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2023-06-25 00:12:37
2350文字
Public movie100
 

013:大混乱

映画タイトル100のお題からお借りしました。喧嘩する既婚拳コユ。オチはない。

 テーブルを挟んで睨み合う。片側に座るのはスキンヘッドに眉無し、筋肉質でヤクザ顔という後ろ暗い事がある者が見たらゴメンナサイと頭を下げたくなるような要素のデパートのような風体の男。その真正面に座って頬を膨らませているのは黒髪のボブヘアを揺らした幼顔に、太めの眉が印象的な女。
 男は字を野球拳大好きと名乗る高等吸血鬼──ケン、女はついこの前見習いの襷を脱いだばかりの退治人、名をコユキという。並んで歩けば職質必至の二人だが、紆余曲折の末結婚した歴とした夫婦であった。

 堂々巡りの口論はコユキの生業たる退治人稼業が発端だ。
 コユキは本日の任務で下等吸血鬼に引っ掻かれて腹に軽傷を負った。共に任務に当たったマリアは心配していたが、この程度の傷ならばなんてことはない。予防接種は全て受けているし、噛まれたわけでもない。血もすぐに止まった。それに先輩退治人たちもこの程度であれば自分で消毒して済ませてしまう。
 なので特段それをケンに伝えることなく帰宅したのだが、生血を主食とする種族相手に出血を伴う怪我を隠す方がどだい無理な話だ。帰宅早々「こっちゃ来て座りなさい服をめくって見せなさい」と真顔で言われたらもう逃げられない。渋々上着を脱ぎ、破れたシャツをめくって何も構われていない傷を見せた。そこから先はもうケンの独壇場だ。
 怪我の程度を確認し大仰に消毒液をぶっかけてガーゼをあてながら延々と展開するお説教は耳にタコができるほど聞いた文句のオンパレードだ。
いつもなら、心配かけてごめんなさい、気をつけますね。ありがとうございます、で済む話だ。
 しかし本日は間が悪かった。コユキはこの程度の仕事で傷を負った自分の未熟さに心がささくれていたし、連日連夜の任務で疲労が蓄積していた上に心の余裕もなかった。だから珍しく、ケンの説教に〝この程度の怪我でお説教なんてやめて。いい加減に慣れてください〟と反論した。よって場はさらに荒れた。
「俺はコユキを心配してんの」
〝このくらいの傷で騒がれたらわたしお仕事できません〟
「辞めろなんて言ってねえさ。ただもう少し気を付けて」
〝でも、根本はやめて欲しいってことじゃないですか〟
「だ、だからもぉぉ」
 ガリガリ頭を掻くケンから顔を背ける。
 一方のケンは「今日は随分と荒れてるな」と思える程度の余裕があった。こればかりは子育て経験もある年長者、年の功だ。
 基本素直で人の言葉には耳を傾けるコユキがここまで頑ななのは珍しい。根気良く話せばわかるだろうと言葉を重ねるが、コユキはまろい頬を膨らませて臍を曲げたまま。
 自然、段々とケンも言葉が刺々しくなるし、対するコユキも語調が強まっていく。
〝わたしは退治人を辞めませんし、この仕事を続ける以上怪我とは無縁でいられません。ケンさんもご承知のはずでしょ〟
「それはそれとして女房が怪我して帰るのを知らん顔していられるほど俺ァ薄情じゃねえんだよ」
〝ケンさんが慣れてくれればいいことですもん。わたしこのくらいなんてことないし。放っといて〟
……だあああっなんッでお前さんはこうも融通がきかねンだよ!頑固モン!」
〝それはケンさんの方じゃないですか!〟
 そもそもケンがここまでコユキに物申すのはケンがコユキを信頼し心を預けているが故なのだが、双方その自覚がないものだから始末が悪い。
 もしもこの場にケンの唯一の血縁者たる弟の片方でもいれば多少なりとも場は和らぐのだが、生憎この1LDKにいるのは家主たる二人のみなので、口論は平行線を辿る一方である。
 もう我慢ならん、と額に青筋を浮かべたケンが、椅子を鳴らして立ち上がった。

「なんでトオルは兄ちゃんの言うことが聞けねえんだ!」
〝は?〟
……………………あ?」

 時が止まった。
 コユキはぽかんと口を半開きにしてケンを見上げている。
 ケンはといえば、俺今何口走った?と混乱と共に思い返し、己の口から飛び出したワードを脳内で反芻し、更に混乱していた。
「いやっあ、間違えたミカエラ、その」
……は?〟
「ダッまっ間違えた、違う違うだからあの」
 待ってくれと手を突き出して口を押さえる。完全に思考がとっ散らかっていた。

 これは例えば母親が子供を叱る際、上の子を叱っているはずなのに下の子の名前を呼んでしまうとか、下の子を呼んだはずが上の子の名前で呼びかけてしまうとかいう、単純な脳のバグだ。吸血鬼も人間も変わらず発生するうっかりミスに過ぎない。が、これまた非常にタイミングが悪かった。
 哀れな夫がようやっと妻の名をきちんと口にできた時には妻の目は据わりきり、絶対零度の視線が身を貫いていた。
「こ、こゆ」
〝弟さん想いなのは存じ上げてますけどわたしと間違えるなんてそんなことありますか〟
「すまんマジでホントに悪気なくて」
〝そんなに弟さんが好きなら弟さんと結婚すればいいじゃないですか〟
「いやちょっと何言ってんのお前」
〝もう知らない、ケンさんのバカ〟
 今度はコユキがカタンと椅子を引いて立ち上がる。帰ってソファに投げ捨てていた鞄をそのまま取り、上着を羽織り、ボタンを閉める。肩を怒らせてリビングの戸を開けると、ケンを一瞥もしないまま部屋を出ていった。
 残されたケンはコユキの手を掴むこともできないまま、ただ呆然とコユキが出ていった扉を見つめていた。

 五分程そうしていただろうか。テーブルに置かれたスマートフォンが振動と共にメッセージの新着を告げたことで、ケンの意識はようやく現世に戻ってきた。慌てて端末を引っ掴んで通知をタップする。
 トークルームの新着には無慈悲にも『実家に帰らせていただきます』の文字が踊っていた。