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吾妻
2022-10-17 01:34:09
12330文字
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GOD EATER
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長い夜
うちのこの過去話をちょいちょい加筆修正しました
1.
――
死ぬ覚悟は、できているか?
背後で頑丈な扉が大きな音を立てて閉まったとき、そう問われた気がした。
もう後戻りはできない。
履き慣れないブーツの底が、鋼鉄の床を踏む。乾いた音が、ただっ広い部屋の、高い天井に跳ね返った。
《ようこそ、極東支部へ》
スピーカーから男の声が降ってきた。
静かで深く、それでいて高揚を滲ませている。
部屋の高い位置に窓があった。声の主はそこからこの部屋を観察しているのだろうけれど、ここからは、誰がいるのかうかがい知ることはできない。
歩くたびに、真新しい服が肌に擦れる。この服を手渡してくれたフェンリルの職員は、これが神機使いの「制服」だと言った。
一歩一歩、確かめるように部屋の中央へ足を進めながら、いつのまにか笑っていた。
制服。わたしが?
らしくない。
《これから君には、神を喰らうもの
――
ゴッドイーターの適合試験を受けてもらう》
また、男の声がした。
改めて言われなくても、ちゃんとわかっている。
わたしはそのために、ここに来たのだから。
部屋の中央には、見たこともない機械が置かれていた。
まっすぐ機械の前まで行って、台座のくぼみに腕を乗せる。やることは、それだけ。
シンプルだ。悩む必要もないし、拒む気もない。
恐怖は感じていなかった。ただ、頭上から降り注ぐ、強烈な照明が鬱陶しかった。
影も作らぬほど、真っ白で容赦がない。そんな光、浴び慣れていないから戸惑う。
今まで歩いてきた道のりを、わたしの狡さや醜さを、全部暴き出されてしまう気がした。
機械には、一本の剣が取りつけられていた。
神機。人類の天敵、アラガミに対抗しうる、唯一の兵器。
間近で見るのは初めてだ。神機使いたちは、わたしの暮らす地区にはあまりやってこなかった。
詳しい仕組みは知らないが、この神機とやらは、相性が良くないと使えないらしい。
だから、フェンリルは血眼で、神機を扱える人間を探している。出自や来歴、性格や賢さは関係ない。ただ、体質が合っているかどうか。それだけ。
――
拒絶されたら、その神機ってやつに喰われちまうらしいぜ。
生体兵器だと聞いていたけれど、そこに置かれている剣に生きものの気配は感じられなかった。
けれど、台座のくぼみに腕を乗せ、剣の柄を握った瞬間、歪に埋め込まれたオレンジ色の球体が光った、ような気がした。
神機に選ばれなければ、喰われて死ぬ。
たとえ選ばれたとしても、この試験を終えたとき、既にわたしは人間ではなくなっている。
台座全体に電力が行き渡るのがわかった。
ストッパーがはずれ、上方に持ち上がった蓋のような部位が、勢いよく降ってきた。
幼い頃寓話で読んだ斬首台のごとく、容赦なく、いまのわたしを殺すのだろう。
そうだ。
わたしはここに、死ににきたのだ。
2.
崩れた天井の向こう側には、やけに綺麗な月が浮かんでいた。
廃墟の床に転がって、甘ったるく高い嬌声をしぼり出す。
体温は本能にしたがって上昇するのに、意識はどんどんと冴えていく。
コンクリートに剥き出しの背中が擦れて痛かった。
ほら、と上に乗った男が言う。得意げに、下卑た笑いと共に。滑稽で、吹き出してしまいそうになった。
バカみたい。ただ乱暴に腰を振れば女はよがると思っているのかな。
鳴く演技なら、いくらでもできる。
たとえば、覆いかぶさる男の腰に脚を絡めて、おねだりをするフリ。
束の間の夢を見せてあげる。腰も砕けて、息も絶え絶えになって、それでも快楽を欲しがる
――
そんなばかで、下半身のユルい女がご所望なんでしょう?
