さちこ/Sharia
2023-12-16 14:50:14
12532文字
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帝国兵器が絆されるまで

暁月/非ヒカセン軸

他種族にとって、40年という月日は長いらしい。
ぼうっとする意識の中、女は座り込んだまま透き通るような空を見上げる。ぴんと立った左耳が1回、ぴると動いた。
その40年をただただ無駄にした己はどうすればいいのだろう。
大地に突き立てた二本の剣から滴る赤い水がじわりと地面に染み込む。そんなことも気にせず、ただ、ぼうっと女は空を見上げていた。

「ねぇ、君」

ふと、女の長い耳に年若い、穏やかな少年の声が届く。
立ち上がる気力もない彼女はそのまま上半身だけぐるりと振り返り、声の主を淀んだ瞳に捉える。

「あぁ、よかった。意識はあるんだね」

そうほっとしたように笑うのは、空に浮かぶ雲のような銀髪に、くりっとした青空のような瞳を持つ少年だ。
少年は汚れるのも厭わず女に近づき、その頬に飛んだ血を拭う。肌触りのいい黒の手袋に少しだけ鮮やかな赤が滲んだ。

「この景色は君が作ったのかい」

そう尋ねる少年に、女はこくりと頷いた。
いつも兵たちに通り殴られ蹴られ、大人しいのをいいことに好き勝手されていた。彼らが満足して眠った時、ふと視界の端にいつも使っている二本の剣と、今度作戦で使うと言っていた大きな鉄の塊が目に入った。

何かに惹かれるように、女は迷わずその鉄の塊に剣を突き立てた。
すると、美しい黒い光が周囲に溢れ、それに気づいた兵たちは女に襲いかかった。
しかし、女の両手にはいつもの剣が握られていた。女がバケモノと兵たちに揶揄される理由が、全て揃っていた。
気づけば兵たちは全員息もせず、血まみれですっ転んでいたのだ。

そう女が思い返しても、口に出さねば少年には伝わらない。しかし女は何も言わず、ただただ少年の青い瞳を見つめ返すだけ。
困った少年は眉尻を下げ、数秒悩んだ後、女にむかって手を差し伸べた。

「私たちと一緒に来ないかい。君もずっとここにいる訳にはいかないだろう」

数秒、ほんの数秒、女は迷った。上官の最後の司令はここから動くな、だったからだ。
しかし視界の端に倒れ伏し血を流す上官が映り、女は頭を振って、少年を見上げ、

「わんっ」
……わん???」

服従の意を示す返事を返すのだった。









「あの凶暴兎が、随分立派な番犬になったものだ」

永久焦土、ザ・バーン。その白い砂の上で、女────ロダは己の主人を守るようにぴたりとくっついていた。
その様子を見た元帝国軍将校は、珍しく苦虫を噛み潰したかのような表情で彼女を見つめ、そう呟く。

「ロダは有名だったのですか?」
……勝てる兵は上澄の一握り。指示には従うだけまだ扱いやすくはあったが、あの惨状を見るに……

我慢が効かなくなったな、とガイウスは光を宿さぬ紫の瞳を睨みつける。
ぴる、と左耳が一度回る。警戒している時の癖だ。一度だけでも己を超えたガイウスを警戒しているのだろう。アルフィノを守るように片方の剣を体の前へ出し、じいとガイウスを見つめている。
まったく、残りの二人には気を許しているというのに。これでは集中するのも難しい。

「大丈夫だよ、ロダ。彼は敵じゃない」
……ご主人の敵じゃなくても、わたしの敵」

けろりと悪気もなくそう告げるロダに、アルフィノは困ったなとため息をついた。ガイウスとはこれからも行動を共にするのだから、慣れてもらわねばならない。
ふと、じっとアルフィノを見つめていたロダがしゃがみ込み、己が主人の顔を微かに微笑んで覗く。

「大丈夫。ケンカ売られない限り、わたしも我慢する」
……じゃあ、その剣はしまうこと。いいね」

ア!とでも言いたげに顔を顰めた後、ロダはしぶしぶと両手に握った剣を鞘へと戻す。
そしてまた番犬のようにアルフィノの後ろへとぴったりくっつき、じいとガイウスを睨みつけた。

