三原順先生『はみだしっ子』二次創作。『山の上に吹く風は』と『奴らが消えた夜』の間くらい。アンジーとグレアムとフーちゃん。2011年7月8日に一度pixivに掲載したものです。
雨が別荘の屋根を打つ。今日に限って喫煙しても、オフィーリアはアンジーを責めなかった。雨が真っすぐに落ちる日は、風が少ない。しとしとと言うよりすとんすとんと言うのが、何だかしっくりくる気がする。
雨の日は好きだ。それは幼少期の体験によるところが大きいが、その記憶がなかったとしてもアンジーは雨が好きで、室内の気流を辿るような紫煙の動きも大好きだった。雨だれの音は一定ではないが、バラバラと互いに支え合っている気がして、好ましい。
何より聞きたくない音を和らげてくれる。
午後を過ぎてから、グレアムが急にピアノを弾き始めた。オフィーリアの別荘にあるそれは、彼女の父親が女性らしく教育するためにと購入したものであったが、誰もケアをしないので埃はかむっているし、音割れも酷い。
フーちゃんはもちろん弾かないし、エイダだって人の家のそんな物にまでは流石に手を出さなかった。それが唐突に鳴り始めたのだ。その時アンジーは紅茶を葉からいれていて(彼は紅茶ですら生真面目に美味しくいれる)、思わずポットを落としてしまった。
音は鬼気迫るものがあった。ピアニストとして教育されたのは、ほんの七歳くらいまでだというのに。そういえば放浪していた数年も、レコードを聞いては教会などでその腕前を披露していた。天賦の才というやつであろうか。
一時期、彼とともに演奏できるように、バイオリンを弾こうとした過去を思い出して、アンジーは惨めな気持ちになる。外は薄暗く、三時だというのにまるで夜みたいに室内は暗かった。
「まるでヤケクソみたいに弾いているね」
少しだけ火傷した手をビニールに入れた氷水で冷やしながら、傍らの家主に話しかける。彼女はアンジーが火傷してまで苦労していれた紅茶を飲みながら読書していた。こんな薄暗い日中に本など読んだら確実に目が更に悪くなるであろう。
「そうね、でも自発的に何かしようとするのは進歩だわ。エイダにも報告しなくっちゃ!」
「にしても雨の日のBGMがベートーヴェンとはね」
「いいじゃない、無料(タダ)で聴けるなんてお得だわ」
「お姉様……流石としか言い様がない」
「あら、でも音が止まったみたい」
音が静まってきたのはピアノのメロディばかりではなかった。さっきまでしつこく降っていた雨も、急激にあがっていったのだ。葉から時たま水が落ちる音以外何も聞こえなくなったのを確認して、アンジーは煙草を消すと、カタリと腰を上げた。
しーっと息を漏らして、オフィーリアはアンジーに目配せして指を一本立てた。腕にはいつ用意したのか毛布を一枚抱えている。黒い品の良い毛布は、まるで奴みたいじゃないか。
「ランチの時の薬がちょうど効いてきたんだと思うわ」
「フーちゃん、僕が行くよ」
半ば強引に毛布を奪う。
「お姉様のお足は大き過ぎて、奴が起きちまうかもしれないんでね」
急いで扉を閉めたが、投げられたクッションは廊下まで追ってきた。あぁ、ティーカップじゃなくて良かった。一日に二回も割れ物を始末する気にはなれない。ついでに刺繍されたフェルトのクッションも小脇に抱えて、件のピアノがある部屋へと進む。
扉はわずかに開いていた。そしてピアノの蓋は開けられたままだった。傍にある布張りの豪勢なソファに黒塊があった。トンッと、お愛想で一回だけノックしてから入室する。遠目から見て彼の瞳が開いてるのが分かったからだ。
「何だ起きてたのか」
ならば拍手でも一つ。パチパチパチパチ。
「あの音階がメタメタのピアノで、よくあんな風に弾けるもんだよ」
「……」
グレアムは瞬き一つしなかった。アンジーはめげずにクッションを彼の横に置くと、そこに背を預けて座る。彼の膝に毛布をかけた。
「眠いんだろう? 眠っちまえば?」
グレアムは漆黒の髪の隙間でゆっくりと瞬くと、重たく深い溜め息を吐いた。
「僕の調律があっていない……」
グレアムが自分から言葉を吐いた。アンジーはそれに一瞬戸惑ったが、前のように揶揄して返す。
「ははぁ、それ調律があってない者同士、上手くいくってわけか」
「全くもってその通りさ」
自分が自分で嫌になる。
「僕が壊れている証明にもなってしまうし、人間よりずっとうまくいくだなんて、そんなこと」
そんなこと……。
「知りたく……なかった……」
そう言って黒い瞳を閉じた。そのまま息を引き取るように眠りについた。体重を保てなくて、アンジーの肩に寄りかかる。あぁ近い。体はこんなにも傍にいるのにな。思ったら泣けてきて、いつだったか『どこへも行くな』と子供っぽい理由で泣いたことを思い出した。
肉体的には傍にいても、これではまるで……一人きりと同じじゃないか。
「畜生、壊れたピアノに負けるだなんて」
泣き声の呟きは、廊下に立った少女に聞こえていたけれど。オフィーリアは音を立てないように、そっと二人をピアノの部屋に閉じ込めた。
<おしまい>
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