ほら、望み通りにしてあげるから。
早く終わらせてよ。頭のなかを空っぽにして、無防備に脱力してしまえ。
やがて、男が低く呻いた。その目が光を失い、とろりと淀む。
ばーか。無理矢理に押さえこめば、女はみんな泣き寝入りするとでも? あんたの敗因は、服を脱がすことばかりに気を取られて、ブーツを脱がさなかったこと。
教えてあげる気なんて、ないけど。
快楽の余韻に浸っている男の腹を、下からブーツの底で思いっきり蹴り上げた。
無様に呻き、仰向けに転がる男のみぞおちに、体重を乗せた肘を叩き込む。
もしもこれで立ち上がるようなら、今度は剥き出しの急所を狙おうと思ったけれど、男はあっけなく弛緩した。
「
……
くっそ」
口の端が痛んで、思わず悪態をついてしまった。親指で押さえると、頬が腫れあがっているのがわかった。
殴られた拍子に切ったのだ。
男がすっかり意識を失っていることを確かめてから、あちこちに脱ぎ散らかされた服を漁った。巻き上げられた札束を取り返す。女を殴っていいようにした挙句、金まで盗ろうなんて欲張りにもほどがある。
大体は、大人しくやらせてやるほうが安全だ。命の危険でも感じない限り、反撃をしたりしない。だけど、さすがに今日は腹に据えかねた。
嫌なことも思い出した。
突然物陰に引っぱり込まれて、あっという間に引き倒された。
……
あの日みたいに。
慣れた道だと、油断していたこっちが悪い。この街では、すべてが自己責任だ。
用済みになった男の服を放り、今度は乱暴に引っぺがされた自分の黒いシャツを拾い上げる。ボタンはほとんどはじけ飛んでいるし、汚れてしまっているけれど、背に腹は代えられない。裸のまま歩くよりはマシだ。
シャツを羽織ろうとしたら、崩れた天井から差し込んできた月の光が、生白い胸元を照らした。
ふたつのふくらみの間の、醜く爛れた痕が照らし出される。
月の明るい夜は嫌いだ。
自分がどれだけ汚れているのか、はっきりと見えてしまう。
*
夜道は明るかった。
闇に慣れた目なら、このぐらいの光があれば十分だ。
今度はヘマをしないように、物陰に注意を払い、気配を殺して歩いた。
極東支部を取り巻く外部居住区のなかでも、ここは曰くつきの場所だ。
外壁に近く、アラガミの襲撃が絶えない。より安全な暮らしを求めるものは、ここを出て行き、逆にフェンリルの支配を拒むもの、脛に傷を持つものが集まるようになった。
それがこの掃き溜めだ。
幼い頃にアラガミの襲撃で両親と生き別れ、行くあてもないまま迷い込んだのが運の尽き。あっという間に路上でモノのように弄ばれて、そのあとは、想像されうるほとんどの仕打ちを受けた。
首輪や手枷をつけられて、飼われていたこともある。
他の場所のことなんて見たこともないから知らないが、この街は持っているものだけが生き残る。
金、力、知識。ただ息をしているだけでは、搾取されるばかりだ。
賢く、もしくは獰猛に立ちまわらなければ、喰いちぎられ、野垂れ死にする。
わたしはそのどれかを持っていたから生き延びることができた? 答えはノーだ。
女だから、生き残った。
それが時々、嫌で嫌でたまらなくなる。
わたしは
――
からっぽだ。武器にできるものも、誰かに差し出せるものも、持っていない。
金も知識も。現状を変えようとする勇気も、それを可能にする力も。ひとつだって。
出ていこうと思えばこんな街、いつだって出ていける。檻に閉じ込められているわけでもなければ、鎖でつながれてもいない。
それなのに、ここを出ていけないのは、わたしが臆病者だからだ。
いつでも他人の顔色を窺って、相手を出し抜く方法ばかりを考えている。
そんな弱さや醜さを、看破されるのは耐えられない。いくら容姿を褒めそやされたとしても、所詮皮いちまいの話だ。年を取れば劣化するし、既に散々踏みにじられている。誰が欲しがったりするものか。
わたしには、この掃き溜めがお似合いだ。奪われるばかりなのに、立ち上がって歩く度胸すらない。汚れた水に慣れたサカナは、きれいな水には棲めないんだという。
ならばわたしは、もうどこにも行けるはずがない。
足ががもつれた。段差のない場所でつまずいて、思わず笑ってしまった。
疲れ切っていて、眠かった。それから
――
空腹だった。
どれだけボロボロになっても、この体は一丁前に生きようとする。
不思議でたまらない。
わたしはどうして生きているのだろう?
