sugu_yoru
2020-09-05 00:14:40
2529文字
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セキュリティ・ブランケットの葬列(若葉松)

2016年6月頃書いたものの再録です。気に入っています。

 セキュリティ・ブランケットっての? 所謂『ライナスの毛布』。僕らにもそう言う存在がいて、名前は『しおたん』といった。彼はヌイグルミだ。それこそ僕らが涎を垂らしている頃に与えられて、噛んだり舐めたり放り投げたりしつつ、そう言えば最後に見たのはいつだったっけ?
 そう思いながら僕の目線は五男の腕の中だ。『しおたん』は猫なんだか、犬なんだか、兎なんだか良くわからない白いヌイグルミだったはずだ。それが所々灰色の染みを作って、十四松の腕の中でぐったりしていた。
「くっさ!」
 僕は思わず仰け反った。十四松はしゅんっと眉を下げて「しおたん」と力なく呼んだ。僕たちとっくに成人済みだぞ、おい。そういえば最後にこのヌイグルミを見たのは高校の頃だ。確か今眼前に押しつけられたような色合いではなくて、黄ばんでいて全体が生成り色に近かったと思う。
「遊んでたらドブに落とした! 洗ったり色々してみたけど、駄目みたぃ……
 成る程、だからところどころ灰色なのだ。十四松の意図が読めなくて見上げると、「チョロ松兄さん! さよならの仕方を、教えて?」とハキハキと聞いて来た。処分したいのだろうか。それならば台所に可燃の大きなゴミ袋があったはずだ。僕は片足を立ててよっと身体を起こす。
「待ってな、今可燃のゴミ袋持って来るから」
「そうじゃ、なくて!」
「あーあ寺? 神社だっけ? そう言えばこないだ一緒に見たテレビでヌイグルミとか人形とかお祓いしてたっけなぁ……取りあえずタウンページ持って来てみなよ?」
「だからそうじゃないってば!」
 弟の声が低く感じられる。僕は吃驚して十四松を見上げたけれど、いつも通りに笑っていて少しホッとする。でも目は爛々と僕に何か言いたげに煌めいている。しかし目線だけでは弟の意図は読めない。
「じゃあ一体どうしたいんだよ?」
「ちゃんと『お別れ』したいんだ」
「あー……
 何となく分かった気がする。僕は立ち上がると台所脇の段ボール置き場から手頃なサイズのを引っ張り出して来る。「おいで」短く呼ぶと、異臭がするしおたんを抱えて、パタパタと十四松がついて来た。
 今日は二月だけど春日和だ。玄関の前の植え込みのアネモネが満開に咲いていた。赤、青、紫、ピンク。僕らの色だけがないけれど。僕らは『参列』するから良いだろう。後で母さんに怒られそうだけれど、僕は花を手折って右手に抱えた。ついでに園芸用のシャベルも引っ掴む。
 向かうのは河川敷。橋の下ではホームレスの男性が春日和に喜んで体操なんかしているのが見える。川面はキラキラと煌めいて、時たま振り向いて確認すると五男の顔に光が反射している。
 十四松は唇を噛み締めて、両袖でしおたんを抱きしめてしおらしくついて来る。その姿が何だか儚気で、僕は足を緩めて弟が追いつくのを待った。『さよなら』なんて、『お別れ』なんて。お前の方がよっぽど得意だって僕は思うよ。
 段ボールとシャベルと花を片腕で一つに纏めると、空いた腕で丸い弟の頭を包んで押した。それで少しだけ歩みが早まる。僕らはそのまま河川敷に降りて行った。草が生えていなくて、川が良く見える所。
 僕がシャベルで土を掘り起こすと、十四松は段ボールを無言で組み立て始めた。そこにしおたんを横たえて、アネモネを周りに散らした。川辺に生えていた水仙も摘んで来てそれも詰め始めた。段ボールが入るくらいまで穴が掘れると、僕は汗をハンカチで拭う。作業が終わるまで、僕らは一言も話はしなかった。まるでそれがしおたんに対する礼儀みたいにして、黙々と作業していた。
「十四松」
「うん」
 名前を呼ぶと、十四松が花まみれになったしおたん入りの段ボールを持って来る。二人で一緒にゆっくりと蓋を閉めた。見下ろした時に、花と段ボールの隙間から、しおたんの黒いプラスチックで出来た瞳が僕らを見上げていた。
「ばいばい」
って十四松が袖を振るから。僕はそれを合図みたいにして段ボールに土を掛け始める。これが正解かどうかなんて正直僕には分からなかった。しおたんは生身じゃないし。花や段ボールが朽ちてもいつまでも残るかも知れない。
 川面はキラキラ。十四松の細い毛を風がなぶる。ぽかぽかとした暖かさの中で、何とも言えない感傷的な雰囲気が漂っている。しゃがみ込んだ弟は、じぃっと土の山を見つめてポツリと呟いた。
「嫌いになったわけじゃあないんだ」
「うん」
「今だって大好きだよ?」
「分かってる」
「でも……もぅ遊んであげられないから……
 震える言葉はそれでも確固たる意思が感じられる。ホラ、こんな風にさ。こいつはこう見えて僕らの中で一番潔く旅立って行くんだ。僕はそれが寂しい。口には出さないけれど。
 見下ろした弟の眼球に、零れんばかりに水の膜が張っている。瞬きすると十四松の涙が、しおたんが埋まっている土の上に染みを作る。その涙を見ていて、僕は思い出したことがあった。

 五歳くらいの頃。熱っぽい十四松と僕は二人で留守番をしていた。母さんは回覧板を回しに少し出ている。他の兄弟は遊びに行ってしまって不在だった。十四松が息苦しさで急に大泣きを始めた。
『ひぃ、い! ぎゃぁああ!!』
『じゅうしまつ』
『うぇあぁあん!!!』
『なくなよぉ、かーさんすぐかえってくるから……
 僕はほとほと困り果てた。でもぴーんとあの白いむくむくを思い出したのだ。二階に駆け上がると、おもちゃ入れをひっくり返して、多少毛羽だって来たヌイグルミを引っ張り出す。大急ぎで十四松の元へ戻った。
『ほら! じゅうしまつ。しおたん来たよ!!』
『ふぅえ……
『しおたん心配してるみたいだよ』
『しおたん……ありがとう』
 にへっと十四松が笑ってくれた。まだ涙だらけの赤い顔でそれでも泣き止んでくれたのだ。そうだ、助けてくれたじゃないか。

「ありがと」
 まるで無意識みたいに口から言葉が滑り降りる。十四松はほとほとと涙を流したまま僕を驚いて見上げると、「ありがと!」って叫んで「うー……」っと膝に顔を埋めた。僕は弟の頭を些か乱暴に撫で擦ると、川面を真っ直ぐにただ見つめていた。

<了>