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2022-02-27 22:06:31
4858文字
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拳コユ
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白昼夢
悩めるコユキちゃんとある人の、ある日の話。/拳コユ前提だけど兄さんはほぼゲスト出演/ただただ喋ってるだけです。原稿中の息抜きに書いたものを手直し。
彼は吸血鬼であるからして、わたしよりもうんと、うぅんと長命である。
彼だけでなく、彼の大事な宝物である弟さん二人も同じ、吸血鬼だ。
次男である美しい彼も、三男である人懐こい彼も、きっとわたしの何倍も生きている。
わたしがどんなに食事に気をつけ、運動を習慣とし、酒も煙草も手を出さず、健康な生活を送ったとしても、保って百年、いや八十年。そこが人間としての限界点。今の年齢をさっ引いたら、残りは六十年か、五十年か。
人間の命なんて、彼らにしてみればきっと、風に攫われた木の葉が地面に落ちるまでの間程度の一瞬で過ぎ去るものなのだろう。地面に積もり積もった木の葉は誰に気にされることもなく、ざくざくと踏みつけられて、土に還ってまた葉をつける。
わたしもきっと、彼らにとっては有象無象の葉っぱの一枚。
それは、とっても寂しいことだけど、かといって彼と同じく葉を見送る側に回りたいのかと言われれば答えに詰まってしまう。
たかだか二十年と少しの時しか知らず、そのうちの五年ほどはほどんど記憶に残っていない。わたしがわたしとして生きたという確信を持って答えられる時間は本当に短い。そんな小娘が急に悠久の時の中に放り出されて生きていくことができるのだろうか。
「君はどう思う?」
問いかけてくる声は不思議な響きを帯びている。感情が何一つ含まれていないような、慈愛に満ちているような、悲しみに暮れているような、不思議な声だ。
仕立ての良い三揃えに、オールバックの白髪と、金箔を散らしたような虹彩の瞳が美しい老紳士は、いつの間にかわたしの向かいの席に座っていた。相席を許可した覚えはないが、あまりに自然にそこにいて、それが必然のように感じてしまったので、わたしはそのままお茶に口をつけている。
老紳士は「暇なの。話し相手になってくれない?」とその風貌からは想像がつかないほど軽快な語調でわたしの思考を引き出すと、心の中でぼやけていた靄の輪郭を綺麗に整えてくれた。
カップの中に視線を落とす。ミルクティーの赤みを帯びたベージュ色が揺れている。沈む寸前の太陽が断末魔の様な光を放って、窓越しにカップを照らす。
老紳士の顔にも光が差している。どこか浮世離れした存在感に、もしかしたら吸血鬼なのかもと思っていたが違うらしい。だって、耳が丸いのだ。
老紳士ははもう一度、「君はどう思うかな」と問いかけた。
わたしはどう思うか。一口ミルクティーを飲んで、考える。
彼とずっと一緒に生きていけたなら、こんなに嬉しいことはない。しかし、それは人としての生を外れて彼の世界に飛び込むことを指している。
わたしの時間の流れは人の世と違う軸で回る。
家族も友人も、今生きる人間たちは光のような速さで生きて死んでいき、また生まれる。幾度も幾度も見送るのだろう。
それはひどく恐ろしくて、悲しいことなのではないだろうか。
「そうだね」
老紳士は否定しなかった。慰めの言葉はない。端的な事実だけを告げている。
銀色の睫毛が縁取る目を伏せて、テーブルの上で長い指を組む。
「とっても寂しい」
不思議な声だ。静かで深く、澄み切っている。
周りの音が聞こえなくなるくらい、その音は魅惑的だった。
「寂しくて、悲しい」
整った髭の下で動く薄い唇から、ぽつりぽつりと言葉が転がり落ちる。
「悲しくて、くるしくて、とってもつらい」
───あなたは、苦しかったのですか?