「まったく、やりづらい……

そう頭を抱えるガイウスに、アルフィノはハハハと乾いた笑いを送ることしかできないのだった。







ここ数日、アルフィノはロダを観察していて気づいたことがある。無表情かと思った彼女は、案外コロコロといろんな顔を見せてくれると言うことだ。
一番よく見るのは、戦闘中の昂った顔。敵を冷たく見下ろした後、アルフィノを安心させるような小さな微笑みも必ずセットで見ることができる。
揶揄った時には眉を顰め、ぶすっとする。あんまりやりすぎると怒って頬を伸ばしてくるから、程々でやめること。
好物らしいチョコレートケーキを見ると目を見開き、ぱぁっと雰囲気を明るくする。少しだけ頬も赤く染まって、キラキラと紫水晶の瞳がその時だけ光を映すのだ。

「ご主人」

出会った頃よりずいぶん柔らかくなった声が己を呼ぶ。
その呼び方を声に出す時、彼女はひどく幸せそうな顔をする。その理由は知らないが、アルフィノにとってその顔は常に気を張り続ける潜入中の癒しであることは間違いなかった。
何か“自分では無いもの”を、己の向こう側に見ていることだけは気に入らないが。

トテトテとひどく高いヒールで器用に走るロダはアルフィノの元へ辿り着くとそっとしゃがみ込み、その顔を覗き込む。

「終わったよ。もう大丈夫」
「あぁ、ありがとう……だが、まったく。また怪我をして」

出会った時のように手袋で彼女の頬についた血を拭う。どうやらこれは返り血らしく、赤色の下には古傷が残ってはいるが、ヴィナらしい青白くつるんとした肌が光を反射している。

「全部返り血。一般兵相手ならケガしないよ」
「じゃあこの傷はなんだい。ここも、ここも」

つん、と赤く染まったロダの横腹をつつけば、彼女はわずかに眉を顰める。少年は大きくため息をついてから魔導書を取り出し、応急処置を済ませた。

……ちょっと油断した。反省」

しゅん、と耳が平行に落ちる。同時に左耳についたドッグタグがちゃり、と音を鳴らし、月の光を受けて輝いた。
6836、と刻まれたそれはガイウスによれば実験番号らしい。光の戦士と同じ過去視の超える力を持つ彼女の心の傷は全てその“実験”でついたものだと言う。それならただでさえ忙しいその表情は、もっとコロコロと七変化するのだろう。もっと思い切り笑って、激しく怒るのだろう。

「ロダ」

アルフィノが治療を終えて本を閉じ、番犬の名を呼ぶ。
従順な彼女は耳をぴんと立て、光の映らない紫水晶を主人に向ける。忌まわしいドッグタグがまた音を立てた。

「ロダというのは、察するに苗字だろう。家の書物でヴィエラ族によくある姓だと読んだことがある」
……ちがうよ」

右耳が2回、ぴるぴると回った。
嘘だ。それは嘘をつく時の癖だ。
そう指摘すれば、“ロダ”は視線を逸らす。逃がすものかと少年は目の前の兎の頬をその手でするりと挟み、無理やり視線を合わせた。

「名前。そろそろ教えてくれないかい」
「う……や、やだ」
「何故?」

明確な拒否を見せ、瞳が明後日の方向へ向く。
あぁ、やはり表情豊かだ。問い詰めながら自分の口角がゆるり上がるのを感じて、アルフィノはあわてて己を諌めた。今は彼女を問い詰めているのだ、笑ってはいけない。

「だって、絶対教えたらそっちで呼ぶでしょ。もう何年も呼ばれてないから、咄嗟に反応できないかも」
「何回でも私が呼ぶ。嫌って言うくらいにね」

たらり、と血を含んだ汗が額から流れ落ちる。
早口で告げた表向きの理由もバッサリと切り捨てられ、女は見てわかるほどに狼狽える。

……わたしも忘れた」
「嘘だね。フフ、君の耳は本当に正直だ」
「家族も守れない臆病者の名は捨てたよ」
「君は臆病者なんかじゃないだろう。現にこんなに傷だらけになってまで私を守ってくれている」

