どむさぶマフィ医カラ一

2022/02/08追加

 ダイナミクスと言う新たな性が大々的に認知されると、途端にそれにまつわる研究が進んでいった。それは表向き、大衆の利になるものが大半ではあったが、表沙汰にならないものも、少なからず存在していた。表沙汰にならないそれらは、眉唾物の噂だの、都市伝説だの、陰謀論だのと、ある種のエンターテインメントのように無為に消費されて、事実かどうかすら人々は知ることがない。
 なにせ、そんなダイナミクスの発現があったとて、大半が軽微な、通称レベル1にも満たないような人間が殆どで、そうした人々は生活に支障もない。ただの性格、性質だと片付けられる程度だった。
 深度とも呼ばれるレベル1からレベル5までのどれかに属する人々は、多かれ少なかれ、そのダイナミクスに依る欲求が満たされなければ心身の不調に苛まれることがある。そんなダイナミクスは、DomとSubに二分されている。大雑把に、世間一般に簡単に知られているように言えば、支配したい欲求を持つDomと、支配されたい欲求を持つSub。もっと個々で見れば細かな欲求が深度や個々人の性質で変わるのだが、大別するとそうなっている。
 パートナーを得て、欲求を満たす。それがダイナミクスの不調を治める方法ではあるが、世の中そう上手く行くことばかりではない。同じレベルの欲求を満たし合えるパートナーが見つかるのか、そもそもパートナーを見つけたいのか。個々の事情で、薬の処方を必要とする人々が増えてきた辺りで、ダイナミクス専門医なるものが望まれるのは時流の必然だったのかもしれない。
 松野一松は、レベル3のSub性を持つダイナミクスの当事者でもあり、それによる問題を抱えた患者を診察する医者として、赤塚総合病院で働いている。パートナーはおらず、定期的な薬の投与によって不調をやり過ごしている一松は、診察室で頭を抱えていた。
 ダイナミクス性による不調をもたらす原因は、大抵、満たされない欲求である。その状況下で身体に何が起こっているのか、それを現代医学は少しずつ解明してきている。そうして、医薬品が作られているし、一松とてその恩恵に預かっている。端的に言えばホルモン剤のようなものだ。中には副作用などの理由で、厳密に取り扱いや処方の上限が定められているものもある。処方薬の程度はレベルや症状を目安に選出するのだ。
 そして、今、一松の目の前にいる男、松野カラ松は。この病院のダイナミクス科にやって来る患者の中でも珍しい、重度の―― レベル5のDomだった。不動産業を営む立場だと言う彼は、しかし、そんな引く手数多であろう身分でありながらパートナーを頑なに持とうとしない。故に、処方において一松が最も気を使って、なんなら数日は己の判断を不安に思いながらうなされてしまうほどの強い薬を、定期的に求めてやって来る。そこまで重度のダイナミクス性がもたらす不調には、それだけの薬が必要なのだ。
 黒いスーツにサングラスという出立ちは、どうにも真っ当な職の男には見えないが、カラ松自身が「まあ不動産関係の仕事だな」と言い張っているのを信用するしかない。スーツだけならばただの会社員にも見えただろう。けれど、そもそも彼のサングラスは、薬を飲んで抑えても抑えきれずにいる視線による威圧を隠すためのものだった。初診の日にサングラスをつけたままでいいと言ったのは、他でもない一松だ。
 そんな彼が。
「もう少し強い薬を一週間分、出せないか?」
 などと言い出したのだから、一松は頭を抱える他ない。赤塚総合病院で、そしてカラ松のレベルと症状の兼ね合いで、彼に出している薬が何より強いものなのだ。それ以上は入院するレベルの不調への、緊急使用だけが許されている。常用薬として処方するなど、不祥事だとして問題になるに違いない。
「あのさ、カラ松さん。前から散々言ってますけど、いつもアンタに処方してるやつ。あれが一番強いの。本当ならもう少し弱いやつのがカラ松さんの負担も少ないし、今後を考えるとベターだと思うよ」
「それは、分かってるんだ」
「そもそも、カラ松さん多分勘違いしてると思うんで言っておきますけど、薬は別に、Dom性の、俗に言うフェロモンとか言われてるものを消すアイテムじゃないんですよ。欲求が満たされないことで、必要なホルモンが分泌されない。そこから起こる不調を治めるために無理矢理に分泌させたり、補ったりするのが薬だから」
 カラ松はサングラスをかけたまま、分かりやすく肩を落としている。そんな姿に、一松も思うところがないわけではない。今の薬の強さを身をもって知っているカラ松が、それよりも強いものをとわざわざ言い出したのだ。何か事情があるのだろう。もちろん、そんな情だけで処方できるようなものではない。
……子供の、面倒を。一週間見なきゃならないんだ」
「それだけだったら、今までと同じ処方でも問題ないと思いますよ。サングラスは外せないってのは、確かに懸念かもしれませんけど」
「ダイナミクス検査でSubだと言われたばかりの、レベルも未確定の子供だ」
「ううん、確かに検査可能になる年齢だとまだホルモンバランス自体が不安定だから、カラ松さんの危惧も分かりますけど……。薬はこれ以上のものは出せませんし、別の方にお願いすべきだとこちらで診断書も出せますよ?」
 ダイナミクス性の検査こそ義務付けられているが、正確に分かるのは十代になってからだ。各国で多少の差があり、ここでは中学在学中に一斉検査を受けるのが基本だった。そこで分かるのはダイナミクス性、そして暫定的なレベルだけだ。思春期、いわゆる第二次性徴期は、身体的な性に応じたホルモンすらも不安定な時期なのだ。ダイナミクス性に関わるホルモンも言わずもがな。
 だからこそ、カラ松の危惧を一松は分かってしまう。まだバランスの整っていない時期の、特にSub性の子供にとって、重度のDomであるカラ松の存在がどう影響を与えるのか分からないのだ。カラ松を定期的に診察している一松は、彼が薬を飲む前の苦労を聞いている。Domに特に過敏に反応するSubも存在するのだから尚更だ。
「一応、診断書を用意してもらっていいだろうか」
「分かりました。それではいつもの薬を同じく二週間分と、あとは診断書ですね。診断書は処方箋と一緒に渡します」
「ありがとう」
「くどいようですが、身体に異常が出たら服薬をやめて直ぐに受診してくださいね」
 カラ松は一松の念押しに頷き、礼を告げて診察室を後にした。それを見送り、一松は電子カルテを保存して、また次の患者を待つ。どこか処置室に呼び出されるほど、ダイナミクス性に関わる急患は多くはない。研修医として様々な科を体験した一松が、このダイナミクス科で良かったと思っている大きな理由だった。反面、少しでも時間が空くと過去の己の診断を思い出しては、頭の中で反省会が繰り広げられてしまうため、一長一短であるのだが。



