吾妻
2022-08-10 00:25:22
6345文字
Public GOD EATER
 

きみをみてる

仕事をしているソーマ博士の邪魔ができないうちのこリーダー(♀)の話が書きたかったんですけど、またしても藤木隊長のおせわになってしまった。

「おーっす、ソーマ。生きて……る?」
 数日前から根を詰めて仕事をしている友人の生存確認をするべく、藤木コウタは件の友人が根城にしているラボを訪れ――そこで予想外のモノを発見した。
「コウタか。どうした」
 いくら集中すれば寝食を忘れるタイプの仕事人間とはいえ、大声で呼びかけられれば気がつくものらしい。生存を心配されていた人物であるところのソーマ・シックザールは、モニターから顔を上げて、ドア付近で不思議そうな顔をしているコウタのほうへ視線を寄越した。
 眼鏡を装着して、明らかに“研究用”の顔をしている。
 端正な顔立ちに極東随一の腕っぷしの強さを併せ持ち、怖そうに見えつつも実は面倒見がいい類の人物であるため、以前からそれなりに異性の人気は高かったのだが、近年そこに若手の遣り手研究者の肩書まで加わったから大変である。
 着任当時からの付き合いなので、普段はなんとも思わないのだが、こうして改めて向き合ってみると、「そりゃ、女の子たちにキャーキャー言われるわ」と思わずにはいられないのだった。
 入口の側に立ったままのコウタに、ソーマが無言で訝しむ。何か用があるんじゃないのかと言いたげだ。ちゃんと口に出せばいいものを、と思うのだが、余所ではそれなりに他人と言葉でコミュニケーションを取っているのを知っているだけに、この説明不足はある種の甘えなんだろうなと最近は納得するようになった。
 それは、それとして。
……これ」
 入室してすぐ右手。かつては同期たちと並んで榊から講義を受けたソファセットが今もそのまま置かれているのだが、問題はそこにいる“人物”である。
 さすがに過労で判断が鈍っているのか、一拍置いてコウタの指差す先を見たソーマの眉間に、一際深い皺が刻まれた。
 ソファには、一人の女が机に突っ伏すようにして、健やかな寝息を立てていた。日々、世界各地を飛び回って、傭兵稼業に勤しんでいる元第一部隊。そして、眼前の若き科学者の恋人でもある月城ルイだった。
「あー……もしかして、気づいてなかった、とか?」
 答えを聞くまでもない。ソーマの表情を見るだけで、彼がこの闖入者に気づいていなかったのは火を見るより明らかだ。
 いつから。いつのまに。どうして声を掛けなかったのか。……等々。
 眉間に皺を寄せつつ、ソファで寝入っているルイを睨みつけているソーマの内心は、大体そんなところだろうか。同時に、いくら仕事に集中していたとはいえ、来訪者にまったく気が付かなかった自分自身についても、不甲斐なく思っていることだろう。
 やがてソーマは深々と溜息をついたのち、眉間のあたりで眼鏡の中心部を摘み、するりと引き抜いた。本来は視力を補強するためのそれを、ソーマは視野を狭め、目の前の作業に集中するために使っていると聞いた。ずば抜けて優れた視力によってあらゆるものが“視えすぎる”のを緩和するためだとかなんとか。

――眼鏡を掛けてるときは『仕事モード』ってやつらしいんだよね。

 ……とは、まさに今ソファで眠っている同期から聞いた話だ。
 そういえば以前、この状況と似たような場面に出食わしたことがあった。仕事をする気も失せたのか、いくつものモニターを壁のように張り巡らせたマシンから立ち上がるソーマを眺めつつ、コウタは数ヶ月前の遠征任務に思いを馳せた。