血も気にせずに兎耳の生えた頭をぎゅうと抱きしめる少年に縋り付くことは、“ロダ”のプライドが許さなかった。
だって、今縋り付いてしまっては、臆病者に逆戻りしてしまう。失うのが怖くなってしまう。
彼に死んだ弟を重ねているのはもう認める。だからこそ、彼は守るべきものであって、縋り付く人ではない。
ひどく浅い呼吸を繰り返し、初めて女はどんと持てる力の全てで少年を突き飛ばした。

「シャリアはもう死んだの!!お願いだから掘り返さないでよ!!」

衝動でそう叫ぶ。雪でぬかるんだ大地に尻餅をついた少年を見て、ようやくハッと混乱から目を覚まし、自身の手を諌めるようにきつく、きつく、骨が折れるほどに握りしめた。
“シャリア・ロダ”は40年前のあの日に家族と共に死んだ。得意の弓だって捨てて、ずっと双剣を握ってきた。
あぁ、もう守るべき人を傷つけないと誓ったのに。己が撃った矢が誤って弟を殺した、あの日から。

「それが、君の名か」

しかし、少年は赤く染まった服の裾も気にせずに、再び立ち上がり、膝を大地につける女の頬にそっと手を添え、上を向かせる。
雪雲越しの太陽の光が、紫水晶をきらりと輝かせる。涙が瞳に満ち、瞬きするたびに血を含みながら流れ、黒い手袋に吸い取られていく。

「シャリア」
…………
「そんなに握りしめては跡になってしまうよ」

しなやかな手がするりと女の豆だらけな掌を撫でる。
不意に呼ばれた懐かしい名に、くしゃりと顔が歪む。最後に呼ばれたのはいつだっただろう。弟は姉ちゃん呼びだったから、母が死ぬ寸前だろうか。

「臆病者? 上等だ、私とて守られるばかりではないよ。 君が怯えているのならば、その分私が君を守ろう」

強き意思を持った蒼眼が、臆病者を捕える。
は、と小さく兎の口から空気が漏れ出た。

……あ、うぅ……

兵器ロダの皮が剥がれていく。ただのシャリアがどんどん表に出てくる。
また自分はこの少年に救われたというのか。分厚い鎧を剥がすように、いつの間にか心の内側に入ってきていた彼の手が好き勝手あちこち掻き乱す。

「ぐすっ……がきんちょの、くせにぃっ……!」
「が、ガキンチョ? まさか君、ずっとそう思ってたのかい!?」
「アルフィノのばかぁっ!!」
「馬鹿って……待ってくれ、今私の名前!!」

あぁ、でも。
それも悪くないと思ってしまった自分が、そこに居た。














「ん、目標達成」
「あぁ。黒薔薇……まさかこんなにあちこちに隠されているとは」

心なしかげんなりしたアルフィノに、女はチラリと視線を向ける。
背後には倒れ伏した帝国兵の体が山となって積み重なっており、帝国の新兵器である黒薔薇のコントロールパネルは大きくDELETEと表示され、順調に廃棄されていることを示している。

「もう、思ったより殺さないよう加減するのって大変ね」
「君が自分で決めたんだろう、もう人は殺さないって」
「それはそーだけど。はぁ、いっそ刃丸めちゃおうかしら」

コツコツと“一人分”の足が鉄板を叩く。
女は機嫌良さそうに鼻歌を美しく歌い上げ、くるりと一回転する。しかし相棒から抗議の声が上がり、ぶうと唇を尖らせた。

「今気分いーの。アルフィノだってこーゆーの嫌いじゃないでしょ?」
「シャリア……好き嫌い云々以前に、その。下ろしてくれないかい……

シャリアの腕の中で、アルフィノは耳まで真っ赤にして顔を覆う。所謂姫抱きと呼ばれる抱き方をさらりとやってのけている女は、眉間に皺を寄せ、こう返す。

「頭痛で倒れかけたの忘れた? 体調が万全になるまでこうするからね」
「抱かれるほどじゃないって言ってるだろう!? 頭痛だって今は収まっているんだから勘弁してくれ……!!」
「だぁめ。わたしが心配なの」