 その日の業務を終えて帰途についた一松は、電車の中でも一日の仕事を反芻してはあれこれと反省会を繰り広げていた。あの患者へはあの処方で間違っていなかっただろうか。あの患者へはあの言い方で問題なかっただろうか。仕事の合間と、そしてこの電車の中でそんなことばかりを頭に思い浮かべてしまうのは、一松にとって昔からの癖のようなものだ。学生の頃だって、クラスメイトとの会話を思い返しながら、あの時はあの反応でよかったのか、あんなこと言わなければよかったかもしれない、そう思いながら下校していたのだから、もう筋金入りだ。
 そしてその日は特に、カラ松への対応はあれで良かったのかと自問自答を繰り返している。一松が診ている中でも特に重度のDomであり、今回は常とは変わった要望を出されたせいもある。他の患者のことも思い返すが、その合間にカラ松のことへと思考が巡ってしまう。医者として、決まった患者に入れ込むことは良くないと分かっているのだが、それでも。
 それでも、一松には彼に対して特別な思い入れがあるのは、覆しようのない事実だった。他人には決して口外できない、一松にとっての秘密。それは。
「おかえりぃ、いちまっちゃん。お兄ちゃん迎えにきちゃった」
……ただいま、おそ松兄さん」
 頭の中でぐるぐると考え事をしていても、降りる駅を間違えず、そのまま人の流れに乗って改札を出ることなど一松にとっては慣れたものだ。そうして駅舎を出たところで、一松は一人の男に気さくに声をかけられた。その赤いパーカーにジーンズ姿の彼は、一松の兄の一人、松野おそ松だ。退っ引きならない事情で一人暮らしをする一松の、その事情の権化とも呼ぶべき男だった。
 実家で暮らすおそ松が、一人暮らしをしている一松を、わざわざ彼の利用している駅まで迎えに来る理由など、よほどでなければないはずだった。事前の連絡さえあれば、一松は降りる駅を実家の最寄駅に変えることくらい造作もないのだから。
「ちょぉっと、うちに寄ってってよ」
「連絡くれればそっちの駅で降りるからっていつも言ってるでしょ」
「連絡しない理由だって分かってるクセにぃ。さ、乗った乗った!」
……ほんと、そういうのどっから嗅ぎ付けてくるんだよ」
 おそ松に肩を押されて、一松は駅前のロータリーに停められていた真っ赤な車体のポルシェに乗り込んだ。この様子を職場の誰にも見られていないことを祈りながら。