だらしなく股を開くぐらいしか能がないくせに。
うなだれたら、伸ばしっぱなしの髪が覆いかぶさってきた。ひと目で女とわかる髪なんて、切ってしまったほうが安全だ。特にこの街では。邪魔でしかないはずなのに、ずるずると伸ばし続けてきた。
この髪を掴んでいいようにした男たちのためじゃない。もう顔も思い出せない両親が、ときに優しく撫で、くしけずって褒め、結わえてくれた記憶がかすかに残っているからだ。
彼らが生きて戻るなんて奇跡を望んだりはしないし、いまさら出会えたところで、きっとわたしだとはわからないだろう。
合理的じゃない。そんなこと、わたしが一番よくわかっている。
けれど、この心のなかには、割り切れないものがずっとわだかまっている。かなしさにも似ていて、むなしさのようでもある。的確に表す言葉を、わたしは知らない。
持ちものも尊厳も奪われてきたわたしに、残されているわずかなもの。過去と今とをむすぶ、妄執
――
かもしれない。
「
……
ばかみたい」
思わず声に出た。
考えたって無駄だ。
どんな望みを掘り起こしても、どんな願いに気がついても、叶える力も持たないくせに。
「診療所
……
」
近くに、顔なじみの闇医者が開いている診療所がある。そこで寝床を貸してもらおう。眠いから、変なことばかりを考えるのだ。
瓦礫を踏み越え、慣れた道に出た。そのとき。
悪寒が背を這い登り、足が動かなくなった。
一拍遅れて、耳障りなサイレンが鳴り出した。地響きが、崩れかけの建物を揺らす。
早く逃げろ、と頭のなかで冷静な誰かが促す。アナグラから秘密裏に横流しされてきたアラガミ装甲で守りを固めた地下。それがこの瓦礫の下に広がっている。
フェンリルの加護を拒んで生きる人々の知恵だ。いますぐ、そこに潜り込まなければ。
荒ぶる神が、近くにいる。
獣の咆哮が聞こえた。風に乗って、人々の悲鳴。ここからは遠い。
診療所はすぐそこだ。地下への入り口の場所もわかっている。なのに、体が思うように動かなかった。
体が鉛のように重い。さっきの男に殴られた場所が、今になって痛み出した。
でも、それだけではない。アラガミの襲撃をやり過ごしたことなら何度もある。だからこそ、ここまで生き延びてこられたのだ。
なのに、どうして体が動かないのか。
視線を感じる。見つかっているのだ
――
もう。
足元を照らす月の光が、一瞬何かに遮られた。遅れて、ごう、と風が渦を巻く。
とっさに縮めた体を地面に転がした。大きな影が、頭上を猛スピードでかすめる。
地面に映しだされた影は、子どもの頃に本で見た、翼を広げた大きな鳥に似ていた。
『シユウ』。たしか、そんな名前だった。
地面のすれすれを滑空し、少し離れた場所に着地したアラガミの、艶やかな翼のおもてが、月の光を跳ね返す。
それは、振り返り、まっすぐにこちらを見た。
餌だと認識している。他の誰でもなく、わたしを。
地下への入り口は、すぐ近くの建物のなかにある。
これだけ敵との距離が開いていれば、走れば間に合うかもしれない。