そう必死にぷんすか怒るアルフィノを宥めるように、シャリアはすりと頬を少年のふわふわな髪へ擦り付ける。それと同時に、さらにアルフィノの顔が真っ赤に爆発した。
彼女が“シャリア”に戻ってから、やたら愛情表現がストレートになった。平気で額にキスをするし、今みたいにすりすりと軽率に頬をくっつけてくる。光の戻った瞳で優しく微笑まれる度、少年の頭はショート寸前である。
すぐに自分を(物理的に)持ち上げるし、やたら過保護だし。否、過保護なのは“ロダ”時代からだったか。

「なんだかね、こうしてないとキミがどこかに行っちゃう気がして怖いの」
「どこかって、どこだい」
「わたしが聞きたいよ」

すん、と耳が垂れ下がる。
どことなく寂しそうに、女は腕の中の少年を見つめ、それから静かに瞼を伏せる。

「きみが頭痛に苦しむ度、ミストがどんどん外へ流れ出してる」
「ミスト……エーテルのことだったかな」
「そう。なんとなく流れもわかるんだけど、辿ろうとするといきなり途切れちゃうの」

そう言ってシャリアは、遙か上空の虚空を悔しそうに見つめる。アルフィノにはわからないが、きっとそこにミストの流れがあるのだろう。
少年を抱きしめる手を強め、番犬はひどく悲しそうにぽつりと呟いた。

「あのね、アルフィノ。おそらく今から、きみは倒れる」

ヴィエラが故にわかってしまう。
少年の体には、もうほとんどエーテルが残っていない。全部連れて行かれて、今残っているのは元の彼の3分の1。きっとそれも、次の頭痛で全てなくなるし、決まって彼が苦しみ始める時にあたりに漂う妙なミストだって既に周囲に満ち始めている。
こうして接触して必死に自分の有り余るミストを分け与えても、所詮は他人の魔力な上に、下手くそなシャリアのエーテル操作では応急処置程度にしかならない。

……ガイウス殿には」
「言ってない。そういうの、きみは嫌だろうし」
「当たりだ」

女はぎゅう、と少年を抱きしめた。
もうこれ以上漏れ出ぬように。安心させるように。大切に、大切に。
しかしその大切な少年の口からは無情な一言がこぼれ落ちる。

「私が倒れたら、エオルゼアへ連れ帰ってほしい」
……そう言うと思った」
「ふふ、そんな顔しなくても大丈夫さ。きっと帰ってきてみせる」

ずっと一緒にいたいのに。そんな我儘を押し込めて、シャリアは物分かりのいい忠犬を演じた。
段々周囲のエーテルが濃くなり、女は顔を顰めた。彼を連れて行ってしまうのだから酷い匂いだと振り切ってしまいたいのに、暖かく眠たくなるような、そんな優しい匂いが、ミストから香ったから。

「っぐ……あぁっ……!!」

あぁ、このミストなら安心できる。
そう思ってしまったことが、彼の相棒として恥だった。
ひとしきり苦しんだ後、静かに眠ったアルフィノをもう一度しかと抱き上げ、女は帰路を急ぐ。
ここからエオルゼア……いや、自分たちが立ち入れるのはドマとザ・バーンの間までだろうか。とにかく、そこまでの足を手に入れなくてはならない。

(ごめんね、アルフィノ……大好きだよ)

同じ施設で別行動をするガイウスの元へ向かうべく、女のバレエブーツは再び鉄板を重々しく叩き始めるのだった。









兵器としての自覚が薄れれば薄れるほど、過去に殺した人々への罪悪感が募って行く。
アルフィノを運ぶ船の中、珍しく彼から離れて俯いていたシャリアは、ひとり重苦しくそんなことを考えていた。
最近、よく悪夢を見るようになった。ありがちな、なぜ殺したと人々が糾弾してくる夢。……それだけならまだいい。
何が酷いって、その隣で無表情のアルフィノが冷たく己を見下ろしているのだ。隣で呻く死者の呪言よりもそれがずっと恐ろしい。
目を覚ましても、少年はただ眠るだけ。だんだんとあの柔らかい微笑みが冷徹の表情に変わっていく。頼むから、早く目を覚まして笑ってくれ……そう何度願ったことか。