 かつて、医者になると決めた一松の前には、様々な問題が立ち塞がっていた。その殆どは、大なり小なり世間でもままあるような、学業の成績だったりする。しかし、ことさら大きく、一松だけではどうにもならない問題が、一つだけあった。
「はいとーちゃく!」
 特別上手いとも、やたら下手とも言いがたい、なんとも独特なハンドル捌きを見せていたおそ松が、満足げに車をガレージに滑り込ませた先は、門構えの立派な大きな家だった。それこそが一松の実家であり、医者である彼がわざわざ一人暮らしをしている理由であり、医者を目指す上での大きな問題だった原因である。
 おそ松の車がガレージに戻ってきたことを察したのか、家の中がにわかに騒がしさを増す。それに深いため息を吐いたのは一松だけで、おそ松は気にした風でもない。
「お帰りなさいませ」
 待ち構えたように開いた、ガレージと直結している玄関。黒のスーツを着た体格の良い男が、二人へ深々と頭を下げて出迎える。おそ松は慣れたように片手を上げて応えるが、一松は僅かに会釈をするだけだった。
「あ、お前はまずあっちね」
……うん」
 出迎えた男が揃えておいたのか、きちんと並べられた猫のワンポイントが入っている紫色のスリッパを履いた所で、一松はおそ松に一つの扉を示される。それは一松が実家に帰って来た時の恒例とも言えるもので、その扉の先に誰がいるのかも分かっている。男を従えて別の部屋へ向かうおそ松を横目に、一松は扉を開けた。

「おかえり」
「ただいま」
 部屋で待ち構えていたのは、やはり一松のすぐ上の兄、三男の松野チョロ松だった。ネクタイまでキッチリと締めた姿に、一松は見るたびに幼い頃との違いを感じてしまう。それが、己の選んだ、そして家族が応援してくれた道を歩む一松の、知らない時間を突き付けてくるようで、知らずに背が丸まっていく。
 そんな一松に僅かに肩を竦めたチョロ松は、しかしわざわざ指摘するでもなく、小型のセンサーを手に取った。一松の全身、頭から爪先まで、前も後ろも、センサーでなぞっていく。その間うんともすんとも言わずに沈黙を保っていたセンサーを、チョロ松は書類の重なる机の上にそっと戻しながら口を開いた。
「こないだ来たときから変わったことはあった?」
「特には、ないけど……。これ、必要ある?」
「お前には必要なくても、こっちには必要あるんだよ」
 それは明確な境界線であり、彼らなりの気遣いだ。そう、頭では理解していても、一松の心は澱んでいく。そうでなければ一松の医者という立場はないと、彼自身も痛いほど分かっている。考え無しに、かつてと同じように言葉を交わすことすら、おいそれとはできない理由を。
……知ってて連れて来たんじゃないの」
「今日は単純に、アイツの我儘だよ。なんたって、今日の夕飯は父さんと母さんと、僕とアイツだけの予定だったからね」
―― 忙しいんだね」