            *


 クレイドルは、独立支援部隊だ。
 便宜上、極東支部に連なる組織ではあるものの、その活動範囲は年々拡大の一途を辿っている。
 極東地域外での遠征任務も増えつつあり、大規模な作戦の場合は世界各地に散っているメンバーが一堂に会することもある。
 コウタもまた、後方指揮の人員が欲しいと請われ、その遠征に参加していた。以前ならば家族の暮らす極東を絶対に離れるものかと思っていたのだが、後進も育ち、サテライト防衛班もしっかりと守りを固めていてくれている現在では、幾分気負いも薄れてきた。
 今となっては離れている時間のほうが長い戦友たちと会える機会でもあるため、それほど長い任務でもなければ参加する余裕も出てきたのである。
 とはいえ、コウタも一部隊を預かる身。新人研修の指導員やら、部隊員の給与査定やら、上がってきた報告書の確認やら。こなさねばならない細々とした仕事が山積みだった。結局、それらを片付けて現地に到着した頃には、先発隊による仮設キャンプの設営も完了していた。
 開けた野営地に、簡易コテージと屋外用のテーブルセットがいくつか、間隔をあけて設置されている。
 その最も近いテーブルに、こちらに背を向けて座っている女が、ひとり。
 非常に見慣れてはいるが、ここしばらく見かけていない背中でもあった。
 最近は、どこに出張していたんだったか。現地集合の遠征任務では最後あたりに合流してくるのが常なので、もしかしたら元々この付近に滞在していたのかもしれない。
 最後に取った連絡は、向こうから送られてきた「極東のご飯が恋しい」というメールだった。それを聞きつけた若きラウンジの主人ムツミが軽食を用意してくれていたのを思い出す。差し入れてやれば、飛び上がって喜ぶことだろう。
 しかし。
 周囲の気配には敏感なはずの彼女が、背後にいるコウタにも気づかず、じっと前方を見つめているので。
「何見てんの?」
 歩み寄り、声をかけた。
 前触れもなく声を掛けられた女――月城ルイはというと、「ふわっ!?」と緊張感のない悲鳴を上げて、機敏な動きで振り返った。
「コウタかぁ、びっくりした!」
 そこまで驚かなくてもいいではないか。心外だと口を尖らせたくもなったが、同時に珍しくもあった。いくら比較的安全な場所を選んで設営されている拠点とはいえ、彼女がここまで無防備になるのは稀なことだ。
 それほど何かに熱中していたのだろうか。ルイの肩越し、彼女がじっと見つめていた方向を見遣って、コウタは大体を察した。
 ここからは声が届かない程度に離れた簡易コテージの入り口側に、男がひとり。
 電源供給用の装甲車側面に背を預けるようにして、難しい顔で手元のタブレット端末に見入っている。
 なるほど、そういうことか。
「ふーん、仕事中の彼氏を観察してたわけ?」
「ソーマ、かっこいいよねぇ」
 冷やかしたつもりなのだが、まったく照れる素振りもない。眼鏡をかけて仕事に集中しているソーマを見つめ、ルイはうんうんとうなずいている。
 ルイの主張に異議はない。ソーマがかっこいいのは認める。ルイが恋人への好意をまったく隠そうとしないのも昔からだし、今更驚く話でもない。いつも通り「はいはい、ごちそうさま」で済ませられる。
 ルイの開けっ広げな愛情表現も、ソーマの少々不器用だが真摯な慈しみも、ふたりの親友を自認するコウタにとっては微笑ましいものだ。ここしばらくは特に多忙で共に過ごす時間が減っているだけに、大いに惚気ければいいと思っている。……が、だからこそ、コウタには少々解せないことがあるのだった。
