Mizuka
2021-05-24 19:10:29
5850文字
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ある少女の記憶 another

あったかもしれない世界の話。


「痛いのは平気。お兄ちゃんが治してくれるから」


 私の生家は、少しいや、かなり特殊な家だった。
 幼い頃は、どこの家も毎週家に教団の人が尋ねてきては宗派の歴史や教えを説かれ、日曜日は家族で教会に行くものなのだと思っていた。それが普通ではないということ、そして、片田舎の小さな町で、新興宗教を信仰しているような家が、どんなに煙たがられているのか、物を知らない私にはまだ分からなかっただけだ。
 私がまだ2歳の時、私が庭で転んで怪我をした。その時に、兄に魔法の才能が開花したのだ。兄が目覚めたのは、よりにもよって治癒の力。兄は教団で「天使の子」なんて呼ばれて祀り上げられて、その日から両親は、兄をちやほやとするばかりで、私のことを見なくなった。
 けれど、当の兄は私にとても優しくて、両親に構ってもらえない幼い私は兄にひどく懐いた。兄のせいで、私が両親からの愛を受けられないことなんて、気付く年齢になる頃には、もう離れられなくなっていた。
 だって、ずっと私には……お兄ちゃんしかいなかった。
 家は、教団への「お布施」のせいで常に貧乏だった。天使の子でもなんでもない私は、兄のお下がりしか与えられない。肝心の兄は熱心な信徒だから、自分より教団へお金を使うように言う。欲のない兄に両親は感動していたけれど、私には少し薄気味悪く見えた。
 小学校に上がって、家以外にも居場所を作れると思ったら、まるでそんなことはなかった。皆口々に、「あの家の人とは仲良くするなと言われている」と私を避けた。中には私を虐げ、暴力を振るったり石を投げる者もいた。教師達は見て見ぬふりをしていた。
 毎日のように、泣いて家に帰った。けれど、私の怪我は全て兄が治して、涙を拭い、優しく撫でてくれた。
『これは、主がお与えになった試練だから。必ず乗り越えられるよ』
 私の全てだった兄に、そんな風に力強く言われては、頷くしかなかった。ただ、教えなんて説かずに、そばにいて欲しかっただけなのだけれど。
 憂鬱になりながらも学校に行き、日々虐げられ、家に帰っては兄に傷を癒してもらった。しかし、兄の魔法は、自分自身には使えないのだと言う。私と同じような扱いを受けている兄の体には日に日に傷が増えていき、兄は夏でも首の詰まった長袖を着て、常に手袋をするようになっていった。
 あくる日、兄の左頬に貼られた大きなガーゼと、それでも隠しきれないほどに腫れ上がった輪郭を見て、私は神なんていないと確信した。どうして常に優しく、信仰も絶やさない、「天使の子」がこんな目に合わなくてはならないの?これが試練だと言うのなら、私はそんなものを受けた覚えはないし、兄にだって、こんな理不尽をいつか乗り越えられるなんて信じて欲しくなかった。
 教団の人も両親も、試練をまた1つ乗り越えられた!さすが天使の子であらせられる!なんて兄の怪我を大袈裟に称えるばかり。どうして、誰も学校に行かなくてもいいって言ってくれないの?貴方達の大事な天使の子を、あんなに傷付けられてもなんとも思わないの?
 私はその日、校舎裏の池に自分の十字架を投げ捨てた。失くしたと言うと、両親はひどく私を叱ったけれど、兄は一緒に探そうと優しく持ちかけてくれた。
 ……探さないでいいよ、そんなもの。お兄ちゃんも、早く手放して。
 翌日の昼休み、学校の裏手で時間を潰そうとしていると、いつも人なんていないその場所から、複数人の声が聞こえた。
 輪の中心にいたのは、兄だった。
 頭髪を捕まれ、頬を打たれ、腹を蹴られる兄の姿は見るに耐えなくて、しかしどうしようもなく非力な少女だった私は、震えながらその場に立ち尽くすしかなかった。
 けれど、兄の首に下がった十字架に1人が手をかけた時、黙って仕打ちに耐えていた兄が今まで聞いたことの無い悲痛な声で叫んだ。その瞬間、脳が沸騰したような感覚がして、体が勝手に動いていた。
「お兄ちゃんにさわるなぁッ!!!」
 この時のこと、実はあんまり覚えてない。私はその男の子の腕にしがみついて、十字架を持つ手に噛み付いて、振り払われて……庭石に、ひどく頭を打ち付けた、らしい。頭から血を流す私にさすがに驚いた男の子達は退散していって、兄だけが駆け寄って来て、必死に私のために祈っていた。
 目が覚めると保健室で、隣のベッドには兄が寝ていた。頭の傷はほとんど塞がっていて、触っても、ちょっぴり違和感があるくらい。兄が、治してくれたのだ。自分が倒れるまで、魔法を使って。
 後に分かったことだけれど、兄が校舎裏なんて場所に来たのも、私の十字架を探すためだったのだ。私のせいで兄が傷付いたという罪悪感より、普段の私を見てくれていることが嬉しくて、そんな自分が嫌になった。
 結局、傷跡は残ってしまったけれど、別に良かった。兄の傷を少しでも共有できた気がしたから。
 私が中学へ、兄が高校へ上がる頃には、いつの間にか教団内に、兄自身を信仰する人達ができていた。年が上がると共に、小学校の頃に受けたような肉体的な虐めは、筆箱や靴を隠すような陰湿なものに変わっていった。傷を治してもらう時間がなくなり、時折それがあっても、触れてもらえるのは手袋越し。
 いつも近くにいてくれているはずの兄が、とても遠くに感じた。このまま、なんだかカミサマか何かにでもなってしまうんじゃないかと、不安でいっぱいだった。
 その頃の私はもう知っていた。「主」だとか有難いお話は全部嘘っぱちで、教団の偉いオッサン達は、両親のような信者からお金をむしり取ることしか考えてないって。教団は黒いスーツの怖い人達と繋がっていて、町から追い出せないのはそのせいだって。
 でも、言えなかった。正確には、1度だけ言おうとした。けれど、兄は私の言葉を聞くことは無かった。本当に、何度言っても、兄は私の言葉を"聞き取れなかった"のだ。これを受け入れたら兄が壊れてしまうからだと本能で悟って、私はそれきり諦めた。

