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yn
2023-07-08 16:06:40
3728文字
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movie100
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088:リトル・ヴォイス
映画タイトル100題からおかりしました。思いついたから書いたある女と男の話。全部捏造のなんでも許せる人向け。すけべを仄めかしているがエロくないです。
三日とあけず、そのこどもはやってくる。
今日は一昼夜と空いていないのに、戸を叩く音がした。
「俺です」
こちらが応えるよりも先に、少し身をかがめたこどもが頭だけを突っ込んで室内を覗き込んできた。目隠し布を被った古いバスケットを手にしている。甘い香りがする。
葡萄酒を持ってきました、と笑った拍子に傾いた首に目をやる。十日前に噛んだ後はきれいに塞がっている。首を寄越せ、と手招きした。
「酒よりも?」
「腹が減った」
「俺の血、不味いって言ってましたでしょう」
「五月蝿い、豚や牛の血よりはマシだ」
「はいはい」
「ほんと、葡萄酒のような綺麗な目」
血止めの布を首に巻いたこどもがうっとりと呟くように言うものだから、思わず少し吹き出した。グラスに揺れる葡萄酒越しに足元を見る。
揺り椅子に座る私の前に跪いたこどもは、湯を張った桶に布を浸しながら熱に浮かされたような間抜けな顔で私を見つめていた。
「なんで笑うんです」
「ろくに飲めもしないくせに、よくもまあそんな台詞を言えたものだ」
「う、いいじゃないですか別に。量が飲めないだけで嫌いじゃねえんだ」
昔戯れに飲ませた時、数口で昏倒したことを思い出す。嘔吐はしなかったから床に転がしていたが、次に起きた時の顔は見るに耐えない萎びた瓜のような有様で、何十年かぶりに声をあげて笑ったのだった。
「さ、足を」
己の醜態を誤魔化す為か、いつもより大仰な仕草で足を乞うこどもに足先を預ける。暖かな手が私の足を包む。両手ですっぽりと包み込まれた足がここちよい。
そうしてふと、思い至った。
「
……
おまえ」
「ハイ」
「でかくなったか」
「え?」
「手だ」
「あ、ああそうかも。背も伸びたし」
背も伸びた。そう言われたらそうかもしれない。こどもが身を屈めて戸を潜るようになったのはいつからだろう。そういえば、スラックスに雑に縫い付けられた膝当ての位置もだいぶズレている。見苦しく折り返されていた裾は伸ばされていた。
「もう十八ですし」
「
……
まだ、赤ん坊でしょう」
「そりゃ、あんたからしたら俺も赤ん坊も同じだろうけど」
へら、と笑うこどもが私の足を揉む。あたたかい。大きな手だ。こどもの手ではない。男の手になっている。
「もう出会って一年と少し経つんですよ、そりゃ背だって伸びます」
このこどもは、いつからこどもでなくなったのだろう。
「おい」
「はい?」
葡萄酒のグラスを置き、両腕を伸ばした。こどもは不思議そうに、しかし素直に立ち上がって私の側へ侍る。首の布の端を掴んで引っ張った。まさに綱を引かれた犬のように濁った声をあげたこどもに、黙れと一言低く言えば直ぐに口を閉じる。一文字に結ばれた唇に己の唇を押し付けた。
「ちょ、っと」
「んン?」
薄目をあけてとろりと視線を流してやると簡単に体が硬直する。舌を出して唇を舐め上げた。皮のむけた構われていない乾いた柔いところを潤す様に唾液をまぶし、音を立てて吸ってやる。
何分かぶりに離れてみた顔は秋の山より赤く燃えて、いつ発火してもおかしくない様な有様である。
「んな、な、何です、急に一体
……
」
「黙れ、と言った」
「さすがにこれは承服できかね、おいっ」
「来い」
裸足のまま立ち上がり軽く手を引く。足が汚れますよ、なんて文句を無視して、手を掴んだまま、全く使っていない寝台へと寝転んだ。「誰か来た時に無いと不自然でしょう」と言ってコレを設えた本人も、まさか自分が使うことになるとは夢にも思うまい。
もう一度手を引く。抵抗なく体が傾く。粗末な寝台に背を預けたまま目で呼んだ。伺い立てるようにゆっくりと、こどもは私に覆い被さってきた。月明かりを背負う姿をまじまじ見て、耳の端まで真っ赤になっていることに気がつく。
「どうしたい」
四角い顎を拾い上げて誘う。ちくりとささくれた何かが指先をくすぐった。嗚呼、一丁前に髭まで生える年頃なのかと思うと少しおかしかった。
指先を滑らせ、喉の隆起を押す。ぎゅう、と締められた鶏のような音。
「
……
俺は」