そう聞きたかったが、声が出なかった。
老紳士の耳は丸く、口元から牙も見えない。目の前の老紳士は人間にしか見えないが、言葉には実際に何千の別れを経験した重さがあった。
伏せていた目がゆっくりと開いて、柔らかく微笑みの形を作る。
「それでも、人の子はどの世でも愛おしいものだ」
お食べ、美味しいよ。
老紳士はテーブルの上のクッキーをすすめた。スミレの花が描かれたナプキンが引かれた皿の上に、たくさんのクッキーが乗っている。いつ頼んだのだろう。店員が来た気配はなかったのだが。
それだけ考え事に没頭していたのかと思うと少し恥ずかしい。わたしはお礼を言って丸いクッキーを一枚摘んだ。
楕円の生地に、チョコレートで模様が描かれている。愛嬌のある可愛らしい垂れ目。一目でわかった。アルマジロだ。知り合いのアルマジロよりも面長だが、とても愛らしい。頭を齧るのは気が引けて、背中側を齧った。
途端にほろり、生地がほどけて、アーモンドの風味とチョコレートの濃厚さが口の中に広がる。今まで食べたクッキーの中で、一番美味しい。こんなにクッキーが美味しいカフェだとは知らなかった。アルマジロ柄だし、かの吸血鬼にプレゼントしたら喜ぶかもしれない。
おいしいです!と顔を上げると、老紳士はそれは良かった、と頷いた。
老紳士はわたしがクッキーを一枚食べ終えると、大きな右手を差し伸べてきた。
長くてしなやかな指と、形の良い爪。バランスの良い大きさの手のひら。まるで神様が『美しい手の手本』として作ったような手だった。
彼の四角くてかさついた手とはまるきり違うなあ、と思う。
「人の子、昼の子よ」
老紳士が歌う。
「少しだけ手を」
チョイチョイ、と誘うように指先が動いた。わたしは少しだけ戸惑う。老紳士が一体何をするつもりなのか、わからない。
わたしの不安を見透かすように、老紳士は微笑んだ。口元は整えられた髭で見えないが、何故かそうわかる。
「君を傷つけることはしない。この心臓に誓おう。大丈夫」
さあ、と促され、恐る恐る、テーブルの上の手のひらに自分の手を重ねた。ひんやりとしていて体温が低い。老紳士はもう片方の手をわたしの手の上から重ねた。大きな手に、わたしのおもちゃのように見える手がサンドイッチされる。
「君の中には入らない。表層を見せてもらうだけだから安心して。さあ、君の想い人の好きなところを思い浮かべてごらん」
不思議な物言いだが、老紳士の言うことに間違いはないと、そう思った。わたしを害そうとするひとが、自分の心臓に誓いを立てたりする筈がない。
目を閉じて、大好きな彼を思い浮かべた。
珍妙な柄の桃色の着物と、軽快な下駄の音。小さな紅色の瞳。骨張った輪郭。ご飯を食べるとき、布を下げてあらわれる大きなお口と覗く牙。隆起した喉仏と太い首。ごつごつと間接の節が立つ手。お嬢ちゃん、と呼んでくれる柔らかい声。弟さんの話をする時にいつもより下がる目尻。好きなところは数えきれないほどたくさんある。それから、それから。
「
……
成程」
彼の大好きなところを次々に思い浮かべていると、老紳士が少しだけ声を震わせた。笑いを堪えているようだ。
老紳士は丁寧に礼を言うとわたしの手をテーブルに置いた。体温が移り、少しだけ温まった手が離れてゆく。
「彼が君を夜に導くには、少し博打だね」
一瞬、老紳士が言う意味がわからなかった。夜へ導くとは、何だろう。
「
……
私なら、君を確実に夜へ橋渡ししてあげられるんだけど」
それは不粋というものだ。
老紳士は軽く肩をすくめて見せる。
「君を夜へ招待するチケットは、彼の牙であるべきだろう」
そろそろ時間かな。
言うと、老紳士はするりと立ち上がった。座っていても大柄な人だとは思ったけれど、立ち上がるとまるで壁だ。顔をほとんど真上に向けないと目を見られない。
老紳士は少しだけ上体を折った。それが一礼をしているのだとわかるまで、数秒かかった。
「話し相手になってくれてありがとう、琥珀色の目の昼の子よ」
いえ、と首を振り、瞬きをした瞬間。
