透き通った青に染まった保存液が詰まったカプセル型のベッドから、何本もの色とりどりのコードやチューブが伸びている。その中に瞼を下ろして横たわり、酸素マスクをつけられている身動ぎすらしない一人の男。ベッドの中まで繋がる心電図が、そして脳波計が波打つ線を描いていなければ、まるで死んでしまったかのようだった。
男が穏やかに眠る表情を、彼とそっくりな顔を持つ男がそっと覗き込む。透明なカプセルの表面にうっすらと顔が反射するだけで、それが一番に写って欲しい眠る男の瞳は、瞼の奥に閉じこもったままだ。何かを告げようとして口を開いても何も浮かばず、結局は何度か唇を動かすだけで噤んでしまうほど、カプセルの中の男は抜け殻だった。
「やっぱりここにいた」
「チョロ松」
「仕事だよ、おそ松兄さん」
「―― ああ、やだねぇ、働きたくなぁい」
部屋の扉が開いて姿を現したのは、二人とそっくりな顔をした男だ。下がり気味の眉の下で呆れたように細められた目は、ちらりとカプセルの方を見てすぐに戻された。チョロ松と呼ばれた彼は、肩を竦めながら男の名を呼んだ。ほんの一瞬、僅かに冷めた目をしたおそ松は、次の瞬間にはもうわざとらしく大袈裟に嘆いてみせる。
もう何年も働いていなかったというのに、ここ最近では熱心に仕事をしている事実は、おそ松にとっても、そしてチョロ松にとっても全く不思議なものだった。それもこれも、全てカプセルの中に眠る男のため。彼の命を繋ぎとめておくためだ。生まれる前から共に育った一人を、むざむざと葬り去るようなことなど彼らにできはしなかった。
「大人しく寝てろよな――カラ松」
「行ってくるよ――カラ松」
おそ松とチョロ松は揃ってカプセルの中へと声を掛けたが、彼、カラ松からの応えは何一つない。心臓も、そして脳も、ただ淡々と一定の働きを見せているだけだ。目配せをした二人は、一度だけ振り返って、そうして部屋を後にした。
空中を舞うように駆ける。きっと本当に空を駆けた感覚と同じだ。飛ぶように移り変わる景色から、目当ての場所を探し当てる。
『十四松、その隣』
『一松にーさん、りょーかいっ!』
『二人とも気を付けてよね! いつアイツらが来るか分からないんだから!』
『トド松こそ、こないださっさとトンズラしただろ』
真っ青な空が広がる空間、その隣に慌てて身を滑り込ませた十四松は、耳元に届く一松とトド松のやり取りを聞きながら、辺りの気配を探る。この空間は、どうやら星月夜の広がる山の裾野を模しているらしい。地面だと認知した場所に足を着ければ、カサカサと草が悲鳴をあげた。
靴から伝わる柔らかな地面の感触は、現実世界のそれと遜色ない。これが電脳空間だということを忘れてしまいそうだった。十四松が黒地のパーカーの袖から取り出した懐中電灯のスイッチを入れると、程なくして一松とトド松が地面を駆けてくるのが見えた。三人はお揃いの黒地にラインの入ったパーカー姿で、それぞれに紫、黄色、ピンクがあてがわれている。慣れ親しんだ色を、手放せるはずがなかった。
『そんで、えっとー、何するんだっけ!』
『十四松兄さん、話はちゃんと聞いといてくれる!?』
『……最近、ここら辺に特にストームが多いから調べるんだよ』
『あ、そっかぁ!』
『もう! ちゃんとしてよね!』
文句を言いながら首に下げていたヘッドホンを耳に装着したトド松は、目の前に手のひらを滑らせて小さな画面を表示させた。そこに映ったこのフィールドの地図には、三人の他に何組かのアバターが訪れていることを示す白い点が光っている。一松と十四松はそれをちらりと覗き込んでから、ヘッドホンを装着した。これは、現実世界との通信を行うためのもので、まだ何も音は聞こえてこない。
三人は、電脳空間の監視をしているデカパン博士の元で働いている。ストームと呼ばれる量子データの歪みを見付けて正すこと、そして電脳空間で良からぬことを行うアバターを排除すること。今回はストームを正すように依頼されたが、未だに発生源を正確には予測できないため、ただ運任せで予兆を待つしかない。
『やぁっぱり、いると思ったんだよなぁ』
三人の視界に不意に影が差し、軽薄な、そして彼らが嫌というほど聞き慣れた声が浴びせられた。慌てた三人が揃って飛び退く中、トド松は愕然とする他なかった。
何せ、トド松の展開していた地図は、どんなアバターでも正確に表示するという博士のお墨付きだ。新たにエリアに入って来たアバターですらも例外はない。筈だった。だというのに、闖入者のアバターを地図は表示しなかったのだ。
『何だよ冷てえの。お兄ちゃん悲しくって泣いちゃう!』
ふざけたような物言いで大袈裟に手で顔を覆って見せた彼は、赤いラインの入った一松たちと同じパーカーを身につけている。アバター体だとしても、あまりにも馴染み深いその姿は、何度見たところで一松たちを動揺させるには余りある力を持っていた。
『何の用なの……おそ松兄さん』
『やだなぁいちまっちゃん、分かってンだろ? ストームを消されちゃ困るんだって、何度も言ってんじゃん』
十四松とトド松を守るように一歩だけ前に進み出た一松の問いに、おそ松は肩を竦めながら答えを返す。ストームはアバター体どころか実際の肉体にまで悪影響だと知っていながら、おそ松は一松たちの行為を是としたがらない。それだからこそ、一松たちはおそ松から離れたというのに、おそ松は己の行いを改めるつもりはないようだった。
辺りの空気は張り詰め、一松たちはおそ松から視線を外せない。おそ松は一人だけで、数で見れば一松たちが優勢だが、それでもおそ松は兄弟の中でもアバター同士の戦いに抜群のセンスを持っている。何より、ストームを消すことにも力を割かなければならない一松たちと、その邪魔をするおそ松では注げる意識も違う。警戒をどれだけしたところで、相討ちがせいぜいだったことばかりだ。
『ストームのヤバさは兄さんも知ってるでしょ、何でボクらの邪魔すんの?』
『だからぁ、ヤバいのは知ってるけどさぁ、ストーム消されんのは困るんだって言ってんじゃん』
『カラ松にーさんのカタキなのに?』
『カタキ、仇ねぇ。なるほどそう来たかぁ』
おそ松は笑みを崩さない。今に至るきっかけであるカラ松のことに触れられてなお、おそ松は笑みを浮かべていた。辺りの草は風に揺れて、月も星も天に留まり続けて四人を眺めている。トド松の開いていたマップ上にはもう、彼らしか存在しなかった。そして、おそ松を示す印はいつのまにかマップ上に浮かんでいる。トド松はそれに気付く余裕がなかったが、覗き込んでいた一松は目敏く気が付いた。そして、新たな印が浮かび上がってきたことにも。
『おそ松兄さん、帰るよ』
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