 傷をどうにか継ぎ接いで誤魔化していたような日々は、ある日突然終わりを迎えた。化け物が町に襲来したのだ。
 私と兄、両親、そして教団の人間と共に、比較的安全だという大阪に向けての逃避行が始まった。地元、秋田からの大移動である。
 交通機関は機能していない場所も多く、関西圏に入るだけでも3ヶ月以上の期間を要した。その頃には最初より大分人数も減っていた。食糧問題や度重なる野宿。教団の偉い人なんかが、利己的なことばっかり喚き出して、やっぱり神なんていないんだと思った。こんな人ばかり偉くなる世界の神なんて、いたとしたってどうせクソみたいなヤツだ。
 兄は、どんな窮状でも、みんなに優しかった。お腹を鳴らし続けていた私に、自分の分の食糧をこっそり分け与えてくれた。私は兄のこういう所が大嫌いだった。
 ……そのせいで、嫌いになれなかったから。
 いよいよ大阪に突入する、くらいの時のこと。刃が空気を裂く音が聞こえて、気が付けば全滅だった。私と、兄を除いては。兄が教祖のジジイが持っていたエアガンで隙をついて、私達はどうにか逃げおおせた。切りつけられた右足を引きずりながら、兄を支えて必死で逃げた。道中の廃墟に身を隠した頃には、もうあの嫌な金属音は聞こえてこなかった。
『夏実足を、出して怪我をして、いるでしょう……
 胸の辺りを赤く染めた兄が、私にそう言った。兄が言葉を吐く度に、ひゅーひゅーと不吉な音が聞こえて、どうしようもないくらいに怖かった。
「私の怪我なんて大したことないの!お兄ちゃん、お兄ちゃんの方が!……いつもそうお兄ちゃん、私のことばっかりで、自分のことは!」
 今更言ってもどうしようもないことばっかり、口から溢れ出てきて嫌になる。こんなこと言いたいんじゃない。どうすればいいの、お兄ちゃんが助かるには、どうしたら
 兄は困ったような顔をして、また少し微笑んで言った。
『な、つみ傷を、みせて……大丈夫、お兄ちゃんが全部、治すから……
 いつの間にかボロボロ泣いてた私の頬に手を伸ばしながらそんなことを言う兄に、余計に涙が止まらなくなる。息が詰まって反論もできなくて、黙って足を差し出した。肌を這う、パキパキとした独特の感触。綺麗に治った刀傷を見て、兄は満足気に笑った。
『夏実夏実、聞いて。お願いがあるんだ……
「やだ、今はヤダ!後で聞くから!だからお兄ちゃん、死なないでお兄ちゃんッ!」
 ごぽりと兄の口からこぼれた赤色を止めようと、躍起になって口を閉じさせようとした。けれどもこうなった兄は頑なで、私の言うことなんて聞きやしない。
つみ……いきて……げ、ほッ……いきて、しあわせに…………
「何言ってんのお兄ちゃんも一緒じゃなきゃイヤ!ねぇ!お兄ちゃん!お兄ちゃんってば!!!」
 間もなく握りしめてた兄の左手ががくんと重くなって、じわじわと、その温もりが消えていく。それが嫌で、両手で兄の手をキツく握りしめて、呼び続けた。
「お兄ちゃん起きて!起きて起きてよ!ねぇッ起きてよぉ……
 そのままどれくらいの時が経っただろうか。
 ふと、嫌な匂いが鼻をついた。いやに甘ったるいような、胸の悪くなる臭い……
「ひッ!?」
 私は慌てて兄の手を離した。だって、その臭いは兄の左手から発せられていたから。そして……私の手が、紫がかったおかしな色に変色していたから。
「なに、これなによこれッ!」
 咄嗟に地面に手をつくと、生えていた雑草が瞬く間に枯れ落ち、露出していた土ごと燻った色になった。兄じゃない、私だ。これは、私の魔法だ。
……ウソでしょ?」
 こんなの、魔法じゃない。私の知ってる魔法は、暖かくて優しい、兄の治癒魔法だ。物を腐らせて、命を奪うなんて、こんなの……まるで悪魔の呪いじゃないか。