「そろそろドマだ。別れはしっかりとしておけ」
……わかってる」

操縦席から静かに告げるガイウスに、シャリアはぶっきらぼうに返事した。
そっと少年の頭に手を添え、柔らかい銀髪を撫ぜる。
別れといっても何をすればいいのだろう。さようならと言っても、どうせ君には届かないのに。

(……ッ!?)

ふと手がぬるりと滑る。何事だと自分の手を見ても、普通の白い一般的なヴィナ・ヴィエラの手指だ。
しかし、今の感触は……まるで……

いやいや、と頭を振って嫌な考えを跳ね飛ばす。どうやら相当疲れているらしい。
そんなまさか、血の幻覚を見るなんて。しかもそれに……怯えるだなんて。

ふと、目の前で穏やかに眠る少年に視線を向ける。
長いまつ毛が伏せられ、その蒼穹の瞳は見えていない。僅かに胸が上下しているおかげで息はしているのがわかるが、それがなければまるで死体のようだ。

(……これ以上、触っちゃダメだ)

たとえ幻覚でも、彼に鮮血は似合わない。
まるでノイズのように現れたり消えたりする幻覚を振り解くように頭を振り、何も言わずに助手席へと再び座った。

「もうよいのか。二度と会えぬやもしれんぞ」
「いいの。夢が醒めただけだもの」
……もう貴様はロダではないだろう」
「わたしはロダだよ。それは捨てない」

横目でじいとシャリアを見つめた後、小さく「そうか」と言って、ガイウスはそのまま航空船をまっすぐ走らせた。
ロダという名は誇りだ。リリア・ロダの娘にして、スノウ・ロダの姉である証明だから。たとえそれが帝国兵器の名であっても、シャリアにとってロダとは家族との絆そのものであるから、絶対に捨てることはない。

だが、一つだけ捨てることにする。
アルフィノの忠犬・“ロダ”は、今日でおしまいだ。
こんなのが忠犬じゃあ彼が可哀想だ。いつ血遊びするかわからない女が、彼の近くにいるべきではない。
そんなくだらない決意を。

今、この場で、固めた。















「なぁ、よかったら暁に来ないか」

無精髭を生やし、腰に刀を携えた青年に捕まったのは、約束通りアルフィノをドマまで送り届けた時だった。
そんな青年の問いに、シャリアは正気かと返し、眉を顰める。

「アンタ、わたしが“ロダ”ってわかってる?」
「わかってるさ。アラミゴでやり合っただろ」
「ならどうして」
「あん時も勧誘しただろ。それに……

こいつが気を許したんだから。
そう言って青年は腕の中のアルフィノを軽々と小さく持ち上げた。

少しの間、相棒となった少年が暁の血盟に属していると知ったのは、つい先ほどのことだ。ガイウスから聞いて、初めて知ったのだ。
かの光の戦士────今目の前にいる青年とは、一度やり合ったことがある。黒薔薇作戦の直前、己の属する隊はアラミゴの警備に回され、シャリアもアラミゴ王宮を警備……というか、侵入者撃退の任を任されていたからだ。

あの時は格闘技を用いていたが、かなり強かったのを覚えている。自分が唯一、一度も勝てなかったあの皇子に迫るほどの……否、彼はアレを超えたのだったか。
つまり、要するに。彼は明確に“ロダ”の格上である。
そんな彼は、アルフィノを抱え、真っ直ぐにその瞳をシャリアへと向ける。

「で、どうなんだ? 来るのか?」
……行かない。何がどうひっくり返ろうと、わたしは人殺しだもの。きみたちみたいな清廉潔白な組織には似合わない」
「俺だって何人も帝国兵を殺しているけど」
「きみは英雄だ。それだけで免罪符になる」

