『鍵』が好きだ。なぜか安心の対象として記憶に残っている。鍵がかかるところに大事なものを入れておけば、誰かに盗られたりしないし、自身もその内側に居れば安全だ。加えて山田三郎はそれを『解く』ことも好きだった。
カチリカチリとピースを当てはめていけば一気に解けるプログラムだったり、知恵の輪だったり、推理小説だったり。答えに辿り着くと『カチリ』と脳内で音がする、ひどくしっくりくる、そして安心もするのだ。
だから今、自ら解くべき大いなる『議題』を提示されたわけだが、その先にある『安堵』を想定して、三郎はそれほど恐怖は感じていなかった。これを乗り越えるのは『成長』に等しい。だったなら、別に、構わない。
どちらかと言えば、今もう『ない』もののことよりも、ずっと側にあるものが無くなるときの方が怖い。そうしてそれを感じさせる変化が、最近兄弟の中であった。七時前になっても帰ってこない次男のことだ。
三郎が萬屋の応接室でイライラそんなことを考えていると、ようやく事務所の電話が鳴った。
「はい、萬屋山田ですが」
『お! 三郎? に……兄貴は?』
「……お前、何時だと思ってるんだ。夕飯が必要ないときは早めに連絡しろって一兄に言われてるだろ?」
『その、兄貴の依頼で町出てんだけどな、クライアントが旅行に出掛けてるみたいで、この町に一泊しようって思ってて』
「金もないのに、どこに泊まるんだよ」
『他のダチの家とか、漫喫とか、カラオケとか……色々あるだろうがよ』
「未成年、輔導されるよ」
あー……。「外泊しないで欲しい」と、なぜ素直に言えないものか。二郎が電話の向こうで馬鹿でかいため息をついたので心臓が冷たくなる。ひゅっと息を吸い込むと、思ったよりあたたかい声が電話越しに聞こえた。
『そんなヘマしねぇって~、その……さ帰ったら』
「帰ったら?」
期待で声が上ずる。その『期待』をするような出来事がつい最近あったものなので。三郎は二郎に「好きだ」と伝えていた。それは『家族愛』でも『兄弟愛』でも『親愛』でもなく、醜いぐらいの『劣情』を孕んでいた。
三郎はこの、どこまでも優しくて、馬鹿な兄に懸想していた。三郎が気まず気に黙ると、二郎の方から声を出す。
『……ちゃんと、答えるから』
「何て?」
『三郎』
「……っ」
再び呼ばれた自分の名前に、脳内の奥底でカチャリと何かが解錠された気配がする。『お前と同じだよって』と続いた言葉に、その奥底から流れ出したのか、瞳から雫が零れ落ちそうになる。夜の事務所の窓にうつる、自分の顔が涙を堪えようとしているのか酷く歪んでいた。
『三郎?』
今度呼ばれた己の名前は、まるで声でよしよしと撫でられるているようなあたたかさがあった。「わ、かった」と返した声は、取り繕えていただろうか? それはわからないけれど、それに二郎が何か言い出す前に自分の方から通話を切った。
窓の外は雨が降り始めたようで、それに絆されるようにようやく涙を零した三郎は、事務所の灯りを消してそこを出て行く。三男しかいないビルの中に、ガチャリと施錠する音が響いて消えた。
<おしまい>
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