無窓居室
2023-08-29 23:31:07
5234文字
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Sweet Kiss Paranoia

フォロワーさんのお見舞いのために書いたものです。ブラアカでキスの話。

 唇が触れ合い、柔らかく押しつけられる。その感触に思考を奪われているうちに伸びてきた舌先にくすぐられ、口を開かされて侵入を許した。長い舌は甘えるようにアカネのそれへ擦り寄って、巧みに身をくねらせながら心地よさを与えてくる。絡め取られたアカネの舌が小さく慄くと、微かな水音と共に誘うような動きをされた。
 軽く吸われて促され、おそるおそる相手の口内へ舌を差し入れる。アカネを傷つけないように優しく開かれた歯列を割り、導かれる先へたどり着くと、そこはどこもかしこも濡れた粘膜でできていた。沼のようにどこまでも沈んでしまう舌の付け根も、滑りの良い丸い頬の内側も、少しざらざらした上顎も──。

 初めてのときから、いつもそうは変わらないキスのプロセス。けれどもアカネは毎回のように、舌と舌とが触れるたび目を見開く。アカネが年齢のわりに初心なことだけが理由ではない。

……わたあめ」
「ご名答」

 長いキスを味わい、唇を離されてから呟いた。比喩でなく甘い、甘い口づけ。舌のざらつきはザラメのよう、混じり合う唾液は溶けた綿のようで、舌の上で消えて無くなってしまう感覚までもが口の中に残っている。確かに感じた砂糖の香りは糸を引くように胸を満たして、口元を覆う手がべたつかないのが不思議なくらいだ。

「好きでしょう?わたあめ。次はかき氷にしましょうか」

 夏ですから、とブラックは笑う。昨日はりんご飴でその前はカルメ焼きだった。
 高位の悪魔であるブラックは、自分の体温や体液、肉体の組成までもを自由に変化させることができる。キスの味や温度を変えることなど赤ん坊の手をひねるようなものなのだろう。必ずアカネの欲しいものをキスに乗せて寄越してくる。
 汗ばむ昼の日中にはアイスキャンディーのように冷たいソーダ味。熱いお風呂から上がった後はよく冷えたフルーツ牛乳。冷房が効きすぎていると呟いたときには熱いホットチョコレート。
 初めてのときから、それはレモネードの味をしていた。ブラックが、初めてのキスはレモンの味がするという話を本気で信じていたアカネに合わせてそうしたのだ。

 この能力を、もしかするともっと極端な力を、契約相手を操るために使ったりしたこともあったのだろうかと考えそうになり、アカネは頭を振った。わたあめは屋台が出れば必ず買うほどの好物だし、キスはとても気持ちが良かったのに、甘ったるい後味が気分を重くしていく。

「一々こんなことしなくていいよ」

 得意そうなブラックの顔から目を逸らしてアカネは呟いた。抗議のような言い方になってしまうのを止めることができなかった。

「おや、糖質制限ですか?」
「またそうやってからかう、馬鹿にしてんのか」

 甲高い自分の声を耳障りだと思う。鼻の奥が痛んで目が熱くなるのが分かった。

「前にも言ったろ、優しくしてるつもりかもしれないけど、はぐらかされてるみたいで苦しいんだよ。アタシはいつも本気なのに、アンタばっかり余裕でさ。アタシがどれだけ頑張ったって、何でもお見通しって顔をして、追いつけないところでニヤニヤするばっかりで……!!」


 俯いて言葉を切った。アカネが密かに抱き続けてきた想いを、拾い上げてくれたのはブラック自身だった。
 まるで何気ないことのように、
〝オレちゃんのことが好きなんですか?〟
 と言われたとき、アカネの方こそはぐらかそうとしたのだ。友人関係やライバルであることを理由に、曖昧なままにしようとするアカネにブラックは尋ねた。
〝そこに恋人という関係が加わったら、喜んでくれますか?〟
 問いかけは甘かった。ブラックの声も、物腰も。何よりアカネが頷くことを半ば確信しているような表情がとても幸せそうに見えたので、ほとんど何も考えられないままにアカネは首を縦に揺らしていた。夢のようだった。