老紳士の三揃えが、まるで何かのスイッチを入れたかのように襟の高い黒のマントと、漆黒のスーツ姿に変わった。何の予備動作もない。マントの裾がばさりと綺麗に翻り裏地の紅が覗く。
耳が尖り、肌が薄く青みを帯びて、瞳は濃い鳩の血の色。そして、菱形のカットが美しい、橙色の宝石が留まったループタイ。
あ、と思わず声が出た。この姿を見て初めて気がついた。わたしがよく知る、アルマジロを使い魔にする吸血鬼。この老紳士は確か、彼の。
わたしが正体を口にする前に、老紳士は悪戯大成功と言わんばかりに目尻を下げた。
突然、ココン!とガラスを叩く小気味良い音がした。音の方を振り向くと、カフェの外、窓ガラス越しに彼が手を振っている。いつの間にか陽が落ちて、辺りは夜に変わっていた。
彼はカフェの入り口を指さして口布を下ろし、口の形だけで『待ってろ』と言うと、一つ手を振って入り口へと歩いてゆく。
店を覗きこんだというのに、何も気がついていない様子だった。何故だろう。こんなにも目立つ人なのに。
「昼の子よ、君の愛は彼を救っている」
耳元であの不思議な声がして、今度は店内を振り返る。
既にあの老紳士は消えていた。おしゃべりに夢中な女性の二人客も、ノートパソコンを広げて難しい顔でキーを打ち続けているサラリーマンも、レジで何やら帳簿を見ている店員も、誰一人として、老紳士が消えたことに気がついていないようだ。それでも、わたしの耳元にはあの不思議な響きがまだ残っている。
「住む世界を焦って決めなくても良いのだ、昼の子よ」
「悩んで悩んで、納得いくまで悩みなさい」
「そして君の時が許す限り、彼の屋根でいてあげてほしい」
「君がいつの日か、昼と夜の境界を超えてくることがあれば、我が一族は諸手をあげて歓迎しよう」
「楽しいひと時をありがとう」
「君の歩む道に、幸多からんことを」
彼と仲良くね。
ふんわり、耳元を風がそよいだ。緩く髪の毛が持ち上がる。
お店でも滅多に開けないザ・マッカランのシングルモルトウィスキーのような、深くて豊かな香りがする。
「よぉ」
ぽん、と肩を叩かれて、大袈裟なくらい体が跳ねた。ばっと後ろを見ると、彼が口布を引き上げながら怪訝な目で私を見下ろしていた。柘榴の身のような、小さいけれど紅の瞳。無意識に詰めていた息を吐き出す。
何かを感じ取ったらしい彼が、わたしの横にしゃがみ込んで、どうした?と柔らかく問いかけてきた。
首を横に振って、彼の手をとる。節をなぞり、指の一本一本を撫でる。すこしかさついて、親指のはじに少しだけささくれがある。男の手だ。神様の手ではなくて、男の手。わたしのだいすきな男の人の手だ。
先ほどまでの時間は夢か現かわからないけれど、今目の前にある手は間違いなく現実だった。
「
……
嬢ちゃん、おじさんそろそろ、恥ずいんだけど」
いいかな?と問われて、はっと顔を上げる。口布と頭の手ぬぐいてほとんど顔は隠れているが、眉間にみゅっと皺を寄せて、目尻がちょっとだけ赤味を帯びている。彼の後ろでは店員の女性がお盆にお冷やを乗せて立ったまま、アラアラウフフ、と言わんばかりにニコニコだ。
ごめんなさい、と小さく言って彼の手を離す。少しだけ名残惜しい。
「や、別に、いいけどな
……
それ、どうした?」
彼が頬を掻きながらわたしの向かいの席に座った。ニマニマ顔の店員にコーヒーを注文しつつ、わたしの方を指さした。
何のこと?と首を傾げると、膝の上、と今度はテーブルを指先で叩く。
膝の上。なんだろう。
言われるがまま目線を落とすと、艶のある紫色のリボンでラッピングされた箱に大量のクッキー。
そして、先程はなかったはずのカヌレやマカロンまでもが一緒になって、美しく詰め込まれていた。
それから暫く後、わたしのスマートフォンには不定期に『D』という名前で「お暇?」とお誘いが来る様になるのだが、それはまた別のお話。
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