「声かけないの? 顔合わせんの久しぶりだろ?」
 いつものルイなら、あるはずもない尻尾を振って飛びついていきそうなものだが。声もかけずに遠くから見ているだけなんて、らしくもない。
 まさかとは思うが、喧嘩でもしたのだろうか?
 コウタの問いかけに、ルイはなぜかひどく難しい顔をして、
「だってソーマ、眼鏡かけてるし」
 と、言った。
……は?」
「眼鏡を掛けてるときは『仕事モード』ってやつらしいんだよね。元々ソーマって、めちゃくちゃ目も耳もいいから、いろんなものが見えすぎたり聞こえすぎたりするみたいで、集中するためのスイッチみたいに眼鏡を使ってるんだって」
「へぇ」
 それは素直に初耳だった。
 確かに疑問には思っていたのだ。ある時を境に、ソーマが本来必要ないはずの眼鏡を掛け始めたのはなぜなのか。ルイの説明から察するに、ある種の自己暗示アイテムなのだろう。それはわかった。しかし、どうして声を掛けないのかの理由にはなっていないように思うのだが。
……私、研究を頑張ってるソーマを見るのが好きでさ」
 まるで独り言のように静かに呟くルイの顔には、慈愛にも似た穏やかな笑みが浮かんでいた。
「研究者への道は、ソーマが自分で選んだことだから、なんだかこう……邪魔したくなくて」
 その言葉の重みを心の底から理解できる人間は、きっとそれほど多くはない。
 だが、コウタは数少ない理解できる側に立っていた。
 生まれながら――いや、生まれる以前から背負わされた特異な力。
 決して自分で選んだわけではない重責を、ソーマは投げ出すことなくここまで歩んできた。そんな彼が「父親の後始末」という気負いがあるのだとしても、戦う以外の道を自分自身で選んだのだ。尊重してやりたいという思いは、ソーマをよく知る人間ならば多かれ少なかれ抱く感情だろう。特にルイは、誰よりも傍にいるせいか、その感情が強いようにコウタの目には映る。
 だからこうして、久々の再会にも飛びついてゆかずに、離れた場所から見守っていると言うわけだ。
 実に微笑ましい話である。
 が、それは少しアンフェアではなかろうか。
 ルイはそれで満足かもしれないが、ソーマはどうだろう?
「けどさ、ソーマはルイと一緒がいいんじゃない?」
 ただの思いつきが口から転がり落ちたが、あながち的外れでもないような気がしてきた。
 確かに仕事に集中する時間は必要だ。しかし、かつてのように朝から晩までを共にしているわけではない――むしろ離れている時間のほうが圧倒的に多くなった恋人とは、一秒でも長く一緒にいたいと思うものではなかろうか。
 実際に、ソーマはルイの休暇予定に合わせて意識的に仕事を調整している。その誠実さと愛情深さを知っているからこそ、コウタは少々もどかしく感じてしまうのだった。
 脳天気に見えて、複雑なバックボーンを持つ同期が、無自覚に自分より他人を優先してしまう気質であるのは百も承知だ。その献身は、傍目には美しくも映るだろうが、彼女が初めから自身の幸福を後回しにしているようで、身近な人間にはかなり大きな悩みの種なのだ。
 特に厄介なのは「無自覚」の部分であり、まさに今もコウタの言葉を聞いたルイは目をぱちくりとまばたいて、「……え?」と心の底から不思議そうに聞き返してきた。まるで、そんな考えなど欠片も思いつかなかったかのように。
「そうかな」
「そうでしょ」
 だからこうして、外部からの援護が必要なのだろう。不安げな顔をする同期に真正面から頷き返すと、ルイは普段の勇ましさが嘘のように困った顔で笑って、
「そっか……そうだといいな」
 と、呟いた。