あれほど高速の滑空を目の当たりにしたくせに、どうしてそんな判断を下したのかはわからない。ただ、必死だった。緊張と恐怖で冷え、うまく動かない四肢で、なんとか立ち上がる。
数歩駆け出して、思い違いを後悔した。背後に膨れ上がった存在感。振り返るよりも早く、硬いなにかに横殴りにされ、驚くほどあっけなく、体が宙を舞った。
通りを挟んだ反対側の瓦礫に叩きつけられ、無様に地面にずり落ちる。
痛みよりも熱さを感じた。強打した背中を中心に、しびれが全身に広がる。
鉄の味が口の中に染みだして、吐きそうになった。
「う
……
、く
……
」
一瞬、意識が遠のいた。
頭を振ってなんとか顔を上げたが、立ち上がるよりも早く、バケモノの手がこの首を鷲掴みにし、高々と宙に吊り上げた。
「か
……
、はっ
……
」
体に力が入らない。腕も、足も、吊るされるまま揺れている。
アラガミに掴まれている首にすべての重みがかかって、息もうまくできない。
視界が霞む。
このままだと、死ぬかもしれない。
明確に、生々しく、死を意識した、その瞬間。
ふつふつと、腹の底から荒々しい熱が込み上げてきた。
体の内側から全身を焦がすような熱さだった。
(どれだけ小賢しく、必死に立ちまわってみたって
――
)
力を持たないものは、死ぬ。
この世界はそんなふうにできているんじゃないか!
泣き喚いても、どれほどあがいても、奪われて踏みにじられるばかりじゃないか。
心の奥底から込み上げた熱が、一気に膨らみ、爆発した。
それは、今まで覚えたことのないほどの激しい怒りだった。
ここで。
からっぽのまま。
死ぬのか。
何もかも奪われたまま、あっけなく、惨めに。
そんなの
――
「
……
ろ、す」
かすれた声が、喉から漏れた。
垂れ下がったままだった腕が、自然と持ち上がった。さっきまで指の一本さえ動かす力もなかったのに。身じろぎするだけで、体中に激痛が走ったのに。
何故か今は、痛みを感じなかった。
感じられるのはただ、胸のうちに宿る熱。荒々しい殺意の奔流。
獰猛な怒り、ただそれだけだった。
「
……
ぶっ殺して、やる
……
っ」
持ち上げた腕で、この首を締め上げるシユウの手にしがみつく。身のうちに荒ぶる怒りを込めて、強く、強く爪を立てた。
好き放題に世界を喰い荒らすアラガミも、わたしからすべてを奪った大人たちも、全部諦めて地べたを這いつくばるしかできないわたし自身も。
全部、全部、全部! 跡形もなく消し去ってやりたい!
死の間際に気づいたって、もう遅いのに。それでも、溢れ出す感情を止められない。
この手に力があれば、今すぐにでも全部壊してやれるのに。
どうしてわたしはこんなにも。
こんなにも、無力なのだろう。
シユウが、もう片方の腕を高く振り上げた。
あれが振り下ろされたとき、きっとわたしは死ぬんだろう。
命の終わりを感じながら、目の前にあるアラガミの顔をきつく睨みつけた。
目を逸らしてなどやるものか。
たとえここで、死ぬのだとしても
――
!