 ブラックは親切な恋人だった。本心を読ませない人を食った態度は相変わらずだったが、動画の方向性に迷っていれば押し付けがましくない程度の助言をし、どう撮れば良いの分からない絵があれば青鬼ちゃんも交えて丁寧に撮影方法をレクチャーしてくれた。デートプランはいつもアカネの好みに合わせたもので、途中でアカネが少しでも疲れたり、空腹を覚えることがあれば完璧なタイミングで雰囲気の良いカフェやレストランへ案内してくれる。
 〝ここをこんな感じで撮りたいんですよね?〟
 〝疲れてるでしょう?〟
 〝お腹が空きましたよね?〟
 そんな口調には聞き憶えがあった。質問しているようで、ブラックは既に答えを知っている。告白を引き出されたときの、あの物言いだ。
 ブラックを疑ったことはない。好かれていないと思ったこともない。アカネがブラックを幸せにできているか分からないことが不安だった。あのとき、幸福そうに微笑んでいたブラックが期待したものが自分の中に無いだろうことが寂しい。自分には女子力も、ブラックに匹敵できるほどのYouTuberとしての知識もない。悪魔にとって重要らしい欲望さえ、手に取るように悟られてしまう。

「なんで、アタシなんかと付き合ったんだよ……

 情けなく鼻にかかった声を絞り出す。アカネの様子を見ていたブラックはおかしそうに笑った。

「だってアカネさん、何も知らないんですから。初めてのキスがレモン味だと思っているひとが本当にいるなんて。お望み通りにしてあげたのに、何が気に入らないんです?」

 楽しげな口調には嘲りに似た響きが混じっていた。寂しくて、悔しくて、アカネの目から堪えていた涙が落ちる。ブラックは笑みを深くした。

「知ってます?口の中には病原体が多いんです。10秒のディープキスで数千万の細菌が交換されるという研究もあるそうですよ。ま、人間同士での話ですが。人間でそれなら悪魔のキスはもっと凄まじいだろうとは思いません?唾液がひどい腐臭を放っていたら?粘膜が猛毒だったら?」

 笑うと鋭くなる細めた目と、湾曲を強める口がアカネを見下ろす。

「恋愛なんて甘いばかりじゃないことも、どうせ知らないでしょう。おままごとがお似合いです。可愛いアナタには

 アカネは目元を拭いた。涙は相変わらず溢れ続けたが、ブラックの調子づき方がどうやら機嫌を損ねたときのそれだったので、アカネの方は却って冷静になりはじめた。

「望みを叶えて欲しくないなら、アナタこそなぜオレちゃんなんか好きになったんです?悪魔に真実なんてありません。ただ相手の欲望に適うものあてがうだけの存在です。〝本当の〟キスの味が知りたいなら、他をあたることですね」

 ブラックが内心は好きでもない自分と恋人ごっこをしているなどと考えたことはない。自信からではなく、アカネの単純な頭ではそんなことをする理由が思いつかないからだ。女らしさの無い自分相手では撮れ高にもならないだろうし。なら、好きな人の前で急に不機嫌になるということは、きっとブラックも不安で寂しいのだろうとアカネは思う。自分と同じように。
 もう不機嫌さを隠そうともせず、形ばかり上がっている唇を無理やり奪ってやろうかという発想がよぎったが、相手がこれまで一度もそんな真似をしなかったことを思うとフェアではない気がした。

……アタシじゃなくて、ブラックはどうなんだ?一緒に本当を探すより、ままごとをしてる方が幸せか?ブラックが幸せならアタシはそれでいい。でも、そんな風には見えないんだよ」

 頬を涙に濡らしたまま、真っ直ぐに見据えて告げる。悪魔は苦笑した。

「反則ですよ」
「アンタがちゃんと受けて立たないからだろ」

 ブラックはアカネの視線から逃れるように、どこともない方へ目をやった。やがて言葉を探すような素振りで続ける。

「オレちゃんの体には本当の部分が無いんです。大抵のことが出来る代わりに本来の姿は無い、とでもいいますか……キスにも味をつけることは出来ても〝本物〟の味なんてありません。無味無臭にすることならできますけど
「えっ、じゃあ本当にかき氷と同じじゃん!」
「カカカッ!そこですか!!」

 アカネの素朴な疑問に返された笑い声は、今度こそ屈託のないものだった。

「心も同じです。いずれ見抜かれて飽きられると思ってましたし、アカネさんが飽きないならオレちゃんも遊びの範囲で楽しませてもらうつもりでした」
「それでせっついて告白させたんだね、遊びじゃ済まなくなったら楽しめないもんな」
「アカネさんにしては鋭いじゃないですか。でも」