 それからは兄の亡骸に触れることもできず、呆けていた私を、レジスタンスという団体が保護した。確か、化け物と戦ってる組織。……以前は、命を賭けて化け物と戦う理由なんてなかった。けど、今はある。
「私を、ここに入れて。殺したい化け物がいるの。絶対に役に立ってみせるからッ!」
 兄を殺した、あの化け物を絶対に殺す。この呪いのような魔法を、使うことになっても構わない。
 待っててね、お兄ちゃん。

 レジスタンスは、変人ばっかり。
 私とパートナーを組むことになった桔梗とか言うヤツはやたら兄貴ヅラしてくるし(生意気な私の世話を押し付けられたんだろう、損なヤツ)。
 ほとんど同じ時期に入った内原とか言うヤツは前見えてんの?ってレベルで前髪長いし。
 変な関西弁で変なあだ名を人に勝手に付けてはやたら絡んでくる女から、ボディビルダー?ってレベルでムキムキで刺青入りの絶対カタギじゃなさそうなヤツまで。
 私の後に加入してきた面子も、大概変人ばっか。鉄面皮の料理狂に魔法少女かぶれでしょ、あとウソ吐き。普通の女子高生かと思ったら、やたらナタが好きとか言うアブナイ趣味してたり。最近だと紅白のめでたいカラーな恋愛脳?あ、立花サンはマジ良心。私が活動の中で直接救助したのもいるけど……記憶喪失で幼児退行気味。
 でも、ここの連中は誰のことも差別しないし……私なんかにも、優しかった。普通に接される?って言うの、されたことないから分からないけど、悪感情なくコミュニケーションが取れるのは今でも少し変な感じだ。
 私の勢いだけの戦闘スタイルを見て実戦訓練をされたり、地元にいた時は勉強しかすることなかったから、無駄に頭に詰め込んだそれを人に教えたり。兄が死ぬ前の私なら、楽しいって思えたかもしれない。……ううん、本当はずっとそう思ってた。でも、兄の仇も討ってないのに楽しいなんて、思っちゃいけないような気がして……
 ……私達がいるのは化け物と戦う最前線だ。倒したり、傷を付けられた化け物もいた。……でもそれ以上に味方は死んだし、たくさん傷付いた。
 愛染が死んだ。警戒度の低い地域とはいえ、戦闘経験が浅いのに二人だけで向かわせたのは危険だったんだ。これでもう誰も、私なんかを褒めない。
 一緒に立花サンも死んだ。小柄な女性だったけれど、控えめに笑う様が兄にどこか似ていた。だからなんとなく彼女には素直になれて、そんな私を、やっぱりどこか兄に似た困ったような笑顔で受け入れてくれた、のに。
 ツバメが死んだ。今度は助けられなかった。しかも遺体まで、あんなあんな!!!
 トーゴーが死んだ。見た目は怖くても優しいやつだった。ホントは何度もあの乱暴な優しさに助けられてたけど、なんだか照れくさくて……ありがとうって、言えないままだった。
 七瀬が死んだ。なんとなく歳の近い女子でよく集まってた面子、これで全滅。……なんで私だけ、生き残ってるの?
 ユレンが死んだ。違う、殺した。私が殺したんだ。魔法の制御ができない私に手袋をくれたアイツ。"ヤツ"と話していたアイツ。どっちが本当のアイツだったの?それとも……もう分からない、何も。最期のアイツ、笑ってた。いつも笑顔を崩さなくて、最期の最後も私に向かって笑いかけていた兄と不意に重なって見えて、必死に手を伸ばした。遅いんだよ、バカ。
 来栖が死んだ。ユレンを後追いした?そう見えた。それなら、コイツも私が殺したようなモンだ。お兄ちゃん、私、本当に悪魔になっちゃった。
 桔梗が死んだ。また、私のせいだ。いつだってそう。一人でどうにかできる気になって、暴走して、巻き込んで……私とペアにならなければ、きっともっと長く生きられた。無茶ばっかりさせて、ごめんなさい。でも、おかげでッ……届く

 終わった。ようやくだ。
 樋高を愛染のところに連れて帰らなきゃって思って、手を伸ばしたら転んだ。重ね重ねごめん、無理だ。私も死ぬっぽいね、これ。
 晴れ晴れとした、とか喜ばしい気分とかいうよりかは、ただただ穏やかな心地だった。生きる意味を果たせた直後に死ぬからかな。
 お兄ちゃん、私やったよ。殺したよ。殺せたよ。仇、取ったよ。
 頑張った、痛いのも我慢して、たくさんたくさんがんばったからひさしぶりに、あたまをなでて………………