無窓居室
2023-09-29 22:21:34
2956文字
Public
 

プール

季節ものを書きたいと思っているうちに夏が終わってしまった。
👹(と😈)が車の運転してます。


 夏休みももうじき終わるというのにショッピングモールは人だかりだった。昼のピークをだいぶ過ぎていなければファーストフード店の席を取るのにも苦労したに違いない。幸か不幸かどこも混雑なので予定が後にずれ込んでいたのがここではちょうど良かった。

「ひめちゃん、食後にアイス食べない?ポキモンのコラボフレーバー今月までだよ!」
「う〜ん、正直ちょっと興味あるけど……アイスまで食べちゃったらカロリーオーバーかも」
「プールであれだけ泳いだんだから平気だって!!」

 食べ盛りの勢いのままハンバーガーとポテトフライを平らげ、その足で隣のアイスクリーム店へ向かうさとしとひめを、アカネは店のソファ席の固い背もたれに体を投げ出すようにして見送った。

「子どもは元気だよな
「さとしくんはただ浮き輪に乗って浮かんでただけだと思うんですけどねぇ」

 なぜ泳いだと思ってるのやら、とブラックが軽口を叩くと、アカネがふわりと珍しい笑い方をした。まるで夏の花が風に揺れるように頷く。肯定や賛同のようなはっきりした意図は感じられない。赤い花弁の上に残った夕立の雫に似た、いつも太陽の光を弾いている瞳が曖昧に揺らめき、まだ濡れていて上手く結べなかった長い髪が頬にかかっている。髪から夏の名残りとばかりの、かすかな塩素剤の匂いがした。


 ※※※


 夏休みの最後の週末、ブラックとさとし、アカネとひめは町内のプールへ遊びに来ていた。アカネはこれで運転が上手い。特に子どもを乗せているときは安全運転だが周りに合わせてスピードにも乗れるし、右左折や追い抜きの判断も的確だ。
 何より同乗者への気遣いがある。渋滞していても苛立つことなく窓から見える景色の話をしたり、学校で流行っている歌をさとしとひめから聞き出して流したり、話題のアニメの最新話をiPadのサブスクリプションで見せてくれたり。あのひめを着替えや浮き輪やビーチボールと一緒に軽自動車の後部座席に詰め込んで、文句の一つも言わせないのだから大したものだとブラックは顔には出さずに感心していた。
 プールに着いてからもアカネは偶然クラスの友達と会ったことに興奮して大人数でプールサイドを走り回るわ流れるプールを逆流するわのさとし達を怒鳴ったり、日焼けを気にするひめの体に日焼け止めを塗ったりと落ち着く暇がなかった。お節介気味の世話焼きは、たとえば古い学園漫画の風紀委員長に似て見える。
 ブラックものんびり人間観察にふけっていたところをアカネに水の中から追い立てられた。プール利用は入れ替え制になっており、時刻が迫っていたらしい。
 着替えを終えて更衣室の出入り口で合流したとき、こざっぱりとした装いのひめと、髪を結びもしないままのアカネを見て、ひめの身支度を手伝っていて時間が無くなったのだろうとすぐ分かった。毛先からはまだ雫が滴ってアカネのタンクトップに染み込んでいく。頑丈な鬼の体だから、それでも髪が傷んだり風邪を引いたりはしないのだろうけれど。
 一行はそのまま車で数分のショッピングモールへ向かい、しきりに空腹を訴えるさとしと、澄ましてはいるものの内心同じ気持ちだろうひめをハンバーガーショップに押し込んだ。


 ※※※
 

 ブラックの目の前に座るアカネの頬や唇はいつもより白く見える。それだけに案の定うつらうつらとし始めた瞳の、重そうな瞼から覗く赤が鮮やかだ。

「疲れてるでしょう、寒くありませんか?」
「ん……ちょっとだけ」

 窓の外は烈しい日差しだったが、アカネは着込んだパーカーのジッパーを珍しく胸まで上げていた。まだ湿り気を帯びたままの髪とそれを吸い込んだタンクトップが、強い冷房に晒されて体温を奪うのだろう。
 ブラックが追加注文したホットアップルパイを握らせると、気持ち良さそうにそれを懐に抱え込んで目を閉じてしまう。すかさず隣の席へすべり込んで体を支えていなければ、テーブルに顔をぶつけていたかもしれない。
 肩にもたれかかってくる寝顔はあどけなく、冷えた体は軽かった。出会った頃の無鉄砲で騒々しい小娘が、こんな風に他者を甲斐甲斐しく思いやる女性に成長するとは、意外なようで当時から予想できていたことのような気もする。プールでの活躍ぶりにも初対面のときの慌ただしさの面影があった。

「林檎を食べる前に眠ってしまうなんて、魔女も拍子抜けのお姫様ですね」

 力の抜けた手から滑り落ちた黄緑色のパイケースを持たせ直す。気取った台詞を囁いてみてもアカネが起きる気配は無い。

「小人さんに助けてもらう前に、食べられる側になってしまうかもしれませんよ……

 体温を分け与えるように体を寄せ、黒い指を見た目は細い首筋へと這わせる。追いかけ回されていた頃には厄介にも思ったが、今となってはもう少しくらい悪魔の手の上で弄ばれていてくれても良かったのにと思わなくもない。勝手なものだ。悪魔だから。
 何をする気もなく指先を鎖骨の窪みへ滑らせると、そこにはささやかな温もりが戻りつつあった。

「ねぇ、本当にアイスクリームじゃなくてホットココアでよかったの?」
「師匠はひめの髪を乾かすの手伝ってくれてて、自分は濡れたままだったのよ。風邪でも引いたら大変だわ」

 小人達が来たようだ。さとしに盛んに喋りかけられるのを少しうるさそうにしながら、ドリンクカップを大事そうに両手に持ったひめが戻って来る。ソファ席でアカネを抱き寄せているブラックを見ると気恥ずかしそうに足を止めた。

……お邪魔だったかしら?」
「もうちょっと向こうに居よっか、俺たちも二人っき」

 言い終わらないうちに足を踏まれたさとしを横目に、ブラックは首を振ってアカネから腕を解いた。優しく揺すると赤い目が開く。

「そろそろ行きましょう、お店もスナックタイムのお客さんで混み始める時間ですし……アカネさん、ひめちゃんが温かい飲み物を買ってきてくれましたよ」
「ん?おぉ、そっかぁ……

 つい先ほどまで自分がどんな状態で寝ていたかも知らず、アカネは呑気に口元へこぼれかけた寝涎をパーカーの袖で拭って伸びをした。花の風情もなにもあったものではない。しかしブラックは愉しげに目を細める。
 ひめはその様子をどこか遠い世界の出来事のように見た。お洒落な女の子用サンダルの下に、さとしの足を踏みながら。

「帰りはオレちゃんが運転しましょう。アカネさんは休んでてくれて良いですよ」
「えっ、大丈夫なの?」
「人間界の他車運転特約がついた保険に入ってます。それに、あの車には慣れてますから」
「さすがブラック、抜けが目ないな〜〜……悪魔としては、なんか変だけど

 戸惑うさとしの隣でひめは、アカネに丁寧な礼を言われながら頬を赤くしている。頻繁に車の運転を交代し合うような仲だと仄めかしたことに、気づいたのはどうやら一人きりらしい。
 ようやくさとしから足をどかしてもじもじとしているひめの横で、ブラックは皆の帰り支度を待ちながら冷めたアップルパイを齧った。窓の外の駐車場の片隅に、黒いルーフを光らせるサンセットオレンジの車体を見つめながら。


 2023/09/22