ザン、と空気が斬れる音がした。
横合いから振り下ろされた真っ黒な刃が、わたしの首を掴むシユウの腕を半ばからばっさりと斬り落とした。
「な
……
に
……
」
何が起こったのか、わからなかった。
支えを失った体がどさりと地面に落ちて、その瞬間、忘れていた痛みを思い出した。
「あ、
……
ぁっ
……
」
受け身も取れず、強かに打ち付けた背中から、全身に鋭い痛みが広がっていく。
天から降ってきた、月よりも明るい光が、視界を真っ白に焼き尽くす。
何も見えない。周囲の物音が、近づいたり遠のいたりしている。
かすかにプロペラ音が聞こえる。近くをヘリが飛んでいるのかもしれない。ならばこの光は、ヘリのサーチライト
……
。
目の前に身の丈ほどもある巨大な剣を担いだ影が覆い被さったところで、スイッチを落とすようにぷつりと、意識が途切れた。
3.
「フェンリルがこんな掃き溜めに神機使いを寄越すなんて、珍しいこともあるもんだ」
次に認識したのは、聞き覚えのある声だった。
棘を含んだ女の。
(イクさんの、声
……
)
アラガミ以外の恐怖を知らないまま、地獄にうっかり転がり落ちて、ボロボロになっていた幼いわたしに、手を差し伸べてくれたひとだった。
かつてはしっかりとした機関で働いていた医者だったらしい。おそらくフェンリルなのだと思う。そんな彼女がいま、どうしてこんな場所で闇医者をしているのか、理由を聞いたことはない。
互いの過去を詮索しない。それがこの街の数少ないルールのひとつだ。
「
……
第一部隊が、討伐任務の帰りだった」
今度は知らない男の声が応えた。
ゆめうつつを彷徨っていた意識が、少しずつ、浮上する。
硬いマットレスの感触を背に感じ取った。嗅ぎ慣れた薬品のにおいが続いた。
イクさんの診療所だ。生き残った、のだろうか。
「なるほど、偶然通りかかっただけ
……
ってわけか。どうせそんなことだろうと思ったよ。
……
で、フェンリルの人間が、これ以上ここに何の用があるっていうんだい」
「彼女の身元を確かめるため、救助時に遺伝子情報を支部に送った」
「
……
」
「記録上、彼女は既に死んでいることになっているな」
「ここではありふれていることだろう。行方不明になって数年経てば、自然と死亡扱いになる。フェンリルのデータ管理なんてそんなもんさ。いまさら、何を気にするって? きちんと遺伝子情報を登録しなおして、配給を受けろとでも?」
「検査の結果、神機との適合性がみとめられた」
どくん、と鼓動がひとつ跳ね、自然と目が開いた。
不健康な青白い電灯がへばりついた天井が見えた。
くすんだカーテンで仕切られたベッドの上にいた。イクさんと見知らぬ男の声は、そのうすい膜を隔てた向こう側から聞こえてくる。
「は
……
、神機
……
?」
イクさんがかすれた笑いを絞りだす。虚勢をはりきれずにいる。隠し切れない動揺に、声が揺れた。
「この子は、アラガミに両親を殺されて、フェンリルの捜索からも漏れて、こんなにボロボロになるまで全部奪われて
……
。そのうえで、命まで取ろうって!?」
「適合試験で命を落とす確率は、限りなく低い」
「
……
そんなことはわかってる。だがね、たとえ試験をパスしたところで、神機使いは大半がアラガミとやりあって死ぬじゃないか。そもそも、腕輪をはめた時点で、死んだと同じだろう? オラクル細胞を組み込まれたバケモノになるだけだ。二度と元に戻れやしない。そもそも、あんな怪我をして、試験に耐えられるかどうか」
神機使い。
神を喰らうもの。
わたしに、その資質があるというのだろうか?
