正しく殻だった。硬く閉ざされて羽化にすら至らなかった癖に、その実、一度でも大きな力が加われば、一面に皹が走るような。そして砕けた破片は、きっとその内側にある柔い自分自身を酷く傷付けてしまうのだろう。砕いた相手は、言わずもがな。
石田三成は、死んだ。世の認識では確かに死んだ。だが、極々一部、特に三成が統治していた佐和山の城下町に限って言えば、三成は生きている。天下統一まで目前の徳川家康に味方する各地の将の誰一人として、佐和山に攻め入ることもなければ、佐和山城への入城をも認められていないのも理由の一つだ。それでも事実、三成は秀吉を討った家康との戦いで確かに敗戦していたものだから、民草達の間では三成はその戦いで死したと言われている。そして、佐和山は家康の統治下にある地の中でも人の出入りは殊更厳しい場所だとも。
実際、佐和山の城下町に限れば、確かに庶民がおいそれと立ち入り難くなったのだから、全くの事実無根ではない。三成の左腕とも称されるようになっていた島左近は、ふらふらと城下町を歩いて様子を観察していた。一見すれば、何の変哲もないいつもの佐和山城下。三成と、そしてその部下達の尽力により、彼個人や軍としての対外的な評価からは想像もつかない程の良い政がなされていた。内側の人々に対し、三成は厳しくもあったが、悪事さえ働かなければ優しくもあったなど、佐和山に暮らす者にはあまりにも当たり前。最も、三成の原動力はあくまでも彼が仕えていた豊臣秀吉の為でしかなかったが。それでも、民にとっては確かに住みやすい地だったのだ。左近は時折飛び付いて来る子供たちを撫で回したり、にこにこと声をかけて来る大人たちと雑談したりしながら、変わらぬ佐和山の城下町をぐるりと歩き、笑みを浮かべる。
「三成様が"戻る"まで、佐和山は俺らが守らねえとな」
佐和山城の奥、立ち入れる者の限られた寝所に三成はいた。蒲団に横たわるだけの彼は死んでいる訳ではないが、生きているとも言い難い。固く閉ざされた瞼は、家康との戦いの直後からもう何も映していなかった。一見すれば屍か、はたまた精巧な人形かとも思える三成だが、静かな呼吸が聞き取れるので、彼は確かに生きているのだと、三成に仕える者達は確信している。しかし、どんな状況で三成がこうして佐和山に戻って来たのかは、左近ともう一人、三成の智として、無二の友として働く大谷吉継のみで、二人は頑として語らない。それでも必死に三成を担いで本陣へと戻ってきた彼らを見てしまえば、何も問えるはずがない。
一度敗戦したとて、三成の信を裏切った家康を討ち果たすという目標は誰一人として翻さない。だからこそ、家臣達は三成が『戻って』来るまで、彼が豊臣から賜り統治するこの地を変わらずに守り通すだけだ。家康の、他軍の侵略を許さず、特に城下町は厳しく目を光らせ、ひたすら不変を貫く。三成の部下達は正しく、彼を守る為の鋭い刺を持った殻。三成を守る為ならば命を散らすことも厭わない、凶王の鎧であり、刀。詳しい事態を知らぬ佐和山城下の民達は、さながら殻の内部で三成を優しく包む羊水だ、不変という安寧に、三成を浸す。
吉継と左近は知っていた。『凶王と呼ばれた石田三成』が死んだことを。三成の内側に潜む強固な殻は、他でもない家康の手により打ち砕かれたことを。羽化に至らぬまま柔く脆い実態が、砕かれた殻の破片で深く傷付いたことを。薄暗い寝所で静かに横たわる三成の傍に控えながら、二人は無言だった。家康も気付いていた事は癪に障るが、それでももう羽化することもない死体と化した凶王としての三成を、吉継と左近は黄泉から引き戻したかった。だから二人は、佐和山を利用して新たに殻を作り上げた。家康が何を望んで攻め入らないかは忍を放てども分からなかったが、好都合だ。凶王が黄泉返る迄には殻もさらに強固になるだろう。
それは正しく、凶王を捕らえる檻だった。
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