出先で猫に構う癖はない。何よりスーツが汚れるし、アレルギーの盛大な検査で猫にも多少反応が出ていたはずだ。気が向いたのは、その猫がひどく綺麗だったからだ。野良なのに、目尻には何も汚れがなく、白にグレーの縞模様でホワイトタイガーみたいに美しい毛並みをしている。
目は、茶色というより赤色だろうか。少しだけ暗い綺麗な赤い色をしていて、ワインのように透明で美しかった。横から見ると角膜がとても厚くて透明な部分がまるで水晶玉みたいだった。そんなに猫を凝視したのは初めてなもので、十王院カケルは「きれーだねぇ、お前」と思わず声をかけてしまった。
場所は取引先の会社が入っているビルの脇。手違いで車が遅れていて、確認しに秘書が建物に戻っている。建物と建物の間に件の猫を見かけて、カケルは思わずしゃがみこんだ。
猫は、フンフンとカケルの方角の空気を嗅ぐと、すごく遠慮がちに灰色の壁に体を擦りよせながらこちらへ向かって来た。こちらから急いだら逃げてしまう、だからカケルは右手を差し出してそのまま動きを止めた。
ひくひくと指先に触れた鼻が小さくて、柔らかくて、湿っていた。カケルはなんだか笑けてきて、思わず肩を揺らすと、猫はびくりと動きを止めてしまったが、それでも立ち去らず、カケルの腕に身体をすりつけるようにこちらに寄ってきた。
案外人に慣れているのかもしれない。そう思って、初めて香賀美タイガに逢った時のことなんかを思い出して余計笑えた。いつの間にか腕にすりつくなんてレベルじゃ終わらずに、今はもうくんずほぐれずしてるなんて二人だけの秘密なのだけれど。
近寄って来た白い虎猫の毛並みは外にいる獣にしては綺麗すぎる。もしかしたらどこかの飼い猫なのかもしれないなって思いながら左腕を伸ばして、その生え揃ったもふもふに手を添えるようにすると、猫は唐突に細長く目を細めてゴロゴロと喉を鳴らしはじめた。振動が面白い。
「なにしてんだ、こんなところで」
狭い隙間の入り口。光を背負いながら特徴的な頭のてっぺんで誰だかわかる。とか言ってぶっちゃけ声だけで誰だかわかる。それ以前に、カケルはちょうど彼のことを考えていたのだから。
そうでなくても香賀美タイガのことを考えている時分が多いじゃあないか。そう少し自虐するように考えて、カケルはきっと変な顔をしてしまったのだろう。タイガが少し顔色を変えて、暗闇に押し入ってくる。
「あ、あ、だめだめ。急に動くと逃げちゃうから……!」
「あー?」
眉間にしわを寄せて、最早本物のヤンキーのように怪訝そうに動きを止める。白とグレーの虎猫を見つけると(猫は、一度タイガに驚いて毛並みを全部逆立てて大きくなったが、カケルの背に隠れるようにして逃げるまでには至らなかった)途端に優しい雰囲気をまとう。「……似てる」って呟いたのは気のせいだろうか?
「……みたことねぇ、そいつ」
「こんなところまで出張して来てんの?」
「高架下行く時、近道」
「へぇ、タイガきゅんでも知らない子かぁ~」
後ろ手に猫を撫でると、猫はゴロゴロと音を立てながらカケルの手のひらを、なんと舐めた。カケルはちょっとそのザラついた感触に驚いたが、もっと驚いたのは、大股で近寄って来たタイガがその手のひらを掴んで猫から引き剥がしたからだ。
「……? なに?」
邪魔されたと思ってしまって、思わず怪訝な声が出た。猫はいつのまにかしゃがみ込んでいるカケルの身体に幾度かすり寄ったのだろう。灰色のスラックスには模様や繊維ではない細い繊細な毛がたくさん付着してしまっている。それを心配してくれたんだろうか? そう思って「ジョブだよタイガきゅん、これもうクリーニング出す予定のやつだし」と明るい声を出して、先ほどの声色をフォローするように心がけた。
「ちげぇ、外猫ってのはその……ばい菌とかやべぇから」
「ふぅん」
そう言う割には、自分は外の猫たちを仰山集めて、それぞれを赤子みたいに抱き上げては、唇を寄せていることをカケルは知っている。そしてその唇がカケルにくっつことだってありませんでしたっけね~え?
「ぃや、ちがくて」
本当に口べたな男だ。でも出てくる言葉は嘘や偽りがほとんどないから、その点もカケルが好ましく思うところではあったのだけれど。
「ほったらなぁに? 僕ちゃんせっかく猫ちゃんとランデブーなんだけどにゃー?」
「んなん、俺が来たんだから、もういーだろうが……」
言葉尻が徐々にしぼんでいく。 それとは反してカケルの口角は徐々に上がって行って、それでその勢いのまま立ち上がるとパンパンとスーツについた砂や塵なんかを払った。
「ふふ」
「あに笑ってんだよ」
カケルはタイガのわりかし細い腰の真ん中をパンっと景気良くたたくと、「いやタイガきゅん心配してくれんの嬉しいなって思ってさ」って言いながら暗がりから往来へと向かってあしを進める。
「今から寮まで車出るからさ、乗ってかにゃーい?」
「……しかた、ねぇな」
猫は、タイガとカケルの足下を八の字にするする歩いてまとわりついてはいたけれど、いつしか二人が互いのことしか見えなくなってしまった段階で、諦めたように二人を追うのを止めて暗がりに一匹、戻って行った。
<了>
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