ゴッドイーターの生存率は低い。イクさんのいうとおり、適合試験段階で命を落とすものだって、決してゼロじゃない。
死ぬのはいやだ。せっかくここまで地べたを這いずって生き延びたのに。
けれど同時に、からっぽの胸の内側に、ちいさな炎がともった。
神を屠る資格。逃げ惑うだけでなく、自ら天敵に立ち向かう、ちから。
右腕を持ち上げたら、全身に激痛が走った。悲鳴をこらえながら、青白い腕を顔の上にかざす。
この手首に腕輪をひとつ嵌めるだけで、二度と元には戻れなくなる。
アラガミと戦う力を手に入れ、同時に普通の人間として生きる余生を失う。
でも、今の自分に、どれほどの未練があるのだろう。
臆病で、卑怯で、同じ場所でうずくまることしかできないくせに、死ぬ勇気もない。
理不尽を強いる世界も、欲望のままに体や心を踏みにじってくる男どもも、嫌いだ。
でも、ずっと憎くてたまらなかったのは
――
きっと、自分自身だ。
「彼女が適合すると可能性がある神機は、世界でも未だ数機しか開発されていない、『新型神機』と呼ばれるものだ」
扉が開く音、ヒールが床を打つ音。そして、厳しさを感じさせる女の声。
「しん、がた
……
」
自分の唇から、かすれた声が漏れた。
ヒールの音が近づいてきて、ベッドの周囲をかこむカーテンが、勢い良く開け放たれた。
厳しい声の主が姿を現す。
艶のある濡羽色の髪が波うち、胸のあたりまでこぼれ落ちている。しっかりと化粧をした、美しい女の人だった。紅を入れた唇の下に、黒子がひとつ。
胸元が大きく開いたスーツを着ていたが、下品には見えなかった。彼女がまとう厳格な雰囲気がそうさせるのかもしれない。
「フェンリル極東支部所属、アマミヤだ」
カーテンを掴んだままの彼女の右手には、腕輪が嵌っていた。
「
……
ゴッド、イーター?」
「かつてはそうだった。今は現役を退いている」
アマミヤと名乗った女は、こちらに右腕を差し出して見せた。現役と何が違うのか、わたしには判別がつかなかった。思っていたよりも大きくて、邪魔になりそうだな、とぼんやり考えた。
「きみが適合するかもしれない神機は、先程も言ったように『新型』だ。現在運用されているものよりも格段に高性能で、それゆえに適合できるものは限られる」
「
……
『神様』に、選ばれたとでも?」
口の端を歪めて、あざ笑った。
「どう捉えるかは、きみの自由だ」
アマミヤは、挑発には乗らなかった。ちいさく嘆息しただけだった。
つまらない。ぷいと、子どものように拗ねて、反対側に顔をそむけた。
頭が良くて、肝のすわっている女の人は苦手だ。堂々と胸を張っていられる強さが眩しくて、目を焼かれる。
わたしは媚と色を売って、誰かの顔色を窺うことでしか生きるすべを持たなかった。彼女の毅然とした態度は、暴力的ですらある。惨めになる。
「新型を得れば、対アラガミの強力な対抗策になる。我々が必要としているのは、新型の神機を振るえる人材だ」
「神機さえ振るっていれば、どんなクズでもいいってこと」
「そうだ。きみが何を望もうが、誰のために戦おうが、我々は一切干渉しない。命令のとおりに戦ってくれさえすれば」
「
……
望みなんて」
何がしたいのかなんて、考えたこともなかった。
自分の身を守るだけで精一杯で、誰かのことなんて顧みたりもしなかった。
「わたしはなんにも、持っていないもの
……
」
からっぽだ。心も、からだも。
「
……
そのまま、身軽に生きていくことも、ひとつの選択ではあるだろう。だが、力を手にすることもできる。
――
きみが望むのなら」
「ち、から」
願うことも、望むことも、あきらめた。
だってわたしは、力を持っていなかったから。
何も持っていなければ、これ以上奪われずに済むじゃないか。
何かを望まなければ、叶わなくても絶望しないじゃないか。
だからわたしは、からっぽになったのだ。
自分の意思で。自分を守るために。
(でも、あのとき
……
)
シユウの翼手に捕らわれたとき、からっぽにしたはずの心に宿ったものがある。
あの激しい怒り。理不尽だと喚き散らし、暴れだしたくなる衝動。
力さえ、この手にあったら。
「
……
わたしにも、神機がにぎれるの」
しびれが残る腕をもう一度持ち上げ、拳に握り、開く。
