茉神 汐
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異端審問 治賀の話

創作/東京異端審問/自キャラの話

「親父が行方不明?」
 駒居 治賀の声に、水原 新次は調査資料を纏めていた手を思わず止めた。仕事中に携帯電話を触っている治賀を、新次が見たのは、これが初めてだ。そもそも、治賀の口から家族の存在を表す言葉が出ることも。新次は、治賀と仕事の上司部下という枠組みよりは親しいが、彼が多くを語ることはないため、その実、彼のことは良く分からない。
 神妙な顔で二言、三言発した後、治賀は通話を切り、何も重大な問題などないかのように仕事を再開した。その仕事が果たして何なのかすらも分からない新次に、お父さんが大変なのか、と聞くのは憚られる。結局、それから二人は、何もなかったように仕事をこなしていた。

 それから二日後、治賀は新次の実地調査に付き合っていた。と言えば聞こえは良いが、新次は七割方、宛もなくうろついていた。手伝ってよ、と新次だけが呼ぶ「チカちゃん」というあだ名と共に言われ、文句を言いながらも付き合う治賀は、お人好しだ。研究課の幹部なのだからもっとこう、威厳を出せばなどと言われていることを、彼は知らない。
 治賀がちらりと視線を動かせば、新次は、数日前に異能者が能力を暴走させて起きた事件の現場を見ていた。異能に関しては国が直々に情報統制をしていて、ここで発生した事件も、新聞では辛うじて小さな記事で飛び降り自殺か、と報道されてそれきりだった。実際はもっと凄惨なものだったが、治賀とて研究課に開示された情報でしか知らない。
 喉が渇いたため、コンビニに行こうかと治賀が新次に声を掛けようと口を開こうとした瞬間。
「漸く見つけたぞ、治賀」
 己に呼び掛けてきた声に、治賀の背には冷や汗が浮かんだ。それでも、新次の手前、取り乱すわけにはいかないと、治賀はゆっくりと振り返る。
「今さら何の用事だ、クソ親父」
 視線の先には、記憶の中よりも随分と老け込んだ、父親の姿。にたりと笑うその男の顔を見ても、治賀は笑う余裕もなかった。絶縁にも近い、接触を絶っていた相手が目の前に現れたことに、治賀は動揺している。行方不明という親族からの連絡にも動かなかった内心が、いざ対面してみればあっさりと不安定になった。老け込んだ父親は思っていたより小さい、なんていうドラマの話は嘘だ。治賀は、尚も恐ろしさすら感じる父親の姿に、平静を装えていたのかすらも分からない。往来を行く人々は、治賀たちなど気にもとめていない。
 視線をちらりと横に向ければ、事態に気付いたらしい新次が気遣わしげな表情をして、傍らに近付いていた。当事者以外の第三者である新次の存在に、治賀の頭は多少なりとも冷静さを取り戻していく。スラックスのポケットに入れていた携帯電話の存在を思い出すと、父親に視線を向けながらも手探りで取り出して操作を始めた。
「母さんは元気か?」
「とっくに死んだ、本題は何だ」
 伴侶だった人の死すらも知らない父親、それだけ彼から治賀たちは離れていたのだ。わざわざ積もる話をするような親子関係ではないことなど、治賀の警戒心を剥き出しにした表情や、会話から新次ですら汲み取れる。新次は知らない世界だった。親兄弟は今も健在で、世間並みには仲の良い家族だ。きっとそれは、治賀の知らない世界に違いない。
 割って入り、治賀をあの男から引き離すべきか、新次は逡巡した。男は人の良さそうな笑みを浮かべているようにも見えるが、目は笑っていない。新次から見ても、あの男は危険だと思うほど。
「母さんもいないなら一緒に暮らそう、なあ治賀」
「どうせ金だろ。お前みたいなクソ親父となんて願い下げだ」
「反省しているよ、お前や母さんには酷いことをしたと思っている」
「あんたは何回、母さんや俺にそう言ってきた。そして裏切ってきた」
 治賀は父親の言葉を拒絶し続けた。そして、片手に握り締めていた携帯電話を新次のいる方へそっと差し出した。視線が父親に向いたままの治賀の意図を汲んだ新次は、そのストラップもついていない彼の携帯電話へ手を伸ばした。
 ほんの一瞬、治賀の手の中から携帯電話が消え去ったような錯覚。新次は治賀へと目を向けるが、父親と対峙している彼はどうやら気付いていないようだ。視線を戻せば、そこには先ほどの事などまさに錯覚だったとでも言いたげに、携帯電話がある。まさか、と思いながらも、今はそれを切り出す時ではないと判断した新次は、治賀の携帯電話を受け取り画面を見ると、駆け出した。
 治賀と父親の会話は全くの平行線のまま、治賀の頭の中の一部だけが冷静にカウントダウンを始めている。かつてもこうして数を数えるだけで体は動きもしなかった。ただ離れていっただけで、その身に染み付いた感覚は薄れたわけではなかったのだ。きっとそれは、父親も同じだと、冷や汗が垂れるままに治賀は考えていた。
「治賀、あまりわがままを言うんじゃない」
 頭の中でカウントしていた数字がゼロになると、治賀の予想通りの言葉が父親の口から吐かれた。彼の中でも、治賀はまだ小さな子供のままのように。そうして父親の手が、古びたジャケットの胸ポケットへ伸びていく。喉はからからに渇いていき、治賀の目はじっと父親の手を追う。この流れがどういう結果になるのか、治賀は痛いほど分かっているのに、足は縫い付けられたかのように動かない。
 父親が取り出したのは、カッターナイフだった。
 ゆっくり、カチカチと刃を出していく音に、思わず息を呑んだ治賀は、とにかく逃げなければとようやく体にまで指示が飛んだ。恥も外聞もなく往来の無関心な人々に助けを求められたら、どれだけ良かったかという考えを押しやり、治賀は踵を返して逃げ出した。もう父親から身を挺して守ってくれる者はいない。威圧的に名を呼ぶ父親の声に息が詰まるが、それでも治賀はとにかく人目を避けるように走った。