わたしには免罪符はないからね、と彼女は皮肉を言うように笑った。そして動きづらいだろう靴で器用にくるりと踵を返し、手をヒラヒラ舞わせ、ガイウスの待つ飛行船の方へと去っていく。
それをガシガシと頭を掻きながら見送る英雄の隣にアルフィノとそっくりな少女が並び、同じように彼女を見つめる。

「あーっくそ、また口説き損ねた」
「口説き損ねたって……口説けてすらないじゃない。サンクレッドが起きたら教えてもらったら?」
「サンクレッドのは恋愛系だろ。俺はあいつに暁に来てほしいの」

過去視の超える力を持つ、自分と同じ世界を見るもの。それが光の戦士にとっての“ロダ”だ。
最初に出会った時と比べてずいぶん変わったものだ。
まず、よく笑うようになった。あの時は眉を顰めることもなかったし、気まずそうに視線を逸らすことだってなかったのだ。
相変わらず年上キラーだな、と腕の中の少年を見つめる。青年だって彼にたらし込まれた一人なのだから、その威力は身をもって知っている。

……あら?」
「ん、どうしたアリゼー」

さて、自分たちも帰るかと踵を返した時、ひらりとアルフィノの懐から一枚の真っ白な封筒が舞い落ちる。
気づいた少女────アリゼーが拾い上げ、中身を改める。双子だからか全く躊躇がなかった。
しばらくじぃと紙を眺めた後、少女は天を仰いでから、呆れたように大きくため息をついた。

……あの人、アルフィノが帰ってきても無事でいられるかしら……

そう言って青年に中の手紙と、一枚の写真を差し出す。
彼女とアルフィノが森の中で幸せそうに笑い合っている写真だった。 “ロダ”がアルフィノを抱き上げ、満面の笑みで少年の柔らかい銀髪に頬を擦り付けている。アルフィノもくすぐったそうに微笑み、そっと手を彼女の首に添えていた。
そこだけ見れば、ただの仲睦まじい思い出だ。しかし問題は手紙の方だった。

────どうか、きみの手で燃やしてください。

あぁ、こりゃ怒るぞ。
光の戦士はアリゼーを真似るように空を見上げ、紫髪のウサギの身を案じるのだった。
















「おたく、まだ森の声聞こえてんのか」

黒髪のヴィエラの青年────エレンヴィルは驚いたようにそう尋ねた。
オールドシャーレアン、ラストスタンド。帝国が滅んだ後、世界中をゆっくり旅して回っていたシャリアは、たまたま旅先で出会ったエレンヴィルに連れられ、この地で昼食を共にしていた。

「うん。本当にうっすらだけどね」
「俺は生まれつきカケラも聞こえないぞ……出て40年だろ、どんだけ森に愛されてたんだ」
「さぁ、どうだろうね。シャトナとヴィエラじゃ元々の生活も違うだろうし。まぁここ数年あちこち回ってて気づいたのは割と森ごとに性格が違うってことかな」
「森に性格があるなんて知りたくなかった……

ヤケクソになってハンバーガーに齧り付いたエレンヴィルを見てケラケラ笑い、シャリアはごくりとコーヒーを飲み込んだ。

例えば黒衣森。あそこは酷く厳格な様子で、ゴルモア密林と似たような雰囲気を持っていた。角仙が聞くという森の声は彼の言葉を精霊たちが媒介しているものだろう。
高地ラノシアのオークウッドはそれと比べればずっと軽薄で、それでいて老いた者特有の豪快さがあった。かの女神リムレーンの神使であるサラオスの亡骸の影響だろうか。

「わたしね、今すっごく楽しいの。森から出て碌なことがなかったのに 、今じゃこんなに自由なんだもの」
「そうだな、素材が欲しいからって双剣構えてモルボルの群れに突っ込んでくのなんておたくみたいな自由人くらいだろうさ」

