Mizuka
2020-11-04 00:09:17
3184文字
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ある少女の記憶

「樋崎遥真の一生」の派生
樋崎妹視点

[ある少女の記憶]
 私の生家は、少しいや、かなり特殊な家だった。
 幼い頃は、どこの家も毎週家に教団の人が来て宗派の歴史や教えを説かれて、日曜日は家族で教会に行くものなのだと思っていた。それが普通ではないということ、そして、片田舎の小さな町で、新興宗教を信仰しているような家が、どんなに煙たがられているのか、物を知らない私は分からなかった。
 私がまだ2歳の時、私が庭で転んで怪我をした。その時に、兄に魔法の才能が開花したのだ。兄の力は、よりにもよって治癒の力だった。兄は教団で「天使の子」なんて呼ばれて祀り上げられて、その日から両親は、兄をちやほやとするばかりで、私のことを見なくなった。
 けれど、当の兄は私にとても優しくて、両親があまり構ってくれない幼い私は兄にひどく懐いた。兄のせいで、私が両親からの愛を受けられないことなんて、気付く年齢になる頃には、もう離れられなくなっていた。
 ……だってずっと私は、お兄ちゃんしか拠り所がなかったから。
 小学校に上がって、家以外にも居場所を作れると思ったら、まるでそんなことはなかった。皆口々に、「あの家の人とは仲良くするなと言われている」と私を避け、中には私を虐げ、暴力を振るったり石を投げる者もいた。
 毎日のように、泣いて家に帰った。けれど、私の怪我は、全て兄が治して、優しく撫でてくれた。
「これは、主がお与えになった試練だから。必ず乗り越えられる。」
 私の全てだった兄に、そんな風に力強く言われては、頷くしかなかった。ただ、教えなんて説かずに、撫でてくれれば良かったのに。
 憂鬱になりながらも学校に行き、日々虐げられ、兄に傷を癒してもらった。しかし、兄の魔法は、自分には使えないのだと言う。私と同じような扱いを受けている兄の体には日に日に傷が増えていき、兄は夏でも首の詰まった長袖を着て、手袋を常にするようになっていった。
 ある日、兄の左頬の大きなガーゼと、それでも隠しきれないほどに腫れ上がった輪郭を見て、私は神なんていないと確信した。どうして、常に優しく、信仰も絶やさない、天使の子がこんな目に合わなくてはいけないの?これが試練だと言うのなら、私はそんなものを受けた覚えはないし、兄にだって、こんな理不尽をいつか乗り越えられるなんて信じて欲しくなかった。
 教団の人も両親も、試練をまた1つ乗り越えられた!さすが天使の子であらせられる!なんて兄の怪我を大袈裟に称えるばかり。どうして、誰も学校に行かなくてもいいって言ってくれないの?貴方達の大事な天使の子を、あんなに傷付けられてもなんとも思わないの?
 私はその日、校舎裏の池に、自分の十字架を捨てた。失くしたと言うと、両親にはひどく怒られたけれど、兄は一緒に探そうと優しく持ちかけてくれた。
 ……探さないで、そんなもの。お兄ちゃんも、早く手放して。
 翌日の昼休み、学校の裏手で時間を潰そうとしていると、いつも人なんてないその場所から、複数人の声が聞こえた。
 輪の中心にいたのは、兄だった。
 頭髪を捕まれ、頬を打たれ、腹を蹴られる兄の姿は見るに耐えなくて、しかしどうしようもなく非力な少女だった私は、震えながらその場に立ち尽くすしかなかった。
 けれど、兄の首に下がった十字架に1人が手をかけた時、黙って仕打ちに耐えていた兄が今まで聞いたことの無い声で叫んだ。その瞬間、脳が沸騰したような感覚がして、体が勝手に動いていた。
「お兄ちゃんにさわるなぁッ!!!」
 この時のこと、実はあんまり覚えてない。私はその男の子の腕にしがみついて、十字架を持つ手に噛み付いて、振り払われて……庭石に、ひどく頭を打ち付けた、らしい。頭から血を流す私にさすがに驚いた男の子達は退散していって、兄だけが駆け寄って来て、必死に祈っていた。
 目が覚めると保健室で、隣のベッドには、兄が寝ていた。頭の傷はほとんど塞がっていて、触っても、ちょっぴり違和感があるくらい。兄が、治してくれたのだ。自分が倒れるまで、魔法を使って。
 後に分かったことだけれど、兄が校舎裏なんて所に来たのも、私の十字架を探すためだったのだ。私のせいで兄が傷付いたという罪悪感より、普段の私を見てくれていることが嬉しくて、そんな自分が嫌になった。
 結局、傷跡は残ってしまったけれど、別に良かった。兄の傷を少しでも共有できた気がしたから。
 私が中学へ、兄が高校へ上がる頃には、いつの間にか教団内に、兄自身を信仰する人達ができていた。年が上がると共に、小学校の頃に受けたような肉体的な虐めは、筆箱や靴を隠すような陰湿なものに変わっていった。傷を治してもらう時間がなくなり、時折それがあっても、触れてもらえるのは手袋越し。
 いつも近くにいてくれているはずの兄が、とても遠くに感じた。
 このまま、なんだかカミサマか何かにでもなってしまうんじゃないかと、不安でいっぱいだった。
 傷をどうにか継ぎ接いで誤魔化していたような日々は、ある日突然終わりを迎えた。化け物が町に襲来したのだ。
 私と兄、両親、そして教団の人間と共に、比較的安全だという大阪に向けての逃避行が始まった。地元、秋田からの大移動である。
 交通機関は機能していない場所も多く、関西圏に入るだけでも3ヶ月以上の期間を要した。その頃には最初より大分人数も減っていた。食糧問題や度重なる野宿。教団の偉い人なんかが、利己的なことばっかり喚き出して、やっぱり神なんていないんだと思った。こんな人ばかり偉くなる世界の神なんて、いたとしたってどうせクソみたいなヤツだ。
 兄は、どんな窮状でも、みんなに優しかった。お腹を鳴らし続けていた私に、自分の分の食糧をこっそり分け与えてくれた。私は兄のこういう所が、ずっと嫌いだった。……そのせいで、嫌いになれなかったから。
 いよいよ大阪に突入する、くらいの時のこと。シルクハットを被った化け物が、こちらに接触して来た。その目は、真っ直ぐに兄を捕らえていて、もう残り僅かになった兄の信者達は一斉にその化け物に向けて飛びかかった。
 全滅だった。私と、兄を除いては。兄が教祖のジジイが持っていたエアガンで隙をついて、私達はどうにか逃げおおせそうだったのだけれど。
 兄に手を引かれ、少し振り向くと、ひどく激昂した様子の化け物の爪が、兄の背に迫っていたから、私は。
 思いっ切り、飛び出して、それを自分の胸で受けてやったんだ。
 これは、ちょっとした当てつけ。私の、最初で最後の、ささやかな復讐。

