キッチンの棚には最近、青いガラス製の筒状の器具が新しく置かれている。この器具を製作したクルウ曰く、コーヒーを淹れるための器具だという。
「ディルが朝にコーヒーを飲むことが増えてきたからさ、忙しい時には予めコーヒーの粉をフィルター用の紙のパックに詰めたものも用意してあるけど、休みの時にこれを使って淹れたコーヒーなら、お店みたいなクオリティになっていいかなって……あとガラスの素材が余ってたし整理整頓も兼ねてる、かな」
使い方について細かく書かれたメモも器具の傍に置かれていた。なので暇な休みの朝にはこの器具を使ってコーヒーを淹れることも増えてきた。メモを確認しながら濾過するフィルターを準備して、お湯を沸かしてからコーヒーカップを温めたり器具の下にあるフラスコにお湯を入れる。フラスコ部分を器具の一番下にセットされているバーナーに火を点けて沸騰するまで熱して、器具の上の部分には青色のロートと準備しておいたフィルターをセットしてからコーヒーの粉を入れて、お湯が下からのぼってきたらへらで馴染ませるようにコーヒーの粉をかき混ぜる。混ぜた後には火を弱めて一分だけ温めてからバーナーの火を消し、ロートの中を再びへらで軽く混ぜると液体が下のフラスコに落下していく。あとは液体が完全にフラスコに落下したのを確認して、先程温めておいたコーヒーカップに液体を注げば完成となる。事前に準備することや使用中に素早くやらないといけない動作が多いが、それでも自分で手間をかけて淹れたコーヒーの爽やかな苦さが口の中に広がると気分がいい。眠気覚ましの効果もあって頭もすっきりさせることができるので、朝に弱い自分にとってありがたい飲み物でもある。朝に自分でコーヒーを淹れた時にはクルウにも勧めることがあるが、彼は朝にはあまり飲もうとしない。
「コーヒーは嫌いじゃないけど、朝は紅茶とかミルクで充分かな……」
そう言って俺から視線を逸らした彼の目の下は、微かに暗く曇っているように感じた。
自分自身がコーヒーを飲むのは朝が一番多いのだが、たまに深夜にも家にコーヒーの香りが漂うこともある。その時に飲むのは決まって朝に誘いを断っていたクルウだ。
さっきまで寝室のベッドで一緒に眠りについていたはずなのに、ふと目を覚ますと隣にいたはずのクルウがいなくなっている。しかし微かに鼻孔をくすぐる苦い香りとシュンシュンと鳴る蒸気の音で、彼がどこにいるのかはすぐに分かった。起き上がって寝室を出てキッチンまで歩いていくと、薄明りが灯るキッチンでコンロの上にのせられたヤカンを見つめる寝間着姿のクルウが立っていた。リビングのテーブルにはコーヒーカップが一つと紙のパックに入っているコーヒーの粉が準備されており、力なく耳を伏せた頭の白い髪は寝癖なのかあちこちはねているが、彼が気にする様子はなくボーっとヤカンから出てくる湯気を見つめている。
「クルウ、喉が乾いたのか?それとも寒かったか?」
「……ん、ああ、ディル、おこしちゃったか」
声をかけてから数秒反応が遅れて、ゆっくりとこちらに顔を向けてくる。元々夜行性のムーンキーパーのミコッテである彼でも、起きたばかりは流石にまだ瞼が重いらしい。しかし今はまだ真夜中を過ぎたばかりで朝も遠い時間。何故彼はこの時間に起きて眠気を覚まそうとしてるのか……その理由はなんとなく、長い付き合いの中で想像がついてしまった。
「……俺が淹れようか、その状態でお湯を使おうとすると火傷しそうで危なっかしいぞ」
「ううん、平気。慣れてる」
「いや、どうせなら俺も飲むつもりだからそのついでさ。それにほら、ヤカンの中のお湯はもう沸騰させてあるんだろう」
「……ああ、そうだな。さっき火を消したのわすれてた」
数分前に自分が何をしたのかを忘れているような状況の彼を、このままキッチンに立たせたままにするわけにはいかない。一先ずは彼にはリビングのソファーに座ってもらうように誘導して、その際に彼が用意していたコーヒーカップも回収しておいた。
クルウがヤカンで沸かしたお湯で新しく用意したマグカップを二つ温め、コンロの上に小鍋を置いてからココアパウダーを入れて一分ほど軽く煎る。一旦火を止めてからヤクの乳を少しずつ入れて練るように混ぜ合わせ、全てを綺麗に混ぜ合わせることが出来たら沸騰しない程度に鍋を温める。温め終わったらマグカップに完成したホットココアを注ぎ、クルウが飲むマグカップにはバーチシロップを数滴入れて混ぜておいた。
「ほらクルウ、できたぞ」
「ありがとう……なんか甘い匂いがする……」
リビングのソファーで大人しく座っていたクルウはまだぼんやりとしたままなので、彼が舌を火傷しないように少し冷ましてから、バーチシロップ入りのホットココアが入ったマグカップを手渡す。彼は与えられた飲み物がコーヒーではないことも気にせず、こくこくとゆっくり飲み始めた。
「おいしい」
「それならよかった」
自分も彼の隣に座ってホットココアを味わう。普段甘めの飲み物を飲むことは滅多にないが、ほんのりと優しい乳とココアの甘さはこの時間の心身にじんわりと染みてくる。
「ディル、これ、粉を間違えた?」
「ふふっ……ああ、そうかもな。ココアパウダーと間違えたようだ。でも、もう作っちゃったし、これでもいいか?」
「うん」
クルウと二人でゆっくりとホットココアを飲み干して、空になった二つのマグカップは自分がシンクに持って行って綺麗に洗っておいた。再びリビングに戻るとソファーの背もたれに身体を預けてウトウトとしているクルウが待っていた。
「……クルウ、もう寝ようか」
「う……っ、でも、いらい……あって」
「それは明日までにやらないといけないのか?」
「ちがう……よっかご……」
「そうか、ならちょっと横になってからやろうな」
あとはもう本人の返事も聞かずにクルウを抱え上げる。先程ホットココアを飲んだ影響なのか、彼の身体はまるで湯たんぽのようにポカポカと暖かい。このまま抱きしめたまま寝たら快眠だろうと思いながら、寝室のベッドに二人で戻っていった。
そして朝。夜更けの行動の影響かホットココアの効果か、クルウは珍しく寝坊をしていて自分よりも遅く起床していた。今朝のクルウの目覚めはよかったようで、先程よりも酷くぐちゃぐちゃになった寝癖ではあったものの表情はすっきりとして明るく感じられた。そんな彼を紙のパックを使ってコーヒーを淹れながらキッチンで迎えると、クルウは不思議そうに首を傾げていた。
「あれ、ディル今日は予定ないって言ってたよな。あのサイフォンは使わないのか?」
「まあ、たまに準備が面倒になることもあるんだよ」
彼の睡眠を邪魔しようとした遠い期日の依頼も、それを頑張って早めにこなすために用意された眠気覚ましのための飲み物も取り上げて、いつもより少し味の落ちたコーヒーを心底満足しながら飲み干した。
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