            *


……ってことがあってさ」
 なんとなく、ソーマには知る権利があるのではないかと思い、包み隠さず話すことにした。
 若き研究者は複雑そうな表情で腕を組み、余計な言葉を挟まずに聞いていたが、コウタの話が終わると一際大きな溜息をこぼした。
「まぁ、このへんのことはソーマのほうがよく知ってると思うけど」
「何度言い聞かせても聞きやしねぇのは、自覚がないからなんだろうな」
 机に突っ伏している女を見下ろして、ソーマは呆れと苦味を混ぜた声で呟く。
 ルイは頑固ではあるが、天邪鬼ではない。きちんと他人の忠告を聞き入れる素直さを持ち合わせている。それでも、自身を後回しにする癖が治らないのは、ソーマの言う通り本人の意識の問題なのだろう。ここに至るまでに培った価値観は、そう簡単に変えられるものでもないはずだ。
 もちろん、そういう厄介なところも含めてルイなのだということも、重々承知の上ではある。それでも、彼女が他人に傾ける思い遣りの半分でも、自身に向けてくれればと願ってしまうのは、どうしようもない。
「だからさ、結局、言い続けてやるしかないんじゃない?」
 たとえ、すぐに変化が訪れないとしても。
 必要で、大切で、心配なのだ、と。
 いくらそのあたりの実感が薄い相手だろうと、無視できなくなるまで、何度でも。
 伝え続けるのはきっと、無駄ではないはずだ。
 机に突っ伏したままの恋人を、苦々しく見下ろしていたソーマが、はたと顔を上げてコウタを見た。
 虚を突かれた表情を、やがて苦笑の形に崩して、「……そうだな」と一言だけ応えてよこした。
 その困ったような笑い方が、遠征地でルイが見せたものとどこか似ているように思えて、コウタもつられて苦笑する。
(似た者同士なんだよな、この二人)
 自分よりも他人を優先しがちなところも。
 自分の価値を正確に推し量れないところも。
 似ているからこそ、互いの急所がよく分かる。互いの無茶をカバーし合える。
 だからきっと、一緒にいるのは良いことなのだ。なんとなく、そう思う。

「んん……
 図ったようなタイミングで、テーブルに突っ伏していた女がもぞもぞと身動ぎし、やがて上体を起こした。
 途端に、ソーマの眉間に深い皺が二本ほど刻まれる。
「あれ……
 ルイはまだ少々寝ぼけている様子で、きょろきょろと室内を見回してから、傍らに立つ二人を視界におさめた。
「あ……ええと……おはよう、ございますぅ……
 恋人の眉間の皺を見て状況を把握したのか、ルイが急に猫撫で声を出す。自身の行動がお小言をもらう類のものだということは、さすがに理解しているようだ。
……声をかけろと言ったはずだが?」
 冷ややかな表情を崩さぬまま、ソーマがルイを突き放す。笑ってごまかせないと気づいたルイが、少しだけ唇を尖らせた。
「だって、忙しそうだったから」
「手が空かないときは、ちゃんとそう言う。お前だって、手持ち無沙汰だろうが」
「大丈夫。わたし、ソーマのこと見てるの好きだから」
「そういう問題じゃ……
「今日は邪魔したほうが良かったんじゃない?」
 痴話喧嘩が始まりそうだったので、思わず横から口を挟んだ。難しい顔をしているが、ソーマだってあまり他人のことを言えた立場ではないのだ。なぜなら。
「ソーマ、ここ数日ラボに籠もりきりで、ろくに部屋に戻ってないだろ? ぶっ倒れてないかアリサと心配しててさ、それで代表して俺が様子を見に来たってわけ」
 視界の端に、「余計なことを言うな」と凄むソーマの顔が見えた気がするが、そもそも寝食をおろそかにするほうが悪い。恋人とイチャイチャするためにも、さっさと自室に引っ込んでほしいものだ。
「だから、ルイはそういうのに気づいたら、さっさと部屋に連行してもらわないと」
 まるでそれが彼女の義務であるかのように伝えると、ルイはとても真剣な顔をして「なるほど……」と頷いた。実にチョロ――素直でよろしい。一方のソーマ複雑そうな顔をしているが、これでルイが気配を消して仕事中の彼氏を鑑賞する時間も、少しは短くなるのではなかろうか。
「じゃ、俺は持ち場に戻るから。ルイはソーマのこと、責任持って休ませといて」
「了解~」
「おい、お前ら――!」
 ソーマの抗議を聞き流しつつ、コウタはラボを後にした。
 まったく、世話の焼ける友人たちだ。見ていて飽きないからいいのだが、放っておくと自縄自縛に陥ってしまうので、時々つついてしまうのをやめられない。
 二人揃って、幸せになってくれるといいのだが。
 苦笑を零しつつ、コウタはエントランスへ向かうエレベーターに乗り込んだ。
 

【おわり】