わずかにバタついていると、隣のテーブルにストンと腰を下ろした青年がいた。トレイにはホットコーヒーとアップルパイが置かれている。そう言えば、件の彼は甘い物が好きだった……と顔を上げて、大和は固まる。
「お疲れ」
と、短く会釈した眼鏡とマスクの青年は、件も何も九条天、本人だった。マクドナルドに不釣り合いと大和は思い、顔に出ていたのだろう、「ボクだってファーストフード店くらい、入ることはある」と先に返されてしまった。
「そりゃあ失礼しました、ここにはなに用で?」
「すぐ斜め向かいのスタジオで、このあとナレーションの仕事がある」
「九条の声をキャスティングするだなんて、センスが良い」
「やめて。褒めても何も出ないよ。このあいだのキミのドキュメンタリー番組のナレーション拝聴したばかりでそれを聞いても、嫌味にしか聞こえない」
「お兄さんそんなに素敵だった?」
「ハイハイ、狡いくらい素敵だったよ。妬ましいほどにね」
マスクをズラして薄い唇が現れる。少しだけ熱そうにアップルパイに齧りついているのが見える。それに気を取られていたら、ドレッシングの汚れのことをすっかり忘れていた。紙ナプキンじゃもう遅い気がして、鞄から三月に持たされているウェット・ティッシュを引きずり出そうとする。
「……何をバタバタしているの?」
「タマネギドレッシングがお兄さんを襲ってきたんだよ〜。九条これ汚れ分かる?」
「どれ」
九条天がお尻を一個分こちらに移動してきて、大和のシャツの合わせ目に鼻をくっつけた。まるで大和の腹に顔を埋めるような仕草に、体温がぐっと上昇する。マジか……お前、近いぞマジか……。
「臭いが全く取れてない。君、タマネギみたいだよ」
「……マジか、そうか」
「寮に戻ったらすぐに洗いなよ」
「俺、『マジ』って言い過ぎ?」
「一回しか言ってないじゃない。……緊張してるね、鼓動が速い」
「そらぁそうでしょ! 流石に離れてくれるかな?!」
大和が裏返った声を出すと、顔を上げながら胸元辺りで笑い声を零した九条天は「良かった」と呟いた。
「良かったって、何が? お兄さんタマネギになっちゃって今日はバッドデーなんですけど」
「『呪い』が効いているみたいで、『良かった』って言ったんだよ。ボクは君に会えたからラッキーデーかもしれない」
「……お前さんさ、この間のその……何なんだよ一体」
「何だよもなにも、『呪い』だよ」
そう答えて自分の席に戻ると、ホットアップルパイの反対の角に上品に噛みついている。そのとき白い歯が見えて、何だか見てはいけないもののような気がした。大和はさり気なさを装ってそこから目を逸らす。一度瞳を閉じて、彼の人を見つめたら、その口元はもうマスクで隠されていた。
「それじゃあ、ボクは行くよ。君はゆっくりね、夕方からまた仕事でしょう?」
「何でまたお兄さんのスケジュール知ってるの」
「陸がラビチャで言ってた、それじゃあね」
「あ、ああ」
フリフリ可愛らしく手を振られたのに振り返して、姿が見えなくなって大和は人知れずシートをずり落ちかけた。
* * *
「ヤマさん、どったの?」
楽屋のソファーに大股を広げて首が上向くようにだらしなく座っていると、大部屋に入って来た環がそう三月に尋ねた。和泉三月は苦笑しながら自身も衣装を身に着け始めている。一緒に入って来た壮五が「あれ? 衣装着るの、はやくないですか?」と首を傾げている。
「大和さん、異様に早く局入りしててさ、オレの収録が終わったと同時にラビチャが来たんだよ『ミツの楽屋行ってもいいか?』って」
「大和さん、衣装が皺になってしまいますよ」
逢坂壮五が大和の傍に甲斐甲斐しくしゃがみ込んで、器用にソファと大和の腰の間に手を差し込むと、ヒョイッとソファーから抱き上げて、上着を魔法みたいに引き抜いた。
「出番までハンガーに掛けておきますね」
「そーちゃん、年末の隠し芸それじゃない?」
「どれ?」
キョロキョロと辺りを見渡す壮五は、環が自分のことを言っているとは思いも寄らないようだった。それと同時に楽屋の入り口を開けて元気に入って来たのは、当グループの赤と青である。
「おはよーございまーす! ってあれ? 大和さん、どうかしたんですか?」
勢いと同様に、溌剌(はつらつ)と挨拶したのは、我らがグループのセンター七瀬陸だ。大和は自分の個人情報の行方を思って、恨みに思うのは筋違いだと脳裏では分かっているというものの、横目でじったりと彼を流し見て右手を上げた。
<続く>
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