はこのまま吸血鬼を狩るよ。まだいるでしょう、きみ以外もあと数人」
こちらのこともお見通しか。それならせめて時間を稼いだほうがよさそうだ。全滅は避けたい――いくら忌み嫌われた存在であっても。
「では」
痺れた腕に、しだいに痛みが戻ってくる。堪えながら、太公望は言った。
……わしを囮とせぬか。わしならおぬし以上に同類の気配がわかる。やつらを誘き寄せてやる」
ひゅんと音がして矢が放たれた。矢はわずかに望の左膝を掠めた。
「ねえ、望ちゃん」普賢は笑みを深くした。
「僕は本当に本気できみたちを滅ぼしたいんだ。そんな甘い誘いに乗るとでも?」
痛みに呻きながら、それでも太公望はにやりと笑った。
「甘くなくてけっこう。根絶やしにするために、わしを利用しつくすという手もあると思うが?」
ふうん、と普賢は目を細めた。「なるほどね」
「生餌になってくれるんだ。さすがだね、望ちゃん。きみらしい」
ようやく弓を下ろす。もう抗う力が残っていないことがわかったのかもしれないし、ほかになにか思惑があったのかもしれない。それでも、とりあえずは逆転の策を練る時間を与えられたらしい。
普賢は太公望の前に膝を付いた。矢で貫通させた腕を取り、そっと舌を這わせる。
「僕は人使いが荒いから、きみには存分に働いてもらおう。そのかわり、僕がきみの身を守ってあげる」
みるみる塞がっていく傷を見ながら、太公望は頷いた。

いまにみていろ。そう思いながら跪き、さきほど自分を射った手に口づけを落とした。