思わず聞き返すと、九条天がふっと顔を上げて、眼鏡がカチャリと上にわずかにあがった。「え」と漏れたその唇に、彼の人の同じ場所が押し当てられている。柔らかいそれが、幾度か角度を変えて、端からはしへ、やがて真ん中へしっとりと押しつけられてからついっと離れる。
「ボクにもドキドキした?」
「……っ」
大和は、近すぎる距離の九条天の肩をぐいっと押しやって、控え室をきょろきょろと見渡す。外はなんだかバタバタと騒がしい気配はすれど、広い室内には二人しか居らず、その事実に喉がひゅっと音を立てる。
「キミ、結構冷たいね。慌てたスタッフに冷やされ過ぎたんじゃあないの?」
確かに、薄い粘膜は九条天の方がずっとずっと熱かった。そう思い至ったと同時に、また唇にその熱を押しつけられる。大和がぎゅっと目を瞑って答えられないでいると、「くちをあけて」と急に命令された。
「な、これ以上はお兄さん……」
そう思わず制止を口にしてしまって、それまで頑なに閉じていた唇の力が緩んだ。九条天の、細く華奢な指先が、大和の下唇を押して軽く下へ下げる。するとあっという間にそこへ熱い舌がねじ込まれた。
キスだってプライベートや撮影で、初めてなわけがない。これぐらい大人のキスも、映画で経験済みだった。でも九条天はアイドルとして完璧なキスシーンを演じている姿(口元が見えない、もしくは触れてもフレンチ)しか見たことがなかった。
まさかそんなパーソナルな一面を、自分相手に見せて来るとは思わず、対処出来ないで結局はされるがままになってしまう。唇の端から雫が零れかけて、手の甲でそれを無意識に拭った。
「よし、満足した?」
「……ハァ?」
好き放題しておいて、そんなことを言う年下の想い人に、思わず青筋を立てかけて、再び襲って来たわずかな頭痛を合図に、再びソファに沈む。すると、目を閉じた大和の瞼の上に、どこか冷たい手のひらが置かれた。ずしりと意識も重く沈む。
すると、段々とその重みが上に向かって消えてゆき、力が解放されていく。それと共に、慌ただしく自分の傍で名前を呼ぶ声が聞こえて、大和はうっすらそのつり目を開けると、見下ろしている人物が天とは異なっていた。
「二階堂さん? 迎えに来ましたよ。起きれますか?」
和泉一織が心配そうに大和の背に手を当てて起き上がらせてくれた。その、少し後ろにはマネージャーが心配そうに眉を寄せているし、壁近くではまだ衣装(水着)に上着を羽織っただけの陸とナギが身を寄せ合ってウルウルしている。
「OH! ヤマート、私たちの勇士を見守ってくれたばっかりに……」
「大和さん、もう平気?」
人一倍、体調を崩しやすい陸は、他メンバーの不調にも心を痛めやすい。自分の方がぶっ倒れそうに真っ青な顔をしているのを、いち早く気づいた一織が安心させてくれる。
「大丈夫ですよ。この人美丈夫が取り柄ですから、滅多なことじゃあなければ死にません」
「その取り柄は、ワターシだと思っていました!」
「お二人は先に着替えてください、身体が冷えます。大和さんもゆっくりで良いので着替えられますか?」
「私が荷物を持ってきましょう」
「大和さん、じゃあ車でね」
そう言って、メンバーとマネージャーは退席してしまった。残された広い部屋には大和一人きり。「はて?」と大和は首を傾げる。先ほど、熱烈な口づけを交わした相手がその場に居なかった。
やがて、一織が運んできた荷物を受け取り着替え、スタジオの入り口に立てかけてあるホワイトボードのタイムスケジュールを見て、大和は狐に摘まれた気持ちになった。TRIGGERの撮影の予定は明日で、七瀬陸は勘違いしただけだった。
つまり、今日この建物に、九条天は存在しないのだ。
* * *
「キミ、倒れたって?」
スタジオの廊下、『妖万華鏡 空虚咎送り』での彼の衣装『九尾の狐』の姿で現れた天は、同じく『刀衆 重』の出で立ちの二階堂大和の正面に立って、挨拶より先に言葉を投げた。
「九条、お前さんがそこに立つと誰も横通れないぞ」
「ああそうか、しまった」
自分の立ちのぼる尻尾を幾つか捕まえて、正面で抱きしめながら後ろで詰まっていたスタッフに道を譲る。その姿が可愛くて、大和は尖ったフェルトの塊みたいな尻尾の先を指でごしごしわずかに擦る。衣装なのだから、そこに感覚など通っていないはずなのに、天が白い肌を少しだけ染めて俯いたものだから、大和も変な気持ちになった。
<続く>
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