「その可能性が非常に高い」
「失敗したら、死ぬんでしょ」
「適合試験の精度は上がっている。それでも、失敗する確率はゼロではない」
アマミヤの返事は正直だった。
死んだりしない、安心しろと嘘をつけばいいのに。
生真面目で、損をするタイプだな。
賢いのか馬鹿なのかわからない。
奇妙な親近感を覚えて、笑ってしまった。雲の上のひとだと思っていたけれど、意外と人間くさいんだな。
「たとえ試験をパスしたとしても、アラガミとの戦いは、常に死と隣り合わせだ。だが極東支部は、それに見合った報酬とサポートの用意がある」
軋む体を、ゆっくりと起こす。乱れた髪が顔に覆いかぶさって鬱陶しかった。
ずるずると、過去と今をつなぐかすがいとして伸ばしてきた髪。自分を見失わないために残してきたもの。
原型をとどめぬほど汚れてしまっても、この体を捨てて生きてゆくことができないかぎり、せめて、無垢だった頃の名残だけは
――
と。
欧州生まれの祖母譲りの髪を、とりわけ父は褒めてくれた。もう顔も声もおぼろげだけれど、髪を撫でてくれた大きな手の感触だけは、消えずに残っている。
二度と取り戻せない幸福に、みっともなく縋りついていたんだ。
「イクさん、鋏、貸して」
視界の端で、イクさんの恰幅のいい体がこわばった。
「でも」
まるいメガネの奥で、イクさんのつぶらな瞳が悲しげに揺れた。
わたしは、あなたのその顔が好きで、同時に恐ろしかった。
この診療所を訪れるときはいつだって、身も心もぼろぼろになぶられた翌朝だった。他に安全に眠れる場所がなかったのも事実だけれど、わたしはあなたの同情と慈しみの混ざった声を聞きたかった。そのまなざしに迎えられたかった。
診療所に住んで手伝いをすればいい、ふらふらと外を出歩くから、痛い目に遭うんだ。
あなたはいつもそう言ってくれたけれど、その甘美な申し出を受け入れることができなかった。
ここに居着くのが怖かったんだ。
与えられるばかりで、何も差し出せるものがないわたしは、いつか見捨てられてしまうんじゃないか。あなたに暖かく迎えてもらえなくなるんじゃないか。
それが怖かったんだ。
「おねがい」
わざと甘えた声でねだれば、イクさんがため息混じりによく磨かれた鋏を差し出してくれた。うまく動かない右手に持って、きらきら光る刃を何度か開閉する。
すぐそばでアマミヤが身構えた。
一線を退いても、やっぱりこのひとは戦士なんだな。鋭利な刃物を危険視する本能が、まだきちんと機能している。その刃が誰に向けられても、きっと一瞬で動けるのだろう。
左手で、顔に覆いかぶさる髪を掻きあげ、首の後でひとまとめにする。
あとは、ためらわなかった。
乱暴に刃を入れ、腰のうえまであった髪を一思いに引きちぎった。
手にした髪の束の切り口は、決してきれいではなかったけれど、わたしには似合いだろう。
選ばれずに息絶えるにしろ、選ばれてバケモノになるにしろ、過去への妄執はもう要らない。
「
……
連れて行ってください」
切り落とした髪と鋭利な鋏とを握ったまま、アマミヤを見上げた。
アマミヤは瞠目した。驚いた顔が見られるなんて思わなかった。
「協力する気になってくれたのはありがたいが
……
」
かつてゴッドイーターだった女は、柳眉をひそめ、緊張をとく。さしあたってこの鋏が、誰かの肉を切るわけではないのだと判断したのだろう。
「まずは体を休めたらどうだ。適合試験は、心身に負担がかかる。シユウの襲撃で怪我を負ったのだろう」
「いいえ」
きっぱりと首を横に振ったら、短くなった髪の先が、ちくちくと首を刺した。
「いますぐ。これで死ぬなら、それまでのことです」
正直、体を動かすのも至難の業だった。
けれど、本当にわたしに神を喰らうものの資格があるのなら、どんなに不利な状況でも選ばれなければおかしい。
確かめたかったのだ。自分に価値があるのだと。
アマミヤは今度こそ、腕輪の嵌った右手でこめかみのあたりを押さえた。
「きみは
――
」
「ルイです」
「
……
?」
「月城ルイ。わたしの名前」
「ではルイ、すぐに出られるな」
「はい」
切り落とした髪と鋏とをシーツの上に置き去りにして、ベッドを降りた。
荷物はなにもない。
わたしは、死ににいくのだから。
4.
