デッドライン・チェイサー 序章

松/パラレル/長男が生き別れた兄弟を迎えに行く話の序章

【ROUTE0:元軍属、松野おそ松】
 平穏な日常が続いて行くのだと誰もが信じて疑わなかったある日、突然辺りを襲った轟音と振動。大人ですらも思わずしゃがみ込むほどの強い揺れと共に、爆音が鳴り響いた。果たして何が何だか分からないが、辺りが危険であることを察し、我先にと行く先も曖昧なまま駆け出す沢山の人々に揉まれて行く中で、固く繋いでいた筈の小さな手は、一つまた一つと、次々と離れていった。そうしてとうとう、両親と繋いでいた筈の手すらも。
 逆らうことも出来ない人々の波に流されるように辿り着いたその先で、少年は、少年達は、一人きりだった。誰の行く先も知らないまま、己がどこにいるのかも分からないまま離れ離れになったのは、生まれて始めてだった。生まれる前から共にいた六人の少年達は、そうして圧倒的な戦火によって、無理矢理に分かたれてしまったのだ。
 そこからただ必死に生き繋いでいたのは、分かたれた存在を探す為でもあった。両親を探す為でもあった。
 幼い頃の思い出の、その続きの為に。



 上層部から何度も重ねられていた慰留を振り切って、松野おそ松は十数年間も過ごしたレッドバロウの中心都市にある国軍本部を後にした。隣国アカツカで生まれ、そこで起きた内紛によって一家は散り散りになり、幼いながらも一人でどうにかこの軍事国家レッドバロウに辿り着いたという経歴を持った難民の子供でしかなかったおそ松が、その国軍の陸軍大佐にまで上り詰めたのが異例の事態であった。おそ松を保護した男が、レッドバロウ国軍、しかも空軍トップの地位を持つ男だったというのもあったかもしれないが、それでも異国の難民が成り上がるというのは、血縁や経歴を重んじるきらいのある国軍においてはやはり異例中の異例。それに加えて慰留までされたのだ。おそ松はその有用性を認められていたも同然だった。
 それもひとえに、おそ松の決意の強さによるものだ。そして、今回の除隊についてもまた。
 十数年前にアカツカで起きた内紛は、数年後、今から数えて十年前に終戦を迎えて、国の情勢はすっかり新体制に変わっている。おそ松が知る、生まれ故郷の今の状況はそんな大雑把なものだ。陸軍大佐という地位ではあったが、おそ松は他国の情勢を簡単にしか把握していない。情勢自体、おそ松にとってさほど重要ではないのだ。むしろ最重要だったものは、おそ松の家族についてだ。
 内紛の混乱によって散り散りになってしまったおそ松の家族は、両親と、そしておそ松を含めた六人の兄弟だ。その中でも特に、おそ松は兄弟に対する思い入れが誰よりも強い。何せ、同じ年、同じ日に六人揃って生まれたという、世にも珍しい六つ子。離散してしまうまで、いつでも六人で一緒だった。そんな家族とまた再び共に暮らしたい。その一心で、おそ松は地位を上げた。そうすれば、レッドバロウの国民の情報が手に入り、あわよくば他国の人間の情報まで手に入れることができると、まだ子供だったおそ松は考えたのだ。ましてや一卵性で瓜二つどころか瓜六つの六つ子。おそ松と同じ顔をした者が何処かにいれば、己の顔が国軍に広まっていれば、いつかきっと分かるに違いないと。
 事実、おそ松は他に同じ顔の存在がいることを突き止めていた。レッドバロウとは敵対する国にも、同じ顔がいるらしい。おそ松にとってそれは瑣末なことだ。どこに兄弟が居ようと構わなかった。おそ松はレッドバロウ国軍に入隊することを決めた頃から、いつかは除隊し、出来れば故郷に拠点を作り、兄弟達を迎えに行くつもりでいたのだから。そうして、六人揃って両親も迎えて、いつかの続きのように家族全員で楽しく暮らしていきたい。それが、おそ松がずっと夢見た、どんな名誉や地位よりも欲した唯一無二の望みだ。
 レッドバロウの中心都市に聳え立つ国軍本部。赤褐色の煉瓦を幾つも積み上げて作られたその四角い建物を、門番として立つ憲兵が目に涙を浮かべながら最敬礼で見送る様を、立ち去るおそ松が感傷に満ちて振り返ることは決してなかった。これまでに得た名誉も地位も、何もかもをおそ松はそこへ置いて来た。軍服どころではない。戦果を挙げて手に入れた勲章やメダル、立派な盾も軍属であったことを示すものの、なにもかもだ。手元には、除隊の直前にマルシェで買った、赤煉瓦の色をした小さなボストンバッグが一つだけ。中身は当面の着替えや、昔から持っていた物くらい。着ている服だって同じようにマルシェで買った、やはり赤煉瓦色のTシャツに黒のカーディガン、藍染のズボン、それにスニーカーというなんとも身軽なものだった。
 おそ松が打てる限りの布石は、外れても構わないと何だって打った。それでもおそ松は、兄弟の全ての行方を知るには至らない。しかしそれを悲観などしていなかった。少しずつ兄弟が集まればきっと新しい情報もあるだろう。きっと新しい知恵が産まれるだろう。昔、幼い頃、おそ松の知る兄弟は間違いなくそうだった。だから今もそうに違いない。おそ松は、愚直なまでにそう信じていた。
「待ってろよ愚弟ども、お兄ちゃんが迎えに行ってやるからな」
 そうして、おそ松は当面の資金と少しの荷物だけを持って、大雑把なアテだけを頼りに兄弟たちを迎えに行くのだ。



