僕は、ある宗教の敬虔な信徒である両親の元に産まれました。誕生からすぐに信仰の証である十字架を授かり、物心ついた時から今まで、肌身から離したことはありません。
僕が3歳の時に、妹の夏実が産まれました。初めて触れた赤子の手はとても小さくて、柔らかくて…人見知りする子でしたが、僕が話しかけるといつも嬉しそうに笑うので、幼心に、この子を守らなくてはならないと思ったのを、覚えています。
僕が5歳、妹が2歳の時。いつも通り、兄妹で庭で遊んでいたら、妹が盛大に転けてしまったのです。泣きわめく彼女にどうにか泣き止んで欲しくて、僕は咄嗟に十字架を握り締め、祈りました。するとどうでしょう、傷がみるみるうちに治っていったのです。これが、僕の魔法の目覚めでした。
治癒の魔法が目覚めて以降、僕は教団の中で『天使の子』と持て囃され、特別な扱いを受けるようになりました。父と母、そして僕自身も生まれてからきちんと祈りを捧げ続けていたから、奇跡が与えられたのだと教祖様は仰いました。
けれど、それから間もなく、両親は僕に構うばかりで、妹の相手をしなくなりました。天使の子の生みの親として称えられ、舞い上がってしまったのでしょう。困っている方には、惜しみなく手を差し伸べるのも教えの一つ。……いえ、本当は僕自身が、ただ兄として、彼女にそうしたかっただけなのかもしれません。
「主よ、私が天使の子なら、妹の夏実も同じではないのですか。なぜあの子は、治癒の力に目覚めないのですか」
小学校に上がって、学校生活というものを送り始めましたが、それは長く厳しい修行の日々でした。皆は主の存在を信じておらず、それどころか僕や家族のことを異端者と罵り、僕に拳を振るい、石を投げました。こんなことをしては、熱した鉄で罰を受ける地獄に落ちてしまいます。ですから、やめるように何度も言いました。けれど彼らが聞く耳を持つことはなく、むしろ仕打ちは酷くなるばかり。彼らの罪がこれ以上重くなってはいけませんから、次第に僕は黙って耐えることを覚えました。
「主よ、私は彼らを許します。私は大丈夫です。ですから、主よ。どうか彼らをお赦し下さい」
ほどなくして、妹も小学校に上がりました。僕と同様に彼女もまた、毎日のように傷を作っておりました。僕は帰る度にそれを治し、妹が苦痛に悩まされることなく眠れるように祈りました。
『どうしてこんなひどいことをされなくちゃいけないの?』
妹が僕に問います。主がお与えになった試練だから。救われるために、必要なことなのだと。そして、いつか必ず乗り越えられることを伝えました。妹はそれきり、そのような問いを投げかけてくることはありませんでした。
「主よ、私が妹の分まで試練を受けます。どうか、彼女をお救いください。必要なことだと、分かっているのです。けれど、どうしようもなく、胸が痛むのです」
僕の魔法は、自分自身にかけることはできません。僕自身、それでも構いませんでした。けれど、僕の傷を試練の証だと称える大人たちと違い、妹はいつも悲しそうに、痛い?と聞いてきておりました。寛大なる主の信徒として、誰かを悲しませるわけにはいきません。傷や打撲痕があちこちにできるにつれ、僕はいつも首の詰まった長袖の服を着用し、手袋を付けるようにしました。気を付けていないと、夏場に熱中症で倒れてしまうことがあるのが難点ですが。
ある日、僕は左頬を強く拳で打たれました。口の中が切れてしまい、かなり腫れ上がってしまって…家ではマスクを付けていれば良いのですが、主へのお祈りの際に顔を隠すなど失礼な真似はできません。結局僕の顔を見た妹はひどく悲しい顔をして、どこかへ走っていってしまいました。追いかけようとしたのですが、他の信徒の方々に呼び止められ、叶いませんでした。
その日の夜、妹が、あろうことか十字架を失くしたと言ったのです。恐れ多いですが、起きてしまったことは仕方がありません。両親はひどく激昂し、彼女を叱りつけました。僕が、怒りは無益な感情だと諭すとすぐに心を鎮めてくれましたが。しかし、妹に一緒に探そうと言っても、何か言いたげな顔で、悲しそうにこちらを見るのです。十字架を無くしてしまった不安ゆえの表情なのだと思いました。早く見付けてあげなくてはと、意気込んだことも。
「主よ、我が妹が魂の片割れを無くしましたこと、どうかお赦し下さい。必ずや、私が探し出しますので、どうか……」
翌日、僕は校舎裏に来ていました。妹がよくここにいる所を、何度か目にしたからです。しかし、そこには人がいました。それは、いつも僕を虐げる方々でした。なぜ、待ち伏せてまで他者をいたぶるのか。僕には分かりませんでした。
髪を捕まれ、引き摺られました。我慢しました。頬を打たれました。我慢しました。腹を蹴られました。我慢しました。
……十字架に、手が、かかりました。
僕は、生まれて初めて、声を上げて抵抗しました。自分とは思えないほどに、切羽詰まった悲鳴が出ました。
