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羽音

太乙×道士普賢。なんにもしてくれない太乙に焦れる普賢誘い受け。

夕方の研究室は薄暗く、明かりをつけようかどうか迷った末に、普賢はつけないまま彼のほうへと歩み寄った。いらっしゃい、と笑いかける顔はいつも通り明るく、それでいて少し戸惑っているように見えた。
「いつもきみはこの時間に来るよね」
はい、と答える声に別の意味が混じったことに、彼は気づいていないようだった。ここから数刻を過ごして、帰るころにはとうに日が落ちているから、いつも彼が普賢を居室まで送っていく。手間を取らせて申し訳ないと感じる一方で、なぜわかってくれないんだろう、とも思う。

きみは未完成だから、と。
以前、それとなく聞いたとき、彼はそう言ったものだった。どういう意味か、顔を覗き込もうとするも、落ちる前髪にその目を遮られた。わざとではないのだろうけれど、真意はわからないままだ。
未完成だから、何。
幼さは自覚しているつもりだが、中途半端に投げられた問いを放っておくほど、無知ではない。この時間に訪ねてくることの意味を、分からぬはずがないのに、ようやく距離を縮めても、触れそうで触れない、はっきりしない抱擁に焦れるばかりだ。ふと不満を漏らすと、「ごめんよ」と困ったように笑った。
「普賢、ごめん。ちょっといろいろ忘れてて」
いつも機械ばかり扱っているから、なんていう言い訳すら、もっともらしく聞こえたものだけれど、それはもしかすると、道士である自分に対する遠慮とか配慮とか、そういうものなのかもしれない。
(そんなの―――
無意識に尖らせていた唇に、ほんのわずか、触れそうで触れない口づけが落ちる。薄闇の中、表情はわからないまま、小さく笑うのがわかった。まただ、と思った。
「どうかしたかい」
「太乙様は……
声からため息に変わる、ほんのわずかな隙間にうっかり落ちると、自分が何を聞きたいのか、言いたいのか混乱する。絡まった糸を無理にほどこうとしてよけいに絡まってしまうように。
天井まで書物がつまった造りつけの書棚を背に、彼は分厚い本を手に、いつもの困ったような笑顔を見せている。
「太乙様、」
普賢は歩み寄り、真正面から両手を伸ばしてその頬に触れた。相変わらず冷たく、体の熱が奪われる。もっと深く触れられることを望んでいる、そんな自分の心の内を、こんな形で遠まわしに突きつけてくるのは彼だけだ。
見下ろす瞳が驚いたように見開かれる。
「僕はそんなに子供じゃない」
そう言って、背伸びをする。何か言いかけた唇を塞いで目を閉じた。本を取り落とす音が聞こえた。
押し戻そうと両肩にかけられた手はやがて、躊躇うように背に回される。どこまでも遠慮がちで、あやふやなぬくもりが、確かなものに変わるのを、普賢は感じた。