指についたケチャップを舐め、エレンヴィルはそうぼやく。なんてったって依頼で頼まれたからと魔獣の群れに突っ込んでいくような人間に振り回されたのだ。ある時はシャリアが討ち漏らしたボムが真横で爆発し、ある時は巨大クァールの獲物として定められヘイトを買い……ここ数週間碌な目に遭わなかった。

「それは悪かったって言ってるでしょ〜? それだって冒険者の安い給料で奢ってあげたのに」
「別に俺は奢ってほしいなんて一言も言ってないけどな」

ごっそさんと告げ、青年はトレーをもって立ち上がる。カフェイン補給を終えたらしいシャリアも身軽にカップだけを持って立ち、二人揃ってラストスタンドの返却口へと並び歩いて行った。

「まぁ、また魔物の素材が欲しいとかだったら呼んでよ。エレンなら格安で雇われてあげる」
……アンタは最終手段だ」
「え〜っ!? どーして!? 一騎当千の元帝国兵器よ!?」
「そこだよ、そ・こ! 自分が元帝国兵器であることを自慢するな、こんのバカヴィナ!」
「あ〜っ!今バカって言ったわね、このガングロシャトナっ!!いいわ、表に出なさいっ!」

珍しいヴィエラの男女コンビの、シャーレアンではさらに珍しい拳が出るタイプの喧嘩がおっぱじまろうとしていた。
しかし、ずんずんと港の方向へ向かっていく二人に声をかける人間が一人。

「エレンヴィルに……“ロダ”!? えっなんだこの組み合わせ」
「なんだ、英雄殿か」
「アンタも混ざる?」
「いや混ざらないけど。なんで平然とグリーナーと帝国兵器が並んでるんだよ」

どうやら今日は職人として働いていたらしい青年……光の戦士が激しく突っ込む。
今すぐファイティングしそうな勢いだったウサギたちは顔を見合わせ、首を傾げ、同じタイミングで告げる。

「「同族だから」」
……そういえばお前ら二人ともヴィエラだったな」
「出身地は違うけどね」

この数秒で疲弊したのか項垂れる青年に、シャリアはケラケラと笑い、エレンヴィルは困ったように微笑む。もうすっかりケンカのことは頭から抜けているらしい。
頭上でぴこぴこ動く4本の耳を眺めながら、光の戦士は「まぁちょっとそこで話そうぜ」とラストスタンドを指差す。

「さっきこいつの奢りで賢人バーガー食ったとこだ」
「わたしはコーヒー」
「なぁんかさっきから上手くいかねぇな? 俺がなんか食いてぇから付き合えウサギども」

そう言って先ほどまでバチバチと敵意を激らせていたヴィエラたちの腕を引き、サンドイッチを一つ頼み受け取ると4人がけの机にどんと座り、大きく口を開けてガブリと噛み付いた。
仕方がないのでカフェインを追加摂取することにしたシャリアと、面倒だからと軽いオレンジジュースを持ってきたエレンヴィルも席につく。

「色々言いたいことはあるが、まず“ロダ”! 」
「街の名前はシャリアだからそっちで呼んでちょーだい」
「んぐっ……シャリア!! 今までどこ行ってたんだよ。アルフィノが必死こいて探してたぞ」

ぴく、とコーヒーを持ち上げた手が震え、耳がぴんと立って左耳についたドッグタグがチャリと音を鳴らす。
紫水晶の瞳がじと、と光の戦士を睨みつけ、形のいい眉がぎゅうと寄せられる。ありありと全力で不機嫌を表す様に、エレンヴィルが驚き咽せた。

「どこに行ってたかって……ただ単に世界中を飛び回ってただけよ」

それに、と女は続ける。

「アルフィノにはもう会わないって決めてるの」
……アイツ写真燃やしてないぞ」
「そこまで予想済みよ。ご主人は優しいから、きっと燃やしてくれないってわかってた」

わたしの手元にないことが重要だったの。
少しだけ寂しそうに瞼を伏せ、静かにコーヒーを飲み込む。潜入中、唯一二人で撮った写真。乗り気でなかったシャリアもセウェラに背を押され、ヴァルドランに撮ってもらったものだ。
航空船から降りる時、そっと彼の懐に忍ばせた。ヘタクソな字を頑張ってできるだけ綺麗に書いて。