 新次は、治賀の携帯電話に書かれていた通りの番号へ電話をかけていた。早く繋がれと、あの二人の尋常ではない表情や態度に感化されたように焦りを抱えながら。
「もしもし?」
 電話口に聞こえた声は、穏やかな中年らしき男性の声だった。治賀の指示によれば、伯父のようだ。
「えっと、チカちゃんの伯父さん?」
「チカちゃん?……ああ、君が治賀くんの言っていた子か」
「大変なんだ!チカちゃんが、チカちゃんのお父さんに会って!」
 治賀の伯父という人物に、新次はまず状況を告げた。合間の相槌が穏やかなままだったせいか、新次も次第に落ち着きを取り戻していった。二人が対峙した場所、新次が見ていたところまでの状況を聞き出した治賀の伯父は、電話の向こうで大きく一つ、頷く。
「治賀くんの父親に関しては、私から関係機関に話をつけておえく。君には、すまないが治賀くんを探しておいて貰いたい。見つけたら、彼から連絡するよう、伝えてくれ」
「わ、分かった!」
「治賀くんを、頼んだよ」
 はい、と返して通話を切った新次は、まずは戻ろうと決めて振り返った。

 治賀は息も上がる中、ひとけのない公園を見つけた。後ろを向けば、同じように息の上がった父親の姿が近付いてきている。時折カッターナイフの刃が反射する光が、治賀の視線を掠めていく。とにかく逃げなければと、治賀が駆け込んだ先は、公園に建っていたトイレの個室だった。
 袋小路だ、父親に直ぐ様見つかる、という所にまで思考が回らないほど、治賀の頭は混乱の極致。施錠し、息を整えながら、新次に手渡したことすらも忘れて、思わず携帯電話のありかを手で探ろうとした程だ。父親のものらしい足音が段々と近付いてくると、整えようとした呼吸が再び乱れていく。
 きっかけが何だったのか、治賀は忘れてしまったが、父親が刃物を手に、子供だった治賀を守るように間に入った母親を刺した場面が、脳裏に甦る。殺すまではいかなかったが、それをきっかけに両親は離婚した。痛烈なまでに浮かんだ記憶が、治賀の中で全く清算されずに眠り続けていたのだと主張する。
 結局、母親は父親のつけた幾多の傷を抱えたまま、治賀の成人を待つことなく死んだ。それすら知らず、わざわざ探し出そうとした父親が、今、治賀とただ一枚の扉を隔てた先にいる。
「治賀、そこにいるんだろう!出てきなさい!」
 怒声と共にガンガンと扉を叩く父親に、治賀の心臓はばくばくと脈打つままだ。恐怖に歪む治賀の表情は、平素では見られない。父親が怒っている、という現実が、もはや条件反射のように治賀に恐怖を植え付けていく。大声で反論することも、この状況を打開するために思考を働かせることも、今の治賀には出来そうもなかった。