勢いよく落下してきた蓋が、右腕を容赦なく押し潰した。
「ッ、ぁ、ああああっ!」
叫ぶものかと思っていたのに、悲鳴を堪えることができなかった。
右の手首が、燃えている。焼き尽くされる。
体が本能にしたがって、逃れようと身を捩る。そのたび、シユウに負わされた傷が激痛をもたらした。
右腕の血管が歪に浮き上がった。なにかが這い登ってくる。体のなかを引っ掻き回し、侵喰する。
審判を受けている。
この体が、この血が、神の天敵にあたうものなのか。試されている。
神機の柄を握っているはずの、右手首から先の感覚がなかった。
もしかしたら、あとかたもなく肉も骨も潰されてしまったのかもしれない。
それでも、いい。
「殺すなら
……
殺、せ
……
っ!」
好きなだけ傷つけて、踏みにじって、何度も繰り返し、殺せばいいんだ。
奪うのなら、容赦をするな。
もはや必要のない命なら、髪の一本、爪のいちまいさえ残さずに、あまさず喰らいつくしてほしい。
けれどもし、わたしに力を得るだけの価値があるなら。
生まれ変わることが、ゆるされるのなら。
(そうだ、わたしは
――
)
ずっと、誰かにゆるされたかった。
生きてもいいのだ、と。
*
すこしのあいだ、意識を失っていたようだった。
自分の荒い呼吸で、目が覚めた。
手首をとらえて離さなかった蓋が、落ちてきたときとは裏腹にゆっくり持ち上がる。
涙と汗でかすむ視界に、血の気を失った自分の腕が映った。
腕は無事だった。醜くぐちゃぐちゃに潰されてはいなかった。
代わりに、血の色を塗り込めたような赤い腕輪が手首に嵌っていた。
もう二度と外れない、バケモノの証。
気づけば口の端が引きずり上がっていた。体は笑おうとしている。
相変わらず手首から先の感覚はない。けれど、指先はしっかりと神機の柄を握ったままだった。
我ながら、上等だ。
おめでとう、と誰かが言った。
威厳ある男の声が、どこか遠くで。
自分の鼓動と呼吸がうるさくて、よく聞こえない。
強張った指先が掴んだままの神機を、おそるおそる持ち上げた。
かなりの重量だったけれど、金色に輝く球体から黒い触手のようなものが伸び、腕輪につながった瞬間、重さを感じなくなった。
適合するということが何を意味するのか、体で知った。
この神機はもう、わたしの腕の一部だった。
『きみが、この支部初の新型神機使いだ』。
神機の切っ先を頭上にかざす。不健康な照明を、よく磨かれた刃が反射した。
しばらく美しい相棒を見上げたあと、力いっぱい、斜めに振り下ろした。
未練や迷いを、切り捨てた。
わたしは、今ここで、一度死んだ。
弱さも、絶望も、すべてここに置いていく。
二度と過去にはすがらない。振り返ったりするものか。
この世界で生きてやる。
荒ぶる神を喰らいながら。
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