それを持っていたら、また夢を見てしまう気がしたから、燃やしてくれと頼んだのだ。

しかし若干センチメンタルに入りかけているシャリアに追い打ちをかけるように、エレンヴィルが勢いよく立ち上がって叫んだ。

「おたく本気か!? そんなとんでもねぇエーテル曝け出してるくせに!?」
「えっ何??わたしのミストなんかおかしい??」

先ほどまでの不機嫌オーラが消え失せきょとんと紫水晶を見開くシャリアに、エレンヴィルは頭を抱えた。無自覚にも程があるとは思う。
何も把握できていない光の戦士はあわあわと慌て、咄嗟に質問を投げ返す。

「ど、どんなエーテルしてるんだ……?」

その問いにエレンヴィルは大いに唸った。伝えるべきか、否か。この朴念仁バカヴィナにわからせてやった方がきっと世間常識的には良いのだろう。

だが。

……馬に蹴られたくは……ねえなぁ……
「えぇっ!?ちょっと気になるじゃない!!」
「そうだそうだ、教えろぉ!」

なぜか一緒になって拳を突き上げ教えろコールしてくる英雄に一度ゲンコツを落とし、腕を組んで唸った。
だって、これは、あまりにも。 周囲の事情を知るヴィエラたちをまとめて悶絶させるようなエーテルの気配にエレンヴィルはげんなりする。
そして同族の肩へと手を置き、

「シャリア」
「なに……?怖……
「強く生きろよ」
「えっ何それ……そんな発情期の里か死地に送るみたいな」
「里も死地も今からおたくが行くところも似たようなもんだ」

なぁ?と青年はシャリアの“後ろ”へ声をかける。

「あぁ、まぁ。彼女にとってはそうだろうね」

つられてブリキのような動きでぎぎぎと体を背後へひねるシャリアの視界に広がるのは、白と青の布地と銀色の装飾が施された、彼らしい色合いの衣装。
確か、賢者の規定衣装だったか。よく彼のサイズがあったものだと心の隅っこで感心する。

そのまま少し視線を上に上げれば、変わらず穏やかな微笑みを浮かべる、愛しい主人の顔があった。

「あ、あ、ある……
「ん? ふふ、愛称はまだ気が早いんじゃないかな」

する、と比較的小さな子供の手がシャリアの頬を撫でる。
まずい。本能で危機を察したウサギは慌ててガタガタゴットンと大暴れして立ち上がり、港へと走り出した。

「おっと」「うぐぇっ」

しかしそれも光の戦士の屈強な腕によって遮られた。先ほどまで彫金用のハンマーを振るっていた腕だ、格が違う。全力で文字通り脱兎の走りを披露していたせいでとんでもない勢いの圧力が鳩尾に入り、あっさりと元帝国兵器は沈黙した。
そこにあくまでも微笑みを絶やさないアルフィノがゆっくりと優雅に近づいてゆき、ぎゅうとリードを握るように手首を締め付ける。

「ありがとう、ヒロシ。おかげで捕まえられた」
「いや俺はただ海に飛び込まれちゃ困るなぁって……

この後釣りだからさ、と後頭部を掻く彼にそれでもと礼を伝え、エレンヴィルの方へと向き直る。

「じゃあ、彼女は借りて行くよ」
……程々にしてやってくれ」
「それは……この子次第かな。少なくとも、もうリードは離さないよ」

いまだに鳩尾をさすり呻くシャリアの手を引き、真っ直ぐに自身の実家へと向かうアルフィノ。
それ見送り、男二人は顔を見合わせた。顎で二人を指し示す光の戦士に、エレンヴィルは肩をすくめる。

「弟分の雄顔なんか見たくなかった……
……御愁傷様だ」







翌日、心配になってルヴェユール邸へと顔を出した光の戦士が見たのは、物凄い勢いで年下のアメリアンスに可愛がられる二日酔いのシャリアと、それを微笑ましそうに見守るルヴェユール一家の姿だった。