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シャットダウン
欲望、絡んだ指、シーツの皺、で攻め太乙。の別バージョン。
言葉がわからなくなる普賢。
「やっぱり、あなただったんだ」
言葉がわからなくなった。
突然というよりは、すこしずつチューニングが狂いはじめ、雑音に変わっていく、という感じだった。気づいたのは何日か前の午後。木吒に話しかけられて、意味がわからず問い返した。唇の動く形で「ふげん・ししょう」と言われているのはわかったが、それ以上は理解できない。え? と訊き返すと、木吒は最初は笑いながら、しかし次第に、焦った様子でなにかを呼びかけはじめる。いくら訊き返しても、音は届くのに意味を成さない。まるで遠い異国の言葉を聞いているようだった。ふざけているのか、聞きちがいかと首を傾げているうちに、木吒は困惑した表情で口を噤んでしまって、ようやくなにかおかしいと思い当たった。
こちらから話す言葉は木吒には通じているようだから、おかしいのはこちらのほう。普賢は筆を手に取った。
雲中子を呼んでくれる?
木吒は青ざめ、洞府を飛び出した。ほどなく引きずるように連れてこられた雲中子は、普賢を真正面から覗き込み、話しかけた。
やっぱりわからない。普賢は無言で首を横に振る。
雲中子はしばし考え込んでから、鞄からなにかを取り出した。小さな壜はおそらく薬。(これを)と手のひらに乗せたそれを指さし、(1日1匙)と指を一本立ててみせる。なんの薬かわからないが、とりあえず相手を信じて、普賢は頷いた。
翌朝、早い時間に太公望が訪ねてきた。木吒が連絡したのだろう、なんとも言いようのない目で普賢を見つめ、そしてなにも言わずポンと肩に手を置いた。無理するな、と言っているのがわかった。いつも彼は言葉足らずだけれど、だからこそ、言葉を介さずに伝わるものがあることに、普賢はホッとする。そうするよ、と答えると、太公望もようやく笑顔を見せた。
木吒を筆頭に、いろんな人がなんとか改善しようと動いてくれるのはありがたかった。ただ、普賢自身に焦りはなく、むしろとてもやわらかで手触りがいい壁に取り囲まれ、守られているようで心地よかった。いつまでもこのままじゃダメなのはわかっている。でも、許されるならもうしばらく、この巣の中に籠っていたい、そんな気持ちだった。
どうしてこうなったのか、心当たりがあったのだ。
筆談と、身振り手振りにもすこし慣れて、なんとか日常にも支障をきたさなくなったころに、太乙が訪ねてきた。普賢をじっと覗き込み、そしてふと目を細める。
「私のいうことが、わかるかい?」
普賢は目をみはった。ひさしぶりに聞く、他者の言葉だった。
「
……
わかる」
頷いた普賢に、よかった、と太乙は笑い、腕を引いて抱きしめた。身動きできないほど強い力に、ぼんやりと身をあずけながら、普賢はその背にそっと腕をまわして手のひらを当てる。背中は広くあたたかく、頼りない。この感覚に覚えがある。熱く、やわらかく、やさしくて
――
痛い。そう、以前に。
「やっぱり、あなただったんだ」
ゆるりと腕から力が抜けた。顔を上げると、太乙はどこまでも深い笑みで見下ろしていた。この角度で見るのもはじめてではない。
「気づいてくれてた? まさか本当にかかるとは思わなかったけれど」
ああ、と普賢は苦笑する。熱くやわらかく、そして痛い記憶。そのときに掴んだシーツの皺の陰影まではっきり思い出せる。
その夜、彼の洞府にいたのはたまたまだった。昼間からの用事が長引き、気がつけば暗くなっていたのだ。早く帰らなければと思いつつ、なかなか腰を上げなかったのは、彼がそれを許さなかったから。泊っていきなよというのを、普賢は冗談だと思っていたけれど、彼は冗談ではなかった。閉じ込められた腕のなかで、見上げた太乙は、いつもよりずっと強気な目で見下ろしていた。
「いつだって冗談なんか言わないんだよ、私は」
「でも、あなたが好きなのは、僕じゃないでしょう」
そう、好きなんかじゃない。彼には何人も相手がいると聞いたことがある。だったらわざわざ自分など気にしなくても困らないだろうし、こうしているのは好きとか、愛とか、そういうのじゃないはずだ。そう言うと、太乙は一瞬口を噤み、その手のひらで普賢の目を閉じさせた。
横たえられ、与えられるものはなにもかも熱く息苦しい。ゆるゆると身を揺さぶられ、痺れるような感覚にこらえきれず息を漏らしながら、それでも頭の隅はひどく冷静だった。
右手だけ絡んだ指はさっきから放してもらえそうにない。幾度も握り込まれ、シーツに沈められる。なにかを問われたような気がして目を開けると、夜の闇のような瞳が見下ろしていた。
「よけいなだれかの言葉なんか、聞かなくていい。私のことだけ聞いてればいいんだ」
それで僕は(耳をふさいだんだ)
「このままじゃだめだと思う」
もっともな言い分に、太乙は小さく肩を竦めるだけだった。
「でも、きみも居心地がよかっただろう?」
なにもかもを遮断するだけで、その身をゆだねる快感を追体験できた。その心地よさまで言い当てられ、普賢はだまって頷く。だろうね、という口調はどこか勝ち誇って聞こえた。
「なんならきみの意思でここから出ればいい。できるならね」
いつでも出る自信があるのに、もうすこし、と心の奥で別の自分が引き留める。もうすこしだけと呟くと、太乙もくつくつと笑いながら、普賢を仰向け、深く口づけた。
了
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