 レッドバロウには石炭で走る蒸気機関車が整備されている。その中心都市のターミナル駅は、いつも人や活気で溢れ返っている。国の外れから中心都市にまでやって来る人々の他、大陸の内陸部にあるこの国は、隣国の幾つかと友好的、或いは経済的な交流をしているため、諸外国の観光客も中心都市には多くやって来る。鉄道でレッドバロウへやってくる者がまず降り立つとも言われているのが、ターミナル駅だ。その、石を積んで造られたドーム型の高い天井を持つ塔が、都市のシンボルとして住民たちに親しまれている。駅舎の中は、国軍本部と同じように煉瓦を用いて造られていて、レッドバロウの中心都市は人々に赤煉瓦のイメージを強く植え付けた。
 そのターミナル駅に溢れる人々の合間を縫って、おそ松は駅の建物の中へと入って行く。切符売場には行列が出来ていておそ松は顔を顰めたが、それでもその列の最後尾に並んだ。ゆっくりと進んで行く列の中で、おそ松はレッドバロウへ辿り着いた頃のことを思い出していた。おそ松は、レッドバロウとアカツカの国境を越え、同じく逃げ延びた人々に流されるように機関車に乗ってこの中心都市へとやって来たのだ。思い返せば、それは無賃乗車であったが、幸いにも罰せられることはなかった。
 そうしているうちに順番がやって来て、おそ松はかつて己が乗って来た駅までの切符を買った。その金額は子供の頃であったならば到底出せない。そもそも当時、おそ松は訳も分からぬうちに着の身着のまま、何も持たずに逃げて来た。きっと自身を引き取った男が後で支払ったのだろう。懐かしさに思わず目を細めたおそ松のことを、駅員は特に訝しむこともなく切符を手渡した。改札を通ると、丁度よく目的地まで向かう蒸気機関車が黒い煙をもうもうと流しながらホームへと入ってくる。これ幸いとばかりに近くの扉から客車へと乗り込むと、空いていたボックス席の窓際を陣取った。
 程なくして汽笛を鳴らして出発した機関車は、段々とスピードを上げて走り出して行く。ぼんやりと車窓を眺めながら、煉瓦造りの建物がひしめき合う中心都市から、農村地帯へと入っていく様を眺める。
 そうしてぼうっとしているおそ松の脳裏に浮かぶのはいつも、平和だったかつてのアカツカだ。目の前を流れて行く車窓の景色のように、草の生い茂る農地も散見された、アカツカでは一般的だった木造の家が並び立つ住宅地。おそ松は弟達と、毎日のように飽きる事なく、日が暮れるまで辺りを駆け回って過ごしていた。
 空き地のボウボウと生えた草を結んで、罠を作った。引っかかる者はいなかったが、誰かが掛かるかもしれないと、兄弟揃って近くの茂みにコソコソと潜んでいた瞬間は、確かに楽しかった。
 ボールを投げ合っていたら、近所の家の硝子を割ってしまい、兄弟揃って逃げ出した。結局は全員が取っ捕まって大目玉を食らったが、次は気を付けるようにと言われながら渡された六人分のお菓子は、とても美味しかった。
 いわゆる悪ガキと呼ばれていたが、ヘマをしなければ辺りの人々は優しかった。そうして散々遊んで家に帰れば、両親が出迎えてくれた。それは紛れもなく、幸福であった。兄弟揃って毎日、飽きもせずに遊んでいられた過去はキラキラと輝いて、確かに幸いを詰め込んだような宝石であった。
 おそ松は、ただその宝石を再び手中に収めたいと願う。かつて戦火に巻かれた彼が、手段としてだとしても、その戦火を生み出す軍に属して地位を上げた程に。