その時でした。
『お兄ちゃんにさわるなぁッ!!!』
妹が声を上げながら校舎の影から飛び出してきて、僕の十字架を取り上げんとしていた男の子の腕にしがみつき、手に噛み付いたのです。しかし軽い彼女は振り払われた勢いで吹っ飛び、池の縁の石で頭を切ってしまいました。僕は慌てて駆け寄りました。男の子たちは、いつの間にかいなくなっていました。
血を流す妹に、僕はパニックを起こしてしまって、震えながら祈りを捧げました。そんな僕を見てまた悲しそうな顔で、『探さないで』と言いました。意味を尋ねる前に、妹は意識を落としてしまったので、祈りを再開しましたが、途中で体力が尽きて、僕も倒れてしまいました。
結局、妹の額には傷跡が残ってしまって、僕は己の情けなさと妹への罪悪感で押し潰されそうでした。けれど、当の妹はケロッとした顔で、お兄ちゃんに比べれば大したことない、なんて言うのですから、困ったものです。
時が経ち、中学、そして高校へと進学する頃には、僕自身を信仰してくださる方が増えていました。僕はあくまで主の一信徒ですので、と何度言っても聞き入れてはいただけません。彼らは僕が望めば主への信仰も一緒に行ってくださっていたので、自分には不釣り合いだと思いながらもそれを受け入れました。
年が上がるにつれ、妹があまり怪我をしなくなり、安心したことを覚えています。女の子ですから、これ以上傷を受けるようなことがないよう、祈るばかりです。
「主よ、日々の御加護に感謝致します。どうか、これからも、我々敬虔なる信徒をお守りくださいませ」
祈り虚しく、ある日化け物が街に襲来し、平穏なる日常は突如として終わりを告げました。化け物に対抗する団体がおり、他県より比較的安全だと言う大阪に逃げる運びとなりました。家族、教団の方々、皆一緒に。
ですが、道中幾度となく様々な化け物、或いはおかしくなってしまった哀れな罪人などに、僕を信仰してくださっていた方々は、僕を守るために勇んでぶつかっていき、多くの命が散りました。天への道の安全を祈り、弔う暇もほとんどありませんでした。
切迫した状況の中、食糧で食いつなぐことや、度重なる野宿で皆さんお疲れのようでした。日々念入りに、旅路の安全を願い、祈りを捧げました。
……お偉方の、不満や亡くなった信者の方々を蔑む声が聞こえた気がしました。敬虔なる信徒たる我らの中でも、徳を積まれた方々ですから。僕の気のせいだったのでしょう。
「主よ、どうかこの旅路でこれ以上の尊い命が奪われませぬよう…我らをお守りください。授かりました、命を救えるこの力…活かせるよう、どうか、一層の御加護を……」
もうすぐ、大阪に入る。そんな時でした。刃が空気を裂く音が聞こえたかと思うと、角の生えた化け物が襲いかかってきたのです。
そこからは、地獄と形容する他ありませんでした。次々と権限していく刀に瞬く間に皆の命は奪われ、僕と、僕の後ろにいた妹以外、全滅です。かくいう僕も胸に刃を受けてしまい、永くないことを悟りました。せめて足に傷を負っただけの妹は逃がせないかと辺りを見回すと、教祖様がお持ちになっていた銃が目に入りました。
僕は素早くそれを構え、放つと、その銃は実弾ではなかったものの、高い威力で化け物を怯ませました。その隙に妹だけで逃げて欲しかったのですが、彼女は頑なに僕を支えて一緒に行かんとしました。幸い、化け物の気はまだ息のある信者の方々の方へと向いていて、申し訳なさに胸を焼かれながらも、僕と妹はなんとか人気のない廃墟の一角に逃げ込みました。
「夏実…足を、出して…怪我をしているでしょう……」
女の子ですから。傷が残っては大変です。
けれど彼女は首を振り、大きく声を張り上げます。また、怒らせてしまったようでした。僕はどうも、他人の機微に疎くて仕方ありません。
ふと、妹の目に涙が溜まっていることに気付きました。右足からは深くは無いものの血がどくどく流れています。さぞ、痛かったことでしょう。
「な、つみ…傷を、みせて……大丈夫、お兄ちゃんが全部、治すから……」
泣いている妹の頬に手をやると、余計に泣かせてしまいました。僕は本当に、どうしようもない兄です。
けれど、治療には応じてくれました。もう自分の体の感覚も遠い。体力を使ったからか、なんだかとても眠くなってきました。
「夏実…夏実、お願いがあるんだ……」
口から血が出て、上手く喋れません。でも、これだけはちゃんと伝えたいから。
「…な…つみ…ど…か……いきて……げ、ほッ……いきて、しあわせに…………」
最期に見たのが、泣き顔なのが少し残念だけれど、無事で良かった。守れて良かった。僕の大切な、大切な妹。大丈夫。どうか生きて、幸せになっておくれ。どこにいても、お兄ちゃんはお前の味方だから。
主よ。今、参ります。
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