じっとりとまとわりつくような寝苦しさに、普賢は目を開けた。薄いカーテンの隙間から手を伸ばして窓を開けると、ベランダを叩く雨音が耳に届いた。ああ、今日も雨。そう思いながら伸びをして、体を起こす。
そろりと隣室を覗き込んで、小さく息を吐いた。
同居人はまだ眠っている。氷枕に触れると、すっかり溶けて温くなっているのがわかった。
引っ越してから2カ月ちょっと、片付けやら何やらと慌ただしかった上に、梅雨時の不安定な気候ですっかり体調を崩してしまったのは、普賢ではなく太乙の方だった。39℃を超える熱でぐったりする太乙に、普賢は狼狽えもせず「僕も体が弱かったから」と、そつなく看病の段取りを整えた。
「…授業は?」
「来週で十分リカバリーできるよ」
しゃべるのもつらそうな声を聞きながら、普賢はその額に掌を当てた。
「とにかく休んで。最近徹夜ばっかりだったでしょう」
招かれた先の研究室は、夢のような設備が整っていて、太乙はそれがうれしくてたまらない。連日深夜まで研究室に閉じこもり、気付いたら朝だった日も何度もある。帰らない日が続いても、普賢は「楽しそうでうらやましい」と思わずにはいられない。寝食を忘れて好きなものに没頭できる時間が、どれほど幸せか、想像するまでもなく理解できる。だから、顔を合わせない日があってもまったく気にしないし、むしろ自分も早くそうなりたいとため息を吐くほどだった。
氷枕を新しいものに代えようとして、ふとその手首を掴まれた。熱い。まだ熱が高い。
「…ごめんよ」
「おはよう」
何かほしいものある?あとで買ってくるよ。そう言うと、目を開けないまま、もぞもぞ唸ってから「アイス」と呟いた。
「冷たいもの」
わかった、と言って立ち上がろうとするが、その手は掴まれたままだ。
「…太乙?」
「…手、繋いでて。ちょっとだけ」
その言葉に、無意識に体が強張った。
もう彼はあの日のようなことはしないだろうし、何かしようにも一緒にいる時間がなさすぎる。ただ、同居を始めてから太乙は普賢に指一本触れずにいて、それは「ひどく後悔しているはずよ」という大家の言葉から、彼が気遣ってあえてそうしているのだろうと、普賢はうすうす勘付いている。今こうしているのも、だからよほど弱っているからだろうと思うのだが、それでもどうしても反射的に手を引いてしまう。
それが伝わったのか、「…ごめん」と言って、太乙は手を放した。
「そうだよね、ごめん」
謝ってほしいわけではない。むしろきちんと彼と向き合いたいと思っている。それをどう伝えたらいいか、わからないだけで。
(こんなとき、なんて言ったらいいんだろう)
いったん目を閉じて、大きく息を吸い込む。そして、くったりと荒い呼吸を繰り返す人を見た。
――気が付けば、この人の背を追いかけて、ここまで来たのだ。
一度は放された手に、普賢は触れた。額にかかる前髪をもう片方の手で撫でて、そして熱い息を吐く口に口づけた。手で触れるよりも、その熱さがはっきりと伝わる。
ゆっくり顔を上げると、朦朧とした目で太乙が見上げていた。
「………うつるよ」
いいよ、と普賢は笑う。
「そうしたら二人で一緒に寝込んでいようよ」
それもいいね。太乙も笑った。
何日かぶりに一緒にいられることに感謝して、普賢は再び口づける。窓の外で雨はさらさらと降り続けている。
了
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