 突然肩を小突かれて我に返ったおそ松は、切符の確認ですと告げる車掌の言葉に慌てて切符を差し出した。どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。窓の外は田畑や牧場の緑が広がっていて、どうやらまだ目的の駅には着いていないようだった。車輌にいた客の大半はもう何処かで降りてしまったらしく、おそ松の乗っている客車はがらんとしていた。ターミナル駅にいた頃には天頂にあった太陽が、幾らか傾いて車窓から日差しを送っている。おそ松はボストンバッグから水筒を取り出すと、水を煽った。眠っているうちに散々渇いていたらしい喉が、待ち望んだ潤いを喜んでいるのが分かるほどだった。
 車掌は既に隣の車両へと姿を消した。煙を立てて走る機関車は、とうとう車窓にアカツカとの国境でもあるフジオ連山を捉えようとしている。通商条約を締結した際に、その連山の一つに越境トンネルを共同で作ったことを、アカツカの人々も、そしてレッドバロウの人々も知っている。アカツカの内紛の際にレッドバロウへと逃げ延びた人々は、おそ松を含めて殆どがそのトンネルになだれ込んでいったのだ。そのトンネルを腹に通した黒々と岩肌を晒す連山の峰には、もううっすらと白い雪が被る。
 野生動物を避けるためにか、時折大きく汽笛を鳴らす汽車は、そんな山の麓の終着駅、おそ松の目指す地まで続く線路を走っていく。心地良い揺れの中で、おそ松は牧場らしき柵の中を悠然と歩く牛の群れが遠くを流れて行くのを、何とは無しに眺めていた。



 そんなおそ松の目的地に、一人の男が一足早く足を運んでいた。荷物を沢山詰め込んでいるのか、この辺りで採れる葉を使って染めた布で出来た登山用のリュックを背負い、若草色のワイシャツと、その裾を入れ込んだ厚い布地の黒いズボンを履き、シャツと同じ色のスニーカー姿だ。右手に地図を持ったその人物を見た軍人の何人かは、慌てて姿勢を正したものの、その軍属ではない服装に気付いて敬礼まではしなかった。
 男はそれを一瞥し、少しの間考え込んで、それからヒラヒラと手を振ると、そのまま砂利道をスタスタと歩いて行ってしまった。
「除隊するって噂は本当だったんだな」
「でも、松野大佐ってあんなキッチリしたお方だったか?」
 軍人の中に、そんな会話をしている者がいるとも思わずに。