sugu_yoru
2020-08-19 20:42:30
2523文字
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【幻帝】雨の日のために

ヒプの幻帝。雨の日に帝統が来て嬉しい幻太郎。
ヒプ色々勉強中ゆえ、何かしら間違えていたら教えてください。

雨の日のために

 そう広くないはずの庭を、雨が静かに打っている。八月に入って、蒸し暑くなった最中、ありがたいのかそうでないのか、夢野幻太郎には判断できない。そういえばしばらく水も飲んでない。折っていた膝を真っ直ぐに伸ばして上品に立ち上がると、台所に向かってゆっくりと移動した。
 白い布巾にふせていた、薄いガラスの何の変哲もないデザインのグラスに水を静かに注ぐ。誰もいない台所には、それを飲み下す己の喉の音ばかりが響き渡るように思える。幻太郎は水分を摂取するのが少し苦手だった(ついぞ、忘れてしまうのだ)。
 濡れた唇を手の甲で拭うと、そういえば彼がいない時は、布巾を煮沸消毒できるし、台所も居間も綺麗に保つことができることに気づく。身綺麗な生活は、小説家というより、「昭和のお母さんみたい」だと言ったのは誰だったろうか。
 そういえば飴村乱数もしばらく姿を見せなかった。心配していたのは有栖川帝統の方で、夢野幻太郎の心を今占めているのは、その二十歳そこそこの美男子だった。緑のライトに照らされた、アメジストのような瞳を想っていると、縁側の硝子戸を、トツトツと叩く音が聞こえた。
 振り向くと件のパープル×グリーンがこちらに注がれている。除湿のエアコンをつけているので締め切っているガラスをカラカラと開けて、それでもその隙間に正座して陣取ると、相手を入れずに冷たく声を出した。
「帝統……、玄関というものをご存じですか?」
「でも、幻太郎こっちにいるじゃねぇか、電気がこっち点いてる。玄関はなんだか真っ暗でよ」
「当たり前ですよ、何時だと思っているんですか」
 玄関の電気を消すのは、人の訪れを「はい、そこまでよ」と遮断する為であるのだと思う。幻太郎は首の後ろをわずかに掻いて、雨が降って湿っぽいのに、そこ辺りがすっきりしているのを確かめた(実は先ほど風呂に入ったばかりだ)。
「雨じゃん? なんかサイレンも鳴ってるし」
「ああ、ニュースもそればかりですよ。小生、それを聞いてるとなんだか恐ろしくて消してしまいましたよ」
「ふぅん、じゃあ俺来て良かったジャン」
……その心は?」
「夜中俺の心配してなくて済む」
 帝統が縁側から上がりながら、向日葵みたいに笑うので。至近距離のそれに虚を突かれた気がして、幻太郎は続けたかった小癪な言葉を飲み込んだ。「虫が入るから急いで」という言葉が、この雨音ではひどく説得力がなかったのだけれど。
 それによって掻き消されてしまって、言い終わってから幻太郎は右手をすらっと伸ばした。彼が冬場着ている緑色のコートに似せた、軽い素材のレインコート(乱数が与えたものだ)。帝統はそれを羽織り、中には黒い半袖Tシャツを着ていて、手を布に潜りこませれば、すぐ肌に触れる(肘を掴んだ)。
……何だよ」
「廊下をそのまま歩かないでくださいね、あなた靴の中まで濡れているでしょう?」
 「今雑巾を持ってきますから」と続けると、「タオルじゃねーのかよ!」とブハッと吹き出す。宣言通りそこそこ綺麗な雑巾を持って来て足を乱暴に拭いてやると、同じ身長の背を押して脱衣所に押し込めた。
 帝統の姿が見えなくなって、なんだかホッとしたのは幻太郎の方で、胸元を手のひらで掴むと、フラフラとその場に座り込みそうになった。鼻と口を押さえるように顔の前で合掌する。細く長いため息を吐いた。『安心』が、手元に転がり込んできたというのは本当なのだ。
 それなのに胸がドンドンと五月蠅いのはどうしたことか……。俯いていると、それまで資料をばらまいていた机の上のスマートフォンが揺れていた(乱数もまた帝統を心配していて、幻太郎のところに彼が来ているか確認するメッセージだった)。

* * *

「あれ、何でお前そんなところにいるの? 幻太郎」
 脱衣所を出てすぐの廊下に座り込んだ幻太郎を見つけて、タンクトップ姿の帝統は少しぎょっとしている。乱数に返信を打ちながら、異様にはやい入浴時間に思わず怪訝な顔をしてしまった。青い髪からポタリと雫が落ちて参る。
……あなたこそちゃんと湯に浸かったんですか、どうせお風呂久しぶりだったんでしょう?」
「俺、あんまり熱い湯に入ってらんないんだよな、特にこの季節は」
「乱数が心配して小生にメッセージ送ってきましたよ」
「え、嘘……、電源切れちまってたから気づかなかった」
 自分とは違って、ひどく健康的な肌色の足を晒して(嗚呼、着替えにハーフパンツなんて用意しなければ良かった……!)、勝手に冷凍庫から六個入りの棒アイスを一つ取り出して封を切る。茹でられて紅く染まった口元がバニラを咥えるのを見ていられず、幻太郎は瞳を伏せた。
 乱数にテキストで帝統が家に来たことを告げると『え~何でぇ? 何で僕のところ来ないんだろう? 僕の家の方が綺麗で新しいし、何なら広いのに』と不満だだ漏れの返信が届く。パチリとスマートフォンの画面を消す。
 確かにそうなのだ。今までも何度かそれについて帝統に尋ねたことはあるけれど、その度に彼にしては隠すのが上手いような仕草で、のらりくらりとかわされたことが思い出せる。こういう時の彼は幻太郎や乱数よりもつかみどころがない。
「ここが好きだというのなら、それはありがたいことだし嬉しい」
 そう思うようにしているけれど、幻太郎は今日はうずうずと口元が軽いようで「何でこっちに来たんですか?」とつい聞いてしまった。廊下に体育座りする幻太郎の真向かいに、風呂上がりで冷えるのではないかと心配に思えるけれど、帝統はどっかりとあぐらをかいて目の前に座り込んで、俯きがちなこちらの顔を覗き込んでくる。
「お前何度かそれ聞いてくるよな? それって重要なことなの?」
「う……麿にとっては重要なことでおじゃる」
「ん?」
「朕にとっては……
「はは!」
「まぁ、嘘ですけどね」
 最重要というわけではない。何よりここを選んでくれているのだから充分ではないか。「……幻太郎疲れてんの?」と聞いて、幻太郎の膝の上に手のひらを乗せてくる彼は、なるほど四つ年下のあざとさがあった。

<おしまい>