 ブラックが自分を見る目が優しいと思う。その奥にある寂しさを隠されなくなったことがアカネを安心させた。
 
「初めてキスしたとき、あんな安っぽい誤魔化しに本気で驚いてくれる頭のわ……純真なアカネさんを見たら、どうしても手離したくなくなってしまって」
「いま何か言い直したよな!?悪魔が純真とか言わなくていいよ!怖いから!!」
「アナタに気に入られようと小手先を弄するたびに苦しくて、でも反応してもらえるのが幸せで……寂しい思いをさせていると知ってもやめられませんでした。やめようが無かったんですけどね。オレちゃんの裏側、バレてしまいましたね」

 手品のタネを暴露した奇術師のようにお手上げのポーズをして見せるブラックの表情は、いつものニヤニヤとしたものに戻ってしまっている。だからこそ吐露したのは本音なのだろうと思えた。
 少しの間の後でアカネが口を開いた。

「なぁ、前に教えてくれただろ?屋台のかき氷の味って実はみんな同じで、着色料と香料を変えてるだけなんだって。でも食べてるときは本当にイチゴやメロンやハワイの味がするし、すごく美味しいって思う……頭が悪いせいかな?でもアタシはそう思うんだよな」
「純真なんですよ」
「やめろって!エンタメってそういうもんじゃないか?その場かぎりの楽しさかもしれないけど、楽しんだ人の中では本物になるだろ?……責めたりしてごめん。ブラックがアタシにくれたキスの味、嬉しかったよ。誤魔化しだって言うなら、それごとブラックらしくてさ」
「アカネさん

 小さな瞳が視線の持って行き場を失っていた。アカネは微笑みながら、今度は逃がさないように正面からブラックを見上げる。ついでに相手の腰へ両腕を回して掴まえてしまった。腕力でなら負けるつもりはない。

「でも、たまにはアタシのためじゃなくてブラックがしたいキスをして欲しいな」

 何だかんだといって、アカネもブラックに甘えることに慣れていない訳ではなかった。犬歯を見せる笑顔を向けて求めれば、たとえば意地悪や皮肉という形であっても、ブラックは必ず応えてくれる。自惚れではなく、悪魔とはそういう生き物だと知っていた。

「もしそれが猛毒でも受け止めて見せるからさ。でも鬼をどうにかできる毒を体に仕込んどくなんて大変だぞ?真剣勝負だ、なーんて」

 ブラックが珍しく動揺した様子で体を捩るが、鬼の両腕に捉えられていてはびくともしない。やがて観念したように口元を掌で覆う。アカネの初めて見る仕草だと思った。

「今は、心の準備が……

 耳の先と、黒い指の間から覗く頬が心なしか赤く見えた。これも初めてのことだ。頼りなく彷徨おうとしては動けずにいる眼差しの向こうで、ブラックはかき氷のシロップを選ぶ子どものように、どんなキスをしようか迷っているのだろうか?
 アカネの喉がぐっと鳴る。

「何だよ、アタシなんかよりアンタの方が可愛、い、ぃ……!?」

 不意うちに顎を掬われ、唇を合わされる。互いの温もりを感じるだけで離れていく、啄むようなキスを二、三度繰り返してから悪魔は顔を覗き込んできた。丸い目がいかにも愉しそうな楕円形に歪む。一体なにが起きたのか、アカネが理解したのは全てが終わってからだった。

「──な、ななな、なッ……
「どーでした?」
「い、い、いきなり過ぎだろ!!」
「強引なのはお互い様では。で、味はお気に召しました?」
「そんなもん分かるか!この悪魔ーー!!」

 顔中を真っ赤にして掴み掛かろうとするアカネをかわしてブラックは高笑いを上げる。黒い背中を夢中で追いかけながら、アカネは初めてのキスの後にもこんなやり取りがあったことを思い出していた。振り返ったブラックの表情が、そのときと重なる。


〝すごい!本当にレモンの味がするんだ!?それにレモンよりも甘いよ!!キスってこんなに素敵な味がするんだな!〟
……
〝あ、でもブラックは初めてじゃないよね。二回目以降のキスは何の味がするんだろ?ねぇ、ブラックはアタシとのキス、どう感じた?〟
〝幸せの味ですかね〟
〝なっ……か、からかってんのかーー!!〟


  2023/08/29