無骨な指が伸び、仮面に触れてきた。そこまでを許可した覚えはないと叱責しようかと思ったが、やめた。目を閉じる。息を呑む音がして少し、しゅるりと紐が鳴いて、仮面が外された。閉じた瞼に暖かなものが触れる。薄ら目を開けると、信じられぬほど近くに顔があって驚いた。
「おれにそれを、ゆるしてくれるなら」
たかだか人間の声が、毒の様に脳を揺らした。ああ、本当に私は焼きが回った。
月の光を透かしたように煌めく目は一切の曇りなく、強い意志を湛えてこちらを見据えている。
私の言葉を待っている。
許す、と囁いた。
内臓を押し上げられる度、腹を刺された時のような低く濁った声が出た。気遣いと無縁の動き。無遠慮な侵略は自分が一等厭うものであったはずなのに、ごめんなさいと謝りながら体を寄せてくるこどもの蕩けた瞳に毒を抜かれてしまった。すっかり堕ちたものだと嗤う。
「ごめんなさい」
止められない、と悔しそうに唇を噛むこどもは、何度も何度も私を呼ぶ。私の名ではない名を切なげに呼ばれるのが煩わしい。
「お、い」
「はい」
顔が上がる。息を切らして目を潤ませて、私を見ている。妙な心地だ。小さな黒目に見知らぬ女が映っている。乱れ髪が見苦しい事この上ない。
見なかった事にして、名を告げた。一言だけ。分からぬならば、それでも良い。あの妙に背伸びした気障ったらしい呼び名はもうやめてくれ、という気持ちを込めたせいか、いささか投げやりな語調になった気もしたが、かまわないと思った。体が怠い。熱くてあつくて、焼け落ちそうなのだ。早く楽になりたいと思ったのは生まれてこのかた初めてだ。
熱の元凶たる、かつてこどもだった男はしばらく阿呆面を晒した後、ようやっと教えてくださったと泣いて私をかき抱いた。
汗臭い。燃え盛る肌がぬるついて気持ち悪い。体が熱い。奥が焼ける。痛む。くるしい。あつい。
けれど、振り払う気は起こらなかった。
すべて終わった後、術を使わず男と寝たのは初めてだ、と気づいて愕然とした。
信じられぬ気持ちで身を起こし、もう一つ気がつく。男がいない。
「おい」
発した声が掠れて思わず喉を押さえる。腹も痛い。無遠慮に奥を穿たれたせいだ。困惑の最中あたりを見回すと、目当てはすぐに見つかった。
何故だか知らないがボロ布を敷いた床で、潰れたヒキガエルのように四肢を投げ出して眠っていた。汗でベタついた額に短いダークブロンドが散っている。口は半開きでイビキすらかいていた。こうして見るとやはり、まだこども。
「おきろ、下手くそ」
寝台の端に寄って腕を伸ばし、鷲鼻を摘む。んが、と謎の奇声が上がった。
「──あれは?」
「あー
……
アル
……
なんだったっけ」
「アルタイル。あっちは」
「ベガ」
「んだよ、まあまあ覚えてるじゃん」
「短いからな。もう一個は忘れたなぁ」
「デネブだよ、あっち」
「おー」
お前、覚えがいいなあ。あんたの覚えが悪いだけだろ。
手製の揺り椅子に腰掛け、窓から熱気と共に流れてくる会話に耳を傾ける。星読み以前に星の名前すら危うい大人を嗜める子供は、得意げに空に瞬く灯りを指しては次々名を当ててみせた。まるで親子とは思えない。
ばたばたと駆ける音がしてすぐ、けたたましくドアが開いた。静かに開けろ、と一言苦言を呈するが、短い癖毛を揺らした息子は少しも堪えた様子なく軽く唇を尖らせると、水瓶からカップに水を注ぎ始める。
「なあ母さん、親父ダメだよ、ぜーんぜん覚えてねえ」
「おやめケーン、あの子は頭が丈夫でないのだから」
「あ、あのなあガビ
……
」
後から入ってきた男が困ったように笑う。流石にもうこどもとは呼べぬ顔つきになったが、親というには少し幼い笑い方だ。息子と並ぶと、下手をすれば兄弟に見えるかもしれない。
息子から受け取った水で唇を濡らして笑った。
「本当のことだろう」
「あんたに比べりゃ大抵のやつはポンコツになっちまう」
「俺は違うよ」
自信満々に真っ白な牙を見せて笑う。
産まれてまもなく同胞へ迎えた息子は、私の力を受け継いでいた。私ほどではなかったが、同胞に膝をつかせるには十分の力を直ぐに身につけた。そして、私には無い力も持っている。
もしもこの子がかつての私のそばに居たのなら、何かが少しは変わったのかもしれない。なんて意味のない夢想をしたくなるほどに力強く、才に祝福された息子だった。父に似たなら体も大きく強くなる。私に似たなら、術師としてもっと伸びるだろう。私にないその力、使い方を考えればきっと。惜しい、ああ、惜しい。
「ケーン、弟妹を守ってやるんだぞ。にいちゃんなんだから」
「おう」
まかせろ、と頭の後ろで手を組んで照れくそうに笑う顔は、父親によく似ている。
頭によぎる馬鹿な考えを洗い流すように水を飲む。
腹の中で微睡むもう一人が、混ざりたそうに臓腑を蹴った。
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