 走る兄の背に揺られながら、どうやら化け物は撒いたらしいこと、胸の辺りが焼けるように熱いこと、兄の背は、温かいことをぼんやりと実感していた。
 やがて兄は自らのコートを敷いた地面に私を寝かせて、祈り始めた。慣れた皮膚をパキパキと這うような治癒魔法の感覚も、どこか遠い。
 助からないと本能的に悟る。血を、流しすぎてしまった。寒くて体が勝手に震える。兄が血濡れになるのも厭わずに、白いマフラーを巻いてくれた。兄の匂いがした。
 祈り続ける兄の息が段々荒くなっていく。聖書の文言を口ずさむ声が震えていて、もういいよ、と言おうとしたけれど、既に声は出なかった。
 ふ、と声が途切れて、兄の体が私の方にゆっくりと倒れ込んでくる。兄は大馬鹿だ。折角逃げられたのに、共倒れなんてしたら意味ないじゃないか。
 けれど、その目に涙が光っていたから。私は、兄の泣く所を初めて見た。私のためだけに、流された涙。私の、狭まっていく視界も歪む。胸と、目が、熱い。けれど、もう、それすらも。
 最期に、天使の子なんかじゃなくて、私の兄に、出会えて良かった。

 ありがとう、お兄ちゃん。
 大嫌い。だけど……大好き。