 治賀は深い部分をひた隠しにするような人だ。彼を探して駆け回る新次は、意図して人目につきにくい路地裏を探し回っていた。相手が危険なら、大通りを逃げればよいものを、とは深夜の繁華街でよく遊んでいたことのある新次の考えだ。変なプライドだけはある、と評されたこともある治賀にとって、それは許されないことだったのだろう。
 新次の研究を治賀は知っているが、治賀の仕事や、研究をしているかどうかを新次は知らない。不便はないが、知らないことだらけだ、と新次は思いながら治賀の姿を探した。今回のことも、治賀は子細など語らないだろう。新次に不平不満はないし、別に治賀に全てを語って欲しいという願望もないが。ともかくも、治賀が見つからないことに焦りを感じている新次は、道端に転がっている缶を思いきり良く蹴り飛ばした。
「チカちゃん見つからねえの、ばーか」
 誰もいないからと、荒れていた頃の口調で悪態をついた結果かどうか、次の瞬間には、何もなかったはずの空間に、へたりこんだ治賀の姿があった。それが何を意味するのか、新次は痛いほどよくわかっている。空間を移動する、異能。治賀がそれを発現させたのだ。
 一瞬呆けた新次だったが、先ほど蹴り飛ばした空き缶がカランと音を立てて地面に落ちて、ハッと我に返った。治賀は端から見ても分かるほど、体を震えさせている。
「チカちゃん」
 いつものように呼び掛けても、治賀はいつものようには返してこない。
 先ほどまでの出来事、そして目の前の景色が変わったことに一番動揺していたのは、他でもない治賀自身だ。異能、と治賀は茫然と呟き、己の手を見た。何の変哲もない己の手だ。
「チカちゃん、チカちゃんの伯父さんが、連絡くれって」
 座り込んだままの治賀の傍にしゃがんだ新次は、彼の視界に携帯電話を突き出した。見慣れた物に、治賀がホッとしたように小さく息を吐いて手を伸ばす。
 そうして治賀が携帯電話を手にすると、また一瞬、それが消えた。
 治賀には、携帯電話を持っている感触が確かにあった。ただ、まるで携帯電話が透明になったかのように、姿を消したのだ。
「冗談だろ……
 掠れた声で呟いた治賀は、異能は自身に発現しないものだと思っていた。むしろ、そう思いたかった。治賀と新次の所属する研究課には、様々な思惑で研究や実験、調査を行う人々が、個々に経緯は違えども集まっている。全て異能という国家機密を知る者たちだが、異能について良い感情を持つ者や異能を持つ者だけでなく、憎む者も。
 治賀は最初、異能を憎む者だった。
 友達を傷付け、結果として彼を知らぬ地へ追いやった異能者を憎んだ。そして当時、異能捜査課にいた伯父の口から異能についてを聞いたことが、治賀が研究課に所属するきっかけだった。それから考えを改めはしたが、やはり友達を傷付けた異能者は憎らしいまま。
 だから、自身が異能を発現したことを俄には信じられなかった。研究や実験、暴走で無惨に命を落としていく異能者ばかりを沢山見ていた治賀は、どうしたって良い気分になれない。
「チカちゃん、ほら、連絡しなきゃ」
 ね、と笑う新次は、彼自身の異能についてどう思っているのか、治賀は知らない。特別に知る必要もないと、聞かずにいた。その程度の距離だからこそか、父親との再会、異能の発現と、立て続けに起きた出来事に触れるでもなく振る舞う新次の態度が、今の治賀にとってはありがたかった。
「そうだな、ジョン、悪い。」
「うん、やっぱりチカちゃんはチカちゃんだよ」
 愛称を久しぶりに呼ばれたような気がして、新次は笑った。

 結局、治賀の父親は警察に連行されたらしいが、治賀の伯父が全ての手続きを引き受けているため、治賀も詳しくは詮索していない。そして異能について、治賀は新次以外の誰にも、退職はしたものの元異捜にいた伯父にすら、明かしていない。父親が叩いていたトイレの個室は元々鍵が壊れており、無人のままだったという話になったのは、新次がそういうことにしようと考え